表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
143/180

第143話 棚を開けた手と、代布を選んだ手は違った

 命令した者。


 棚を開けた者。


 荷札を書いた者。


 馬車を出した者。


 代わりの布を選んだ者。


 そして、届いた扱いにした者。


 それらは、同じ人間とは限らない。


 だからこそ、難しい。


 悪意が一人にまとまっていれば、話は簡単だった。


 だが、王宮の不正はたいてい、もっと面倒な顔をしている。


 誰かが急がせる。

 誰かが忖度する。

 誰かが棚を開ける。

 誰かが帳尻を合わせる。

 誰かが黙る。

 誰かが、処理済みと書く。


 そうして最後に、寒い場所へ寒い布が届く。


 クラリスは、顧問室の机に新しい紙を置いた。


 C-3棚出し・代布選定・南施搬送経路確認


 ミレーヌは、その見出しを見てから、昨日貼った札を見上げた。


 借りたつもりでも、戻らなければ奪ったのと同じ痛みになる。


「今日は、ケインさんが“自分は指定していない”と言った部分ですね」


「はい」


 クラリスは頷く。


「彼は、白鴎館の寝具不足を急がせたこと、G札使用を許した可能性、代布で数を合わせる考え方を認めました。でも、C-3棚を指定したことと、外套地転を南施療院へ送ったことは否定しました」


「だから、棚を開けた人と、代布を選んだ人を見る」


「その通りです」


 オスカーが、港湾北倉庫の記録を並べた。


 C区第三棚の棚出し控え。

 G札写し。

 夜間搬送控え。

 外套地転の保管棚記録。

 南施療院向け搬送票。

 そして、旧礼拝堂で見つかった布見本包みの写し。


 イリスが茶を置きながら言った。


「棚を開ける鍵と、布を選ぶ目は違いますからね」


「ええ」


 クラリスは答えた。


「そこを分けます」


 午前、港湾北倉庫の古い棚出し控えが開かれた。


 C-3正温八梱。


 正式払い出し先は南施療院となっている。


 だが、欄外の夜間控えには、別の文字があった。


 C-3八 白館裏 G札 K急


 その横に、小さな棚出し印。


 Hct


 ミレーヌが顔を上げる。


「Hct……」


 エリオットが資料を確認した。


「当時の倉庫番ヘクターの略印です」


 ヘクター。


 旧G便の聞き取りで出てきた元倉庫番。


 ギデオンの名が看板になっていたと証言した男。


 クラリスは頷いた。


「では、C-3棚を実際に開けた手は、ヘクター様の可能性が高い」


「はい」


 オスカーが記録する。


 C-3棚出し控え欄外に“Hct”略印。ヘクター元倉庫番の棚出し印の可能性高。C-3八梱は白館裏へG札・K急で出された可能性。


 次に、外套地転の保管棚記録。


 外套用に近い灰色布は、本来、慈善病床用ではない。


 港湾北倉庫では、外套補修地や軍務外套地、冬季外回り用の布として別区画に置かれていた。


 その区画の記録には、二年前の同夜、こう書かれている。


 外套地転八 南施 保温扱 B机


 ミレーヌの筆が止まった。


 B机。


 また、その言葉。


「B机……」


「バルナス主任机の可能性があります」


 クラリスは静かに言った。


「ただし、個人ではなく机処理を指す可能性もあります」


 ミレーヌは頷いて書いた。


 外套地転八、南施、保温扱、B机。B机はバルナス主任机処理の可能性。個人断定不可。


 エリオットは、顔を強張らせたまま言った。


「この記録が正しければ、C-3正温を白鴎館へ出した処理と、南施療院へ外套地転を保温布扱いで送った処理が、別の欄に残っています」


「はい」


 クラリスは答えた。


「棚を開けた手はHct。代布を保温扱いにした指示はB机。ここを分けます」


 午後、ヘクター元倉庫番が呼ばれた。


 彼は前回よりも少し警戒した顔で入ってきた。


 C-3棚出し控えを見せると、彼は長く黙った。


「これは、あなたの印ですか」


 カレル調査官が尋ねる。


 ヘクターは、しばらくして頷いた。


「私の印に見えます」


「C-3正温八梱を白館裏へ出しましたか」


「出したと思います」


 部屋の空気が張り詰める。


「誰の指示で?」


「G札です。K急とありました」


「K急とは?」


「K参急ぎ。そういう意味で受け取りました」


「ケイン参事補佐?」


「当時なら、そう思います」


 ヘクターは、淡々と答えた。


「C-3が慈善保温布だと知っていましたか」


「知っていました」


「南施療院向け予定分だとは?」


 ヘクターは、少しだけ口を閉じた。


「棚札には南施とありました」


「では、南施療院向けだと知っていた」


「はい」


「なぜ白館へ出したのですか」


「K急のG札でした。上からの急ぎだと判断しました」


「慈善向けを別へ出すことに疑問は?」


「ありました」


「それでも出した」


「はい」


「なぜ?」


 ヘクターは目を伏せた。


「倉庫番は、札に逆らえません」


「正式な札ではないG札に?」


「当時は、G札でも動いていました」


 カレルが記録する。


 クラリスは、そこへ静かに問いを置いた。


「C-3を白館へ出した後、南施療院向けには何を出すことになりましたか」


 ヘクターは、こちらを見た。


「私は知りません」


「外套地転八を南施へ保温扱いで出した記録があります」


 クラリスは紙を出した。


 外套地転八 南施 保温扱 B机


 ヘクターは、それを見ると眉を寄せた。


「これは……私の字ではありません」


「印は?」


「ありません」


「誰が書いた可能性が?」


「代布の選定は、倉庫番だけではしません。財務院の机から来ます」


「B机?」


「そうでしょう」


「あなたは、外套地転が南施へ行くことを知っていましたか」


 ヘクターは首を振った。


「後で聞きました。南施には別の布で数を合わせた、と」


「誰から?」


「オルド書記か、バルナス主任の机の使いだったと思います。はっきり覚えていません」


 曖昧だ。


 だが、構造は見えてくる。


 C-3正温八梱は、K急・G札で白館へ。


 その穴を埋めるため、南施療院へ外套地転八が保温扱いで出た。


 その処理はB机から来た。


 棚を開けたヘクターは、C-3を白館へ出したが、外套地転を選んだ者ではない。


 クラリスは記録した。


 ヘクター証言:C-3八をK急・G札により白館裏へ棚出ししたと認める。南施向け予定分と知っていたが、G札に従った。外套地転八の南施保温扱い処理は自筆・自身判断ではなく、B机由来と認識。


 次に呼ばれたのは、オルド元書記だった。


 彼は外套地転の記録を見ると、顔をしかめた。


「嫌な字ですな」


「見覚えは?」


 カレルが尋ねる。


「あります」


「誰の字ですか」


「私の字ではありません。ですが、私が写した可能性はあります」


「どういう意味ですか」


「元の指示札があり、それを倉庫控えへ写す。そういうことはよくありました」


「B机とは?」


「バルナス主任机処理でしょう」


「この処理を覚えていますか」


 オルドは長く黙った。


「ぼんやりとは」


「内容は?」


「C-3が白館へ行き、南施の数を保つ必要があった。軽寝では足りない。外套地転なら、八梱そろえられる。そういう話だったと思います」


 ミレーヌが顔を白くした。


「外套地転なら、病床用には心許ないと分かっていたのでは?」


 オルドは彼女を見た。


 そして、少し苦い顔で言った。


「現場で使えば、そうでしょう。机の上では、保温扱いにできた」


「机の上では……」


「ひどい言い方だが、当時の実務はそうでした」


 クラリスは、胸の奥に冷たい怒りを感じた。


 だが、押さえる。


「その判断をしたのは誰ですか」


 オルドは答える前に、少しだけ視線を落とした。


「バルナス主任です」


 部屋が静まる。


「ただし」


 オルドは続けた。


「元の穴を作ったのはK急です。C-3を白館へ出せという急ぎがなければ、B机で代布を選ぶ必要はなかった」


「責任を分ける必要がありますね」


 クラリスが言うと、オルドは頷いた。


「はい。Kは正温を白館へ引いた。Bは南施を代布で埋めた。Hはそれに気づいた」


 短い整理だった。


 だが、あまりに重い。


 ミレーヌは、その言葉をそのまま記録した。


 オルド証言整理:Kは正温を白館へ引いた。Bは南施を代布で埋めた。Hはそれに気づいた。


 夕方、バルナス主任が呼ばれた。


 外套地転の記録を見た瞬間、彼は深く目を閉じた。


「覚えていますか」


 カレルが尋ねる。


「覚えています」


 その答えは、早かった。


 クラリスは、静かに彼を見た。


「外套地転八を南施へ保温扱いで出した判断は、あなたですか」


 バルナスは、しばらく沈黙した。


 だが、今回は逃げなかった。


「はい」


 ミレーヌの筆が止まった。


 すぐに、また動く。


「理由は?」


「南施療院の受領数量を崩せなかった。C-3が白館へ出た後、八梱をそろえる必要がありました」


「なぜ、C-3を戻さなかったのですか」


「戻せと言える立場ではないと思った」


「なぜ」


「K急でした。ケイン参事補佐の影がありました。白鴎館には商務関係者がいた。私は、そこへ逆らえなかった」


「だから南施療院へ外套地転を送った」


「はい」


 部屋は静まり返った。


 バルナスの声は、ひどく低かった。


「外套地転が病床用には不向きだと知っていましたか」


 クラリスが尋ねる。


「知っていました」


「それでも保温扱いにした」


「はい」


「なぜ」


「数字を合わせるためです」


 ミレーヌの筆が震えた。


 バルナスは、それを見た。


 そして、続けた。


「言い訳はしません。私は、数字を合わせました。中身を見なかったのではありません。見て、合わせた」


 その言葉は、重かった。


 これまでの「知らなかった」「覚えていない」とは違う。


 彼は、初めて自分の手を認めた。


 ケインが正温を白館へ引いた。


 だが、南施療院へ外套地転を送ると決めたのは、バルナスだった。


 クラリスは、静かに問う。


「ハーゲン補助官は、それに気づいた」


「はい」


「だから、あなたは閉じた」


「はい」


「H強硬とした」


「はい」


「南施療院への返答を止めた」


「はい」


 ミレーヌは、もう顔を上げていなかった。


 ただ、必死に書いている。


 バルナスは、低く言った。


「ハーゲンは、正しかった」


 誰もすぐには答えなかった。


 その一言が、遅すぎることを全員が知っていた。


 しかし、記録には必要だった。


 クラリスは頷いた。


「記録します」


 その日の報告書は、三つの責任を分けて書かれた。


 表題。


 C-3棚出しおよび南施療院代布選定責任確認報告


 主な内容。


 一、C-3棚出し控え欄外に「C-3八 白館裏 G札 K急」およびHct略印を確認。Hctはヘクター元倉庫番の可能性高。

 二、ヘクターは、C-3正温八梱をK急・G札により白館裏へ棚出ししたことを認める。南施向け予定分と知っていた。

 三、ヘクターは、外套地転八を南施へ送る判断は自身ではなくB机由来と証言。

 四、外套地転保管棚記録に「外套地転八 南施 保温扱 B机」。

 五、オルド元書記は、B机はバルナス主任机処理の可能性が高いと証言。

 六、オルドは、C-3が白館へ行ったため南施の数を保つ必要があり、外套地転で埋めた流れを証言。

 七、バルナス主任は、外套地転八を南施へ保温扱いで出す判断を自身が行ったと認める。

 八、バルナス主任は、外套地転が病床用に不向きであることを知りながら、数字を合わせるために処理したと認める。

 九、バルナス主任は、ハーゲン補助官がこの点に気づいており、ハーゲンの指摘は正しかったと認める。

 十、整理として、KはC-3正温を白館へ引いた可能性、Bは南施を代布で埋めた責任、Hはそれに気づいた構図が成立する可能性。

 十一、ただしKの最終責任範囲、ヘクターの認識範囲、B机処理の同席者については継続確認が必要。


 クラリスは最後に一文を書いた。


 棚を開けた手は、白館へ正温を出した。代布を選んだ手は、南施療院へ外套地転を保温布として送った。その二つが合わさって、病床は寒くなった。


 ミレーヌは、しばらく筆を握ったまま動かなかった。


 やがて、札にこう書いた。


 数字を合わせるために、中身を見て見ぬふりをしてはいけない。


 イリスが、静かに壁へ貼った。


 国際案件の箱に、報告書が入る。


 これで、ようやく大きな線が見えた。


 ケインは、白鴎館を温めるためにC-3を引いた。


 ヘクターは、G札に従って棚を開けた。


 バルナスは、南施療院の数を外套地転で合わせた。


 ハーゲンは、それに気づいた。


 だから、閉じられた。


 だから、強硬と呼ばれた。


 だから、返答草案は下書き箱に沈んだ。


 次に残るのは、返却されなかった五梱の行方だった。


 白鴎館の温かな寝台で使われた後、その布はどこへ消えたのか。


 そこを追えば、C-3を「借りた」と言った者たちの最後の逃げ道が消える。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ