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第144話 借りた五梱は、名前を変えて消えていた

返却されたのは、三梱だけだった。


 白鴎館へ入った可能性のあるC-3正温八梱。


 そのうち、返却控えに残っていたのは三梱。


 上等保温布三 返却。汚れ強し。補修場へ。


 では、残り五梱はどこへ行ったのか。


 借りたなら、返す。


 返せないなら、理由を残す。


 損じたなら、損耗を記録する。


 別用途に回したなら、誰が許可したかを書く。


 それだけのことだった。


 けれど、王宮の古い紙は、その「それだけ」をひどく嫌がる。


 返していないものを、返していないと書かない。


 残っているものを、残っていると書かない。


 使ったものを、使ったと書かない。


 代わりに、別の名前をつける。


 常備化。

 補修回し。

 臨時下げ。

 客室備品。

 施設局預かり。

 接待用転用。


 名前を変えれば、同じ布が別の顔になる。


 クラリスは、顧問室の机に白鴎館関連の記録を並べた。


 洗濯場控え。

 補修場控え。

 施設局の備品台帳。

 接待費の裏控え。

 白鴎館の部屋別寝具表。

 そして、客人退去後の片づけ日誌。


 ミレーヌは、まだ少し疲れた顔をしていた。


 昨日、ケイン元参事補佐とバルナス主任の前で、彼女は必要なことを言った。


 怖かったはずだ。


 けれど、今日も手帳を開いている。


「今日は、返らなかった五梱ですね」


「はい」


 クラリスは頷いた。


「C-3が本当に一時借用だったのか、それともそのまま別の名前で消えたのかを見ます」


「五梱が残っているなら、どこかに痕跡がある」


「ええ。布は、使えば洗濯場に出ます。破れれば補修場に出ます。部屋に置けば備品台帳に出ます」


 イリスが茶を置きながら言った。


「そして、上等な布ほど、誰かが持っていきたがります」


 ミレーヌが顔を上げる。


「持っていく?」


「正式にではなく、“少しの間こちらへ”という顔で」


 イリスは静かに続けた。


「よい布は、寒い部屋から暖かい部屋へ移動しやすいものでございます」


 その言い方は柔らかい。


 だが、内容は辛辣だった。


 クラリスは小さく頷いた。


「今日は、その移動を見ます」


 最初に呼ばれたのは、白鴎館の元洗濯場責任者だった。


 名はエルザ・フォルク。


 七十近い女性で、背筋は少し曲がっているが、声には張りがあった。


 彼女は部屋に入ると、白鴎館の洗濯場控えを見るなり言った。


「この字は私です」


「覚えていますか」


 カレル調査官が尋ねると、エルザは頷いた。


「全部ではありません。でも、この“上等保温布八”は覚えています」


「なぜですか」


「白鴎館には似合わないほど、よい布でしたから」


 部屋が静かになる。


 エルザは、少し不機嫌そうに続けた。


「迎賓館で使う布も悪くはありません。でも、あの布は病人や老人向けの上等品でした。軽くて、暖かくて、洗う時に気を遣う」


「慈善物資だと知っていましたか」


「後で気づきました」


「後で?」


「端の印です。洗う時に見ました。王宮慈善の印がありました」


 ミレーヌの筆が止まった。


 クラリスは確認する。


「そのことを誰かに伝えましたか」


「白鴎館の管理人に。あとは、施設局の使いに」


「返答は?」


「“臨時借りだから、後で戻す”と」


「戻しましたか」


 エルザは、口を結んだ。


「三梱は戻しました」


「残り五梱は?」


「二梱は白鴎館の北翼に残されました。客室常備にすると言われました」


「誰が?」


「施設局の若い役人です。名前は覚えていません。ただ、紙に“K済”とありました」


 K済。


 また、K。


 オスカーが記録する。


 洗濯場責任者エルザ証言:上等保温布八は王宮慈善印あり。三梱返却。二梱は北翼客室常備にすると言われ、紙に“K済”の記載を見た記憶。


 クラリスは続けた。


「残り三梱は?」


「一梱は汚れがひどく、補修場へ。もう二梱は……客人の退去後、部屋から下げられませんでした」


「下げられなかった?」


「ええ。客人側が“移動中に使う”と言って持ち出したと聞きました」


 グレゴール参事官が、低く息を吐いた。


「持ち出し……」


 エルザはきっぱり言った。


「私は反対しました。あれは館の布ではない、と。けれど、商務の客人に強く言えません」


「誰が許可したのですか」


「白鴎館の上の方です」


「ケイン元参事補佐?」


 エルザは首を振った。


「私は見ていません。ただ、係の者は“K参に話は通っている”と言っていました」


 ミレーヌの手が震えた。


 クラリスは、そこを急がなかった。


「その持ち出しの記録はありますか」


 エルザは、持参した古い片づけ日誌を出した。


 そこには、細かい字でこうある。


 北翼二室、上等保温布各一、客人荷へ。返却予定と聞く。洗濯場、未回収。


 二梱。


 これで五梱のうち四梱が見えた。


 二梱は北翼常備。


 二梱は客人荷へ。


 残り一梱は補修場。


 クラリスは白紙に整理する。


 C-3正温八梱。


 三梱――返却確認。

 二梱――白鴎館北翼常備化疑い。

 二梱――客人荷へ持ち出し、未回収。

 一梱――補修場へ。


 八が埋まった。


 ただし、確定ではない。


 それぞれに記録の強さが違う。


 午後、補修場の記録が確認された。


 補修場は、王宮施設局の下にある小さな作業場だった。


 寝具やカーテン、布張り椅子、馬車用の内張りなどを直す場所である。


 古い控えには、こうあった。


 白鴎館より上等保温布一。汚れ強し。端ほつれ。裁ち直し不可。膝掛け二へ転用提案。


 膝掛け二。


 ミレーヌが顔を上げる。


「保温布一梱が、膝掛け二つに?」


「そのようです」


 エリオットが答えた。


 さらに次の紙。


 商務評議会控室へ膝掛け二。臨時接待備品。


 また、商務評議会。


 ケインが現在も外部顧問として関わる場所だ。


 クラリスは表情を変えなかった。


「この転用を許可したのは?」


 補修場控えの右下に、小さく。


 施局了承。K問合済。


 K問合済。


 Kに問い合わせ済み。


 ミレーヌが、慎重に書く。


 補修場記録:上等保温布一を膝掛け二へ転用提案。商務評議会控室へ臨時接待備品として移動。右下に“施局了承。K問合済。”


 グレゴール参事官は、深く顔をしかめた。


「借り物のはずが、商務評議会の膝掛けか」


「まだC-3同一とは最終断定しません」


 クラリスは言った。


「しかし、記録上の流れはそう見えます」


 次に、白鴎館の備品台帳が開かれた。


 北翼常備化されたという二梱。


 台帳には、こう記されていた。


 北翼客用保温布二。臨時補充より編入。由来:白館K。


 由来、白館K。


 正式な購入記録はない。


 施設局からの通常移管でもない。


 ただ、臨時補充より編入。


 ミレーヌは、静かに呟いた。


「借り物が、備品になっています」


「はい」


 クラリスは頷いた。


「名前を変えたのです」


 借用。

 臨時補充。

 常備化。

 備品編入。


 同じ布が、名前を変えていく。


 そして、元の行き先である南施療院からは、遠ざかっていく。


 夕方、ケイン元参事補佐への短い追加確認が行われた。


 今回は正式な再聴取ではなく、書面確認だった。


 だが、ケインは自ら小会議室へ来ることを選んだ。


 彼は、白鴎館備品台帳、補修場控え、商務評議会控室への膝掛け転用記録を見せられた。


「北翼常備化について、見覚えはありますか」


 カレルが尋ねる。


 ケインは紙を見た。


「施設局の判断でしょう」


「K問合済とあります」


「問い合わせがあった可能性はあります」


「何を問い合わせられましたか」


「記憶にありません」


「商務評議会控室への膝掛け二については?」


「退官後の話なら、評議会側の備品として受けた可能性はあります」


「元が慈善保温布である可能性は認識していましたか」


「認識していません」


「白鴎館で借りた正温が、返却されず、常備化・客人持ち出し・商務評議会備品化している可能性があります」


 ケインは、少しだけ目を細めた。


「顧問殿は、すべてを私へつなげたいようですな」


「いいえ」


 クラリスは即答した。


「つながっている紙だけをつなげています」


 ケインは口を閉じた。


 クラリスは続けた。


「あなたは、白鴎館の寝具不足に対し臨時補充を急がせたこと、G札使用を許容した可能性、慈善側を代布で数量合わせする考え方を認めました。今日の記録は、その“借りた”とされた正温が、南施療院へ戻らず、別の名前に変わっていった可能性を示しています」


「私は、返却管理担当ではありません」


「その主張も記録します」


「事実です」


「では、返却管理担当は誰ですか」


 ケインは答えなかった。


 しばらくして言った。


「施設局でしょう」


「施設局は、K問合済と書いています」


「問い合わせに答えたからといって、管理責任を負うわけではありません」


「では、問い合わせに何と答えたのですか」


「覚えていません」


 また、覚えていない。


 ただし、前よりも薄い。


 クラリスは、そこで深追いしなかった。


 今日の目的は、彼に全てを認めさせることではない。


 五梱の行方を紙で固めることだ。


 ケインの確認は、その一部でしかない。


 夜、顧問室では報告書がまとめられた。


 表題。


 C-3正温未返却五梱行方確認報告


 主な内容。


 一、白鴎館へ入った可能性のあるC-3正温八梱のうち、返却記録確認済みは三梱。

 二、元洗濯場責任者エルザ証言では、八梱に王宮慈善印を確認。三梱返却、二梱北翼常備化、一梱補修場、一部客人荷へ持ち出しと記憶。

 三、白鴎館片づけ日誌に「北翼二室、上等保温布各一、客人荷へ。返却予定と聞く。洗濯場、未回収。」

 四、補修場記録に「上等保温布一。膝掛け二へ転用提案」。後に商務評議会控室へ臨時接待備品として移動。右下に「施局了承。K問合済」。

 五、白鴎館備品台帳に「北翼客用保温布二。臨時補充より編入。由来:白館K」。

 六、未返却五梱の推定内訳は、二梱北翼常備化、二梱客人荷へ持ち出し未回収、一梱補修場転用。

 七、各記録の強度は異なり、最終断定には布印・返却控え・商務評議会備品現物確認が必要。

 八、ケイン元参事補佐は、常備化・転用について施設局判断と主張。K問合済については問い合わせの可能性を否定せず、内容は記憶にないとする。

 九、借用とされたC-3正温が南施療院へ戻らず、白鴎館・客人荷・商務評議会備品へ名前を変えて残った可能性が高まる。

 十、返却責任の所在、施設局の判断、K問合内容、客人持ち出し先の確認が必要。


 クラリスは最後に一文を書いた。


 借りた五梱は、返されなかったのではなく、常備化、持ち出し、補修転用という別の名前を与えられて、慈善物資の顔を失っていった可能性がある。


 ミレーヌは、しばらく黙っていた。


 そして、札に書いた。


 名前を変えても、借りたものは返したことにならない。


 イリスが、それを壁へ貼った。


 国際案件の箱に、報告書が入る。


 これで、C-3正温八梱の行方は、かなり見えてきた。


 三梱は返却。

 二梱は白鴎館常備化。

 二梱は客人荷へ。

 一梱は補修され、膝掛けとして商務評議会へ。


 そして、南施療院には戻らなかった。


 病床を温めるはずだった布は、客室を温め、客人の荷に入り、控室の膝掛けになった。


 次に必要なのは、現在残っているかもしれない現物の確認だった。


 白鴎館北翼の常備布。


 商務評議会控室の膝掛け。


 もしそこに王宮慈善の端印が残っていれば、借り物が名を変えた証拠になる。


 布は黙っている。


 だが、端に印が残っていれば、まだ語ることができる。

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