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第125話 東区療養所の薬包布は、本当に濡れていた

東療。


 旧港湾雑費控えに残っていた、その二文字は、南施療院や北区孤児院とはまた違う響きを持っていた。


 東療 薬包布二梱 湿損扱 G経由 雑へ


 薬包布。


 薬草や湿布薬、傷薬を包むための布。


 病床用保温布や冬毛布とは違う。


 身体を直接温めるものではないが、清潔さが問われる。


 濡れていたなら、問題は大きい。


 湿気を含んだ薬包布は、薬を傷める。


 傷口に使う布なら、なおさらだ。


 だが、湿損扱という言葉にも、また危うさがある。


 本当に濡れていたのか。


 雨で濡れたのか。


 保管中に湿ったのか。


 あるいは、濡れたことにして、品質や等級の確認を曖昧にしたのか。


 クラリスは、顧問室の机に新しい表を置いた。


 東区療養所 薬包布二梱確認


 ミレーヌは、前回の札を見上げてから言った。


「北区孤児院は、南施療院と違いました」


「はい」


「だから、東区療養所も別に見る」


「その通りです」


「湿損扱だから、本当に濡れていたかを見るのですね」


「はい」


 クラリスは頷いた。


「そして、本当に濡れていたとしても、それで全て終わりではありません。いつ濡れたのか、誰が確認したのか、代替品は届いたのかを見る必要があります」


 オスカーが記録欄を作る。


 財務院記録

 療養所側記録

 港湾天候記録

 現物確認

 代替・補填

 未確認点


 イリスが茶を置きながら、静かに言った。


「濡れた布にも、濡れた理由がございますね」


「ええ」


「雨なのか、川なのか、誰かの手なのか」


「今日は、雨から見ます」


 東区療養所から届いた記録は、南施療院や北区孤児院より少し整っていた。


 理由は単純だった。


 薬を扱う施設だからである。


 薬包布、包帯、薬草袋、消毒用酒精。


 そうした物資は、受領時に状態を記録する習慣があった。


 東区療養所の副所長代理として来たのは、痩せた男性だった。


 名はエドウィン・サーク。


 眼鏡をかけ、書類の角をやけに丁寧に揃える人だった。


「東区療養所では、受領物資の状態は必ず書きます」


 彼は席に着くなり、そう言った。


「特に薬包布は、湿気を嫌いますので」


「記録が残っているのですね」


「はい。ただし、当時の担当者はすでに退職しております。私が分かる範囲でご説明します」


 クラリスは礼を述べ、記録を開いた。


 正式受領控えには、こう書かれていた。


 王宮慈善薬包布 二梱 受領。外装湿り。内布一部湿気。使用可否確認中。


 ミレーヌがすぐに書く。


 外装湿り。内布一部湿気。使用可否確認中。


 南施療院の時のような「薄い」ではない。


 北区孤児院の時のような「遅れ」でもない。


 ここでは、確かに湿りが記録されている。


「湿損扱は、療養所側でも確認されていたのですね」


 ミレーヌが言った。


「はい」


 クラリスは答える。


「ただし、ここで終わりではありません」


 エドウィンが、次の記録を出した。


 受領翌日の薬務日誌。


 そこには、さらに詳しい記述がある。


 薬包布二梱。外装に雨染み。片梱は内側まで湿気あり。乾燥室へ。端印は王宮慈善薬包布。等級は通常。湿り以外の差異なし。


 クラリスは、ゆっくりと息を吐いた。


 端印は王宮慈善薬包布。


 等級は通常。


 湿り以外の差異なし。


 つまり、ここでは現物等級の違いは確認されていない。


 問題は、本当に湿っていたこと。


「南施療院とは違いますね」


 ミレーヌが言った。


「はい」


「東区療養所では、端印も等級も通常。問題は湿り」


「その通りです」


 オスカーが記録する。


 療養所側記録では、端印・等級は通常。湿り以外の差異なし。南施療院型の等級不一致とは現時点で異なる。


 エドウィンは、少しだけ申し訳なさそうに言った。


「ただ、湿っていたことは事実です。薬包布としては困ります」


「はい」


 クラリスは頷いた。


「そこは軽く扱いません」


 次に確認されたのは、港湾の天候記録だった。


 財務院の運搬控えには、こうある。


 東療 薬包布二梱 湿損扱 G経由 雑へ


 急送例外控えには。


 雨天遅延。G手配。湿損補填。


 雨天。


 本当に雨だったのか。


 カレル調査官が、港湾気象記録を机に置いた。


「該当日は、夕刻から強い雨がありました」


「雨は事実」


「はい」


「搬入時刻は?」


 カレルは次の紙を見る。


「夜半前。雨のピーク後ですが、港湾路面は濡れていた」


「荷馬車の覆いは?」


「御者記録には、“覆い布あり。一部破れ”とあります」


 ミレーヌが顔を上げた。


「覆い布が破れていた」


「はい」


 カレルは続ける。


「東区療養所の裏門で受け取った薬務助手も、“荷覆いの端から水が落ちていた”と日誌に書いています」


 エドウィンが薬務日誌の別ページを開いた。


 そこに、確かに書かれていた。


 夜半、薬包布到着。荷覆い破れ、水滴あり。受領後すぐ外装拭き。片梱湿り深し。


 クラリスは頷いた。


「湿損は、実際に雨による可能性が高いですね」


「はい」


 ミレーヌは書いた。


 港湾天候記録・御者記録・療養所日誌が一致。湿損は雨および荷覆い破れによる可能性高。


 ここで、問題は少し変わった。


 南施療院では、等級違いが隠れた。


 北区孤児院では、到着日が分裂した。


 東区療養所では、本当に濡れていた。


 だが、それでG経由急送が問題ないわけではない。


 湿損補填はどうなったのか。


 濡れた薬包布の代替は届いたのか。


 そこを見る必要がある。


「補填記録はありますか」


 クラリスが尋ねる。


 エドウィンは、少し苦い顔をした。


「あります。ただ、ここが少し複雑です」


 補填控えには、こうあった。


 湿損分として半梱相当を後日補填。


 半梱相当。


 ミレーヌが首を傾げる。


「半梱相当とは?」


 エドウィンが答える。


「一梱の半分程度、という意味でしょう。片梱の内側が湿っていたため、その分を補うという扱いです」


「実際には届きましたか」


「届きました。三日後に」


「質は?」


「通常でした」


「では、補填は機能した」


「はい。ただし」


 エドウィンは、記録の別欄を指した。


 湿損分、乾燥後一部使用。補填到着まで包帯用布を流用。


 クラリスは、その一文を見つめた。


 濡れた分の補填は届いた。


 だが、三日後。


 その間、包帯用布を薬包布として流用していた。


 つまり、完全に問題がなかったわけではない。


 現場は、また調整している。


「流用による問題は?」


 クラリスが尋ねると、エドウィンは首を振った。


「大きな事故の記録はありません。ただ、薬包作業が遅れた記録はあります」


 薬務日誌には、こう書かれていた。


 薬包布不足により、夕方調合作業一部翌朝へ。包帯用布を裁断し代用。


 ミレーヌは、丁寧に書いた。


 補填は三日後到着。間、包帯用布を代用。大事故記録なし。ただし薬包作業遅延あり。


 クラリスは、その記録を見て頷いた。


 これも、現場の負担だ。


 南施療院ほど重くはないかもしれない。


 北区孤児院のような眠れない夜とも違う。


 だが、薬務の作業がずれた。


 別用途の布を裁断して代用した。


 それは、帳簿の「湿損補填済」だけでは見えない。


「財務院記録ではどうなっていますか」


 エリオットが、旧雑費控えを確認する。


「湿損補填、雑費処理済。日付は……補填到着日の翌日です」


「では、補填自体は財務院でも処理されている」


「はい」


「ただし、三日間の代用や作業遅延は見えない」


「はい」


 クラリスは白紙に見出しを書く。


 補填済みの盲点


 定義。


 損傷・遅延・不足に対する補填が最終的に行われたため、帳簿上は処理済みとなるが、補填到着までの期間に現場が行った代用、作業遅延、負担が記録されにくい状態。


 ミレーヌは、その定義を見て言った。


「北区孤児院にも近いですね」


「はい」


「補填済みでも、その間が消える」


「ええ」


 彼女は手帳に書いた。


 補填された後も、補填までの時間は消えない。


 エドウィンが、その言葉を見て静かに頷いた。


「そうですね。現場では、その三日が一番困るのです」


 午後、バルナス主任への確認が行われた。


 東区療養所の件について、彼は比較的落ち着いていた。


「東療の件は、雨による湿損だったと記憶しています」


「療養所側記録とも一致します」


 カレルが言うと、バルナスは小さく頷いた。


「その件は、G経由が悪いというより、雨と覆い布の破れが原因です」


「その可能性が高いです」


 クラリスは答えた。


「ただし、湿損補填まで三日あり、その間に包帯用布の代用と薬包作業遅延が発生しています」


 バルナスは少し目を伏せた。


「そこまでは見ていませんでした」


「財務院記録は補填済みで終わっています」


「はい」


「それが、問題です」


 バルナスは、今度は反論しなかった。


「……そうでしょうな」


 疲れた声だった。


「G経由急送の全てが不正ではない。東療の件では、実際に湿損し、補填も行われた。ただし、現場負担は見えていなかった。そういう整理でよろしいですか」


 クラリスが確認すると、バルナスは頷いた。


「その整理なら、異論はありません」


「記録します」


 その一言は、小さな前進だった。


 バルナス主任は、以前なら「処理済み」で終わらせていたかもしれない。


 今は、少なくとも現場負担が見えていなかったことを否定しなかった。


 夕方、報告書がまとめられた。


 表題。


 東区療養所薬包布二梱湿損扱確認報告


 主な内容。


 一、旧港湾雑費控えの「東療」は東区療養所の可能性高。

 二、財務院記録では薬包布二梱、湿損扱、G経由、雑へ。

 三、療養所側記録では外装湿り、内布一部湿気。端印・等級は通常。

 四、港湾天候記録、御者記録、療養所日誌により、雨および荷覆い破れによる湿損の可能性高。

 五、南施療院型の等級不一致とは現時点で異なる。

 六、湿損分として半梱相当が三日後に補填。質は通常。

 七、補填到着まで、包帯用布を代用し、薬包作業一部遅延。

 八、財務院記録では補填済みで処理されるが、補填までの現場負担は見えにくい。

 九、G経由急送が直ちに不正とは言えない一方、覆い布破れ・雨天搬送管理・補填期間の記録不足が課題。

 十、損傷処理では、損傷原因、代替手段、補填到着日、現場負担を分けて記録する必要あり。


 クラリスは最後に一文を書いた。


 東区療養所の薬包布は、本当に濡れていた。だが、補填済みの文字は、補填までの三日間を乾かしてはくれなかった。


 ミレーヌは、自分の札に書いた。


 補填済みでも、その間は残る。


 イリスが、それを見て静かに言った。


「だんだん、札が実務の教本のようになってまいりましたね」


「そうなればいいと思います」


 クラリスは答えた。


 国際案件の箱に、新しい報告書が入る。


 東区療養所は、南施療院とも北区孤児院とも違った。


 そこでは、布は本当に濡れていた。


 端印も等級も通常だった。


 補填も届いた。


 だが、三日間の代用と作業遅延は、処理済みの下に隠れた。


 G経由急送は、一つの顔ではない。


 不正を隠す顔もあれば、実際に補填を運ぶ顔もある。


 だから、一つずつ見る。


 疑いを広げる時ほど、一つずつ。


 次は、西老。


 夜間搬入された寝具布六梱。


 そして、古い苦情に残っていた「暖まりが弱い」という言葉を確かめる番だった。

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