第124話 北区孤児院の毛布は、届いた日が二つあった
北孤。
その略称は、旧港湾雑費控えの中では小さな二文字だった。
北孤 冬毛布四梱 遅延補填 G経由 雑へ
それだけなら、ただの古い処理記録に見える。
北区孤児院へ冬毛布四梱を送る予定があり、何らかの遅れが出て、補填が行われた。
G経由。
雑費へ。
そこに不自然さはある。
だが、不自然さだけでは事実にならない。
南施療院では、薄い布と端印違いがあった。
では、北区孤児院でも同じなのか。
それとも、まったく別の問題なのか。
クラリスは、顧問室の机に新しい紙を置いた。
北孤 個別確認
南施療院の時とは、最初から分ける。
同じG経由でも、同じ事件とは限らない。
同じように見えるからといって、同じ結論へ急いではいけない。
「今日は、北区孤児院です」
クラリスが言うと、ミレーヌは静かに頷いた。
「南施療院と同じかどうか、ではなく、北区孤児院では何があったか、ですね」
「はい」
「比べる前に、単独で見る」
「その通りです」
オスカーが記録用の表を作る。
財務院記録
孤児院側記録
現物記録
返答・照会
未確認点
イリスが茶を置きながら言った。
「同じ寒さでも、風の入り口は違うことがございますから」
「良い言い方ね」
「冬の屋敷では、よくあります」
クラリスは少しだけ頷いた。
同じ寒さ。
だが、窓の隙間なのか。
薄い布なのか。
火が消えたのか。
薪が足りなかったのか。
原因を混ぜれば、直す場所を間違える。
午前中、北区孤児院から古い記録の写しが届いた。
南施療院のリディアとは違い、北区孤児院から来たのは年配の修道女だった。
名はマルタ・レーン。
背は低く、手は節くれ立っている。
質素な黒い服の袖口は何度も繕われていた。
だが、目は明るい。
子どもたちの騒ぎ声を何十年も受け止めてきた人の目だった。
「古いことですので、すべては揃っておりません」
マルタは最初にそう言った。
「ただ、あの冬の毛布のことは覚えております」
「なぜですか」
クラリスが尋ねると、マルタは少し笑った。
「子どもは、寒いと眠りませんから」
その一言で、部屋の空気が変わった。
財務院の箱には、冬毛布四梱としか書かれていない。
だが、孤児院には眠れなかった子どもがいた。
「記録を拝見します」
クラリスは静かに言った。
マルタが出したのは、受領控えと宿直日誌、そして食堂当番の日誌だった。
正式な受領控えには、こうある。
王宮慈善冬毛布 四梱 受領。
日付は、財務院記録と同じ。
しかし、備考欄に小さく書かれていた。
初便二梱。残二梱、後送。
ミレーヌが、すぐに顔を上げた。
「四梱受領なのに、初便は二梱」
「はい」
クラリスは頷く。
「この時点で、受領扱いと現物到着が分かれています」
オスカーが記録する。
正式受領控え:四梱受領扱い。ただし初便二梱、残二梱後送の備考。
マルタが続けた。
「当時、先に二梱だけ届きました。残りは、夜には来ると言われましたが、来ませんでした」
「残り二梱はいつ届きましたか」
「二日後です」
「二日後」
クラリスは繰り返した。
「はい。その間、子どもたちは二人で一枚を使いました」
ミレーヌの筆が止まりかけた。
だが、彼女はすぐに書いた。
残二梱は二日後到着。間、二人で一枚使用との証言。
マルタは、宿直日誌を開いた。
そこには、丸みのある字でこう書かれている。
王宮毛布、半数のみ届く。小さい子を優先。年長組は二人一枚。北窓側、眠れず。
南施療院の日誌と、言葉は違う。
だが、寒さはあった。
薄い布ではない。
数が足りなかった。
いや、正確には、届いた扱いの日に全数が届いていなかった。
「毛布の質はどうでしたか」
クラリスが尋ねると、マルタは首を横に振った。
「質は悪くありませんでした。届いたものは暖かかったです」
ミレーヌが少し驚いた顔をする。
クラリスは頷いた。
「そこは大事です」
「はい」
ミレーヌは書いた。
南施療院と異なり、北区孤児院では毛布の質への不満は現時点で確認されず。問題は到着数・到着日。
マルタは、その記録を見て少し目を細めた。
「ちゃんと分けてくださるのですね」
「分けなければ、違うものを同じにしてしまいます」
クラリスは答えた。
マルタは静かに頷いた。
「それは、ありがたいことです」
次に、食堂当番の日誌が開かれた。
食堂当番がなぜ毛布のことを書いているのかと思ったが、読めば分かった。
寒かった子どもたちが、夜中に何度も厨房へ湯をもらいに来たのだ。
日誌にはこうあった。
毛布不足により、湯の減り早し。年長の子ら、年少へ譲る。朝、咳の子三名増。
マルタは、先に言った。
「咳が毛布不足だけのせいとは言えません。あの冬は、そもそも風邪が流行っておりました」
「はい」
クラリスは頷く。
「因果は断定しません」
ミレーヌも書く。
咳増加の記述あり。ただし毛布不足との因果断定不可。寒さの状況記録として扱う。
南施療院で学んだことが、ここでも役に立っている。
寒かったことは事実。
だが、それがすべての原因とは言わない。
事実を大きくしすぎると、事実そのものが壊れる。
昼過ぎ、財務院側の記録と照合した。
エリオットが持ってきた旧港湾雑費控えには、こうある。
北孤 冬毛布四梱 遅延補填 G経由 雑へ
さらに別の急送例外控え。
北孤 四梱受領済。残便遅延。G夜手配。補填済。
クラリスは、その文を見て眉を寄せた。
「四梱受領済」
「はい」
エリオットは硬い声で答えた。
「財務院側では、四梱受領済の状態で、残便遅延の補填処理をしています」
「つまり、正式状態は四梱受領済。でも実際には二梱しか届いていなかった時点で、残便遅延を処理している」
「はい」
ミレーヌが表に線を引いた。
孤児院側:初便二梱、残二梱二日後。
財務院側:四梱受領済、残便遅延、補填済。
「到着日が二つあります」
ミレーヌが言った。
「ええ」
クラリスは頷いた。
「受領扱いの日と、全数到着の日」
オスカーが記録する。
到着日分裂:帳簿上の受領日と、全数現物到着日が異なる状態。
クラリスは、そのまま定義を書いた。
到着日分裂:数量上は全数受領済みとして処理される一方、現物の一部が後送となり、実際に必要な場所へ全数届く日が別になる状態。現場では不足期間が発生するが、帳簿上は受領済みとして見えにくい。
ミレーヌは、自分の手帳に書いた。
届いた日は、一つとは限らない。
そこへ、王弟府のカレル調査官がやって来た。
彼は北区孤児院関連の古い聞き取りを持っていた。
「G夜手配について、当時の御者記録が一部残っていました」
「お願いします」
カレルは紙を置いた。
夜間急送の馬車控え。
日付は、孤児院へ残二梱が届いた前夜。
荷。
毛布二梱。
出発。
港湾北倉庫。
到着。
北区孤児院裏門。
手配。
G夜。
受取。
修道女M。
マルタが目を細めた。
「私です」
「覚えていますか」
「はい。夜遅くに来ました。裏門を叩かれて、起きました」
「その時の荷は?」
「毛布二梱。質は悪くありませんでした。ただ、遅かった」
カレルが頷く。
「御者記録と合います」
ここで、南施療院とは違うことがはっきりした。
北区孤児院の場合、少なくとも後送二梱は実際に届いている。
布質への疑いも今のところ薄い。
問題は、遅延と、帳簿上の受領日だった。
「G経由が必ず悪いわけではない、ということですね」
ミレーヌが言った。
クラリスは頷いた。
「はい。北区孤児院では、G夜手配によって残り二梱が届いた可能性があります」
「でも、遅れたことが見えにくくなった」
「そうです」
エリオットが低く言った。
「財務院側では、“補填済”で閉じています。二日間不足したことは、ほとんど見えません」
マルタが静かに言った。
「二日でも、冬の二日は長いです」
その言葉に、誰もすぐ返せなかった。
クラリスは記録した。
G夜手配により残二梱到着の可能性。G経由が直ちに不正とは言えない。ただし受領扱い先行により不足期間が見えにくくなった。冬の二日は現場にとって重い。
午後、北区孤児院からもう一つの控えが出された。
それは、子どもたちに毛布を配った一覧だった。
名前は伏せられている。
年齢と寝台番号だけが書かれている。
初便の日、毛布を受け取った寝台は半数。
二日後、残りへ配布。
そこに、年長の子が年少の子へ毛布を譲った記録もあった。
マルタは、少し恥ずかしそうに言った。
「正式なものではありません。子ども同士で勝手に譲った分を、宿直が覚えていて書いただけです」
「大事な記録です」
クラリスは即答した。
「正式でなくても、現場の動きが残っています」
ミレーヌが頷きながら書く。
非正式配布メモ:年長児が年少児へ譲った記録あり。正式受領記録では見えない現場対応。
マルタは、少しだけ目を潤ませた。
「その子たちも、もう大人です」
「はい」
「でも、あの夜は子どもでした」
クラリスは、静かに頷いた。
紙の上の二日。
現場では、眠れない二日だった。
夕方、バルナス主任への短い確認が行われた。
北区孤児院の件について、彼は南施療院の時ほど硬くはならなかった。
「北孤の件は、遅延補填として処理した記憶があります」
「毛布の質への問題は?」
カレルが尋ねる。
「記憶にありません。おそらく、なかったと思います」
「孤児院側記録でも、質への不満は今のところ確認されていません」
バルナスは少し頷いた。
「それなら、G夜手配は機能したのでしょう」
「ただし、初便の日に四梱受領済み扱いとなり、実際の全数到着は二日後です」
クラリスが言うと、バルナスは口を閉じた。
「その不足期間を、財務院は記録しましたか」
「遅延補填として」
「二日間、子どもたちが二人一枚で寝たことは?」
バルナスは答えられなかった。
しばらくして、低く言った。
「そこまでは、見ていません」
「はい」
クラリスは頷いた。
「そこを記録します」
バルナスは、今度は反論しなかった。
顧問室に戻ると、報告書がまとめられた。
表題。
北区孤児院冬毛布四梱およびG夜手配確認報告
主な内容。
一、旧港湾雑費控えの「北孤」は北区孤児院の可能性高。
二、財務院記録では冬毛布四梱、遅延補填、G経由、雑へ。
三、孤児院正式受領控えでは四梱受領扱い。ただし初便二梱、残二梱後送の備考。
四、残二梱は二日後到着との孤児院証言・夜間馬車控えあり。
五、毛布の質については現時点で問題記録なし。南施療院とは性質が異なる。
六、G夜手配により残二梱が実際に到着した可能性。G経由が直ちに不正とは言えない。
七、ただし帳簿上の受領日と全数現物到着日が異なり、到着日分裂が発生。
八、不足期間中、年長児が年少児へ毛布を譲る等の現場対応あり。
九、財務院側の「補填済」処理では、二日間の不足と現場負担が見えにくい。
十、遅延補填処理において、受領扱い日、実到着日、不足期間、現場対応を分けて記録する必要あり。
クラリスは最後に一文を書いた。
北区孤児院の毛布は、薄かったのではなく、遅れていた。そして、帳簿の上では先に届いていた。
ミレーヌは、自分の札に書いた。
届いた扱いの日と、眠れた夜は違う。
イリスが、その札を見て少しだけ目を伏せた。
「寒い札ですね」
「はい」
クラリスは答えた。
国際案件の箱に、新しい報告書が入る。
北区孤児院は、南施療院と同じではなかった。
そこには薄い布ではなく、遅れた毛布があった。
G経由は、残り二梱を届けた可能性もある。
だが、帳簿は先に四梱受領済みにしていた。
二日間の不足は、補填済みの文字の下へ隠れた。
G経由急送の全てが同じではない。
だからこそ、一件ずつ見る必要がある。
次は、東療。
薬包布二梱、湿損扱。
そこでは、本当に雨だったのかを見なければならなかった。




