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第123話 G経由急送は、南だけではなかった

バルナス主任が恐れたものは、南施療院だけではなかった。


 彼は言った。


 開けば、南施療院だけで済まない。

 G経由の古い急送、雑費処理、港湾仲介、旧バルツァー期の処理まで出る。


 それは、言い訳にも聞こえた。


 だが同時に、告白にも近かった。


 どこを開けば何が出るのか、彼は知っていた。


 少なくとも、知らない者の言葉ではなかった。


 王宮筆頭実務顧問室の机には、旧港湾雑費関係の箱が三つ置かれていた。


 グレゴール参事官の許可と、王弟府の立ち会いで開かれることになった箱である。


 一つ目。


 旧港湾雑費整理・第七箱


 二つ目。


 慈善物資急送・例外処理控え


 三つ目。


 G経由急送・仮控


 最後の箱を見た時、ミレーヌは小さく息を止めた。


「G経由急送……」


「はい」


 クラリスは頷いた。


「南施療院の件でも、黒帳面紙束でも出てきた言葉です」


「ギデオン・マースのGでしょうか」


「可能性は高いです。ただし、今日も最初から断定はしません」


 ミレーヌは頷き、手帳に書いた。


 Gはギデオンの可能性高。ただし最初から決めない。


 この一文を、彼女はもう自然に書ける。


 クラリスは、それを少し頼もしく思った。


 旧帳簿保管室の老書記官モーリスが、箱の封を確認した。


「第七箱は、過去に何度か開けられております」


「記録は?」


 王弟府調査官カレルが尋ねる。


「完全ではありません。旧バルツァー財務卿時代の箱ですから」


 グレゴール参事官が苦い顔をする。


「また、それか」


 モーリスは静かに言った。


「便利に使われた言葉ですな。“旧時代だから”というのは」


 誰も否定しなかった。


 古いから仕方ない。

 昔の運用だから分からない。

 前任者の時代だから。


 そう言えば、今の者は少し楽になる。


 だが、紙の中で寒かった夜は、時代が古いからといって暖かくならない。


 クラリスは白紙に見出しを書いた。


 旧処理全体確認


 その下に、三つの欄を作る。


 南施療院。

 G経由急送。

 雑費処理。


 そして、さらに一欄。


 現場側記録の有無


「今回は、財務院側だけ見ません」


 クラリスが言うと、エリオットが頷いた。


「はい。現場側の記録と照合します」


「ただし、現場側の記録がすぐ出るとは限りません」


「分かっています」


 エリオットの声は疲れていた。


 だが、もう逃げる声ではなかった。


 一つ目の箱から出てきたのは、旧港湾雑費控えだった。


 数字が並ぶ。


 金額。

 急送費。

 保管料。

 夜間荷役費。

 仲介手数料。


 その中に、何度も同じ略字が出てくる。


 G経由


 南施療院の項目にもあった。


 南施 保温布八梱 急送差額 G経由 雑へ


 だが、それだけではなかった。


 数行下。


 北孤 冬毛布四梱 遅延補填 G経由 雑へ


 さらに別の紙。


 東療 薬包布二梱 湿損扱 G経由 雑へ


 さらに。


 西老 寝具布六梱 夜間搬入 G経由 差額雑


 ミレーヌの顔色が変わった。


「南だけでは……」


「ありませんね」


 クラリスは静かに答えた。


 北孤。


 北区孤児院かもしれない。


 東療。


 東区療養所かもしれない。


 西老。


 西区老人施療舎かもしれない。


 まだ略称だ。


 まだ確定ではない。


 けれど、G経由急送は南施療院だけではなかった。


 バルナス主任の言葉は、少なくともこの点では事実だった。


 開けば、広がる。


 実際に、広がり始めている。


 オスカーが表を作る。


 G経由急送候補一覧


 一、南施 保温布八梱 急送差額 G経由 雑へ

 二、北孤 冬毛布四梱 遅延補填 G経由 雑へ

 三、東療 薬包布二梱 湿損扱 G経由 雑へ

 四、西老 寝具布六梱 夜間搬入 G経由 差額雑


 ミレーヌが、慎重に欄外へ書く。


 略称の正式名称未確認。現物不一致とは限らない。


 クラリスは頷いた。


「大事です。G経由だから全部不正、とはしません」


「はい」


「ただし、確認対象にはします」


「はい」


 グレゴール参事官が、机に手を置いた。


「これは、財務院内だけでは収まらんな」


「はい」


 クラリスは答えた。


「慈善施設側への照会が必要です」


「二年前、三年前の記録だ。残っているかどうか」


「残っていない場合は、残っていないと記録します」


 グレゴールは、深く息を吐いた。


「顧問殿は、そればかりだな」


「はい」


「だが、今はそれが必要なのだろうな」


「必要です」


 二つ目の箱からは、急送例外処理の控えが出てきた。


 こちらは雑費控えより、もう少し具体的だった。


 G経由急送が使われた理由が短く書かれている。


 通常便不可。G手配。夜間搬入。数量一致。


 倉庫混雑。G席経由伝達。現物後。


 慈善先急ぎ。G仲介。端印略。後確認。


 また出た。


 現物後。


 端印略。


 後確認。


 これらの言葉は、南施療院だけのものではなかった。


 エリオットが唇を噛む。


「現物後、端印略……」


「はい」


 クラリスは頷いた。


「財務院の余白メモと同じ考え方です」


 数字先。

 現物後。

 布区分、今は触るな。


 それは、個人の偶然の言葉ではなく、運用の中で使われていた可能性がある。


 ミレーヌが、ぽつりと言った。


「これ、手口というより、癖ですね」


 クラリスは妹を見た。


「癖?」


「はい。誰か一人が一回やったというより、何度も同じように“後で見る”“雑へ入れる”“数量は合っている”で流している感じがします」


 部屋が静かになった。


 オスカーが、すぐに記録する。


 運用癖の可能性:特定の一件ではなく、数量一致・現物後・雑費化・G経由を組み合わせる処理が反復していた可能性。


 クラリスは、ミレーヌの言葉を受けて見出しを書き足した。


 反復処理


 定義。


 一度限りの例外ではなく、同様の略称・処理語・回送経路が複数案件で繰り返され、運用として定着していた可能性のある状態。各案件の中身は個別確認が必要。


「よい言葉です」


 クラリスが言うと、ミレーヌは少しだけ目を伏せた。


「嬉しくないですが」


「ええ。嬉しくない言葉です」


 三つ目の箱、G経由急送・仮控は、さらに厄介だった。


 正式帳簿ではない。


 おそらく、港湾仲介人ごとの手配メモを後で整理するための仮控えだった。


 そこには、Gの横に、ときどき小さく別の文字が添えられている。


 G席

 G人

 G札

 G夜


 ミレーヌが首を傾げた。


「全部違うのですか」


 モーリスが答える。


「おそらく。G席は濡れ帆亭のような連絡席。G人はギデオン本人またはその手配人。G札はギデオン名義の荷札。G夜は夜間手配でしょう」


「ギデオン本人とは限らない?」


「はい。Gという字で、人も席も札も手配もまとめていたのでしょう」


 クラリスは思わず目を閉じた。


 まただ。


 人名が、場所になり、札になり、手配になり、夜間処理になる。


 Gは一人ではない。


 Gは仕組みになっている。


 オスカーが記録する。


 Gの多義化:G席、G人、G札、G夜など、人名・場所・名義札・夜間手配が同じGで処理され、責任主体が不明化。


 エリオットが低く言った。


「ギデオン一人を捕まえても、全部は分からないかもしれません」


「はい」


 クラリスは答えた。


「Gは人であり、経路です」


 ミレーヌが、自分の手帳に書いた。


 名前が経路になると、人が消える。


 その一文は、今日の箱によく合っていた。


 午後、バルナス主任が呼ばれた。


 G経由急送の複数項目を見せられた彼は、しばらく黙っていた。


「覚えていますか」


 カレルが尋ねる。


「すべてではありません」


「南施療院以外にも、G経由急送が複数あります」


「港湾では、そういう処理がありました」


「あなたは知っていた」


「知っていました」


 はっきりした返答だった。


 クラリスは、表情を変えないようにした。


 バルナス主任は続けた。


「ただし、G経由だから不正というわけではありません。通常便が使えない時、仲介人を使うことはあります」


「その点は分けます」


 クラリスは答えた。


「問題は、G経由、雑費処理、現物後、端印略が重なっている案件です」


 バルナスは、目を伏せた。


「それは、当時の港湾の悪い癖でした」


 ミレーヌが小さく反応した。


 癖。


 同じ言葉が、バルナス主任の口から出た。


「悪い癖、と認識していたのですか」


 クラリスが尋ねる。


「はい」


「なら、なぜ直さなかったのですか」


 バルナスは、すぐには答えなかった。


「直せる立場ではありませんでした」


「主任でした」


「主任は、現場を止められません。上が急げと言い、慈善先が急ぎ、倉庫が詰まり、港湾仲介人が“通せる”と言う。そこで一つ一つ止めれば、物資そのものが届かなくなる」


「届いた扱いで薄い布が届くこともありました」


 バルナスは顔を上げた。


 その目には疲労があった。


「当時は、届かないよりはましだと考えていました」


 部屋が静まり返った。


 届かないよりはまし。


 それは、現場を知らない者の言葉にも聞こえる。


 だが、当時の混乱の中で本当にそう考えていた可能性もある。


 だからこそ、危うい。


「南施療院は寒かったと記録しています」


 クラリスは言った。


「はい」


「届いた扱いの布で、寒かった」


「……はい」


「それでも、届かないよりはまし、ですか」


 バルナスは、答えなかった。


 沈黙。


 長い沈黙だった。


 やがて彼は、低く言った。


「今は、そう言えません」


 クラリスは頷いた。


「記録します」


 ミレーヌは、震える手で書いた。


 バルナス主任証言:G経由・現物後等は当時の港湾の悪い癖と認識。届かないよりはましと考えていたが、今はそう言えないと証言。


 カレルが続けた。


「G経由急送の中で、南施療院以外に問題が表面化したものは?」


 バルナスは表を見た。


「北孤」


「北区孤児院?」


「おそらく。冬毛布の件で、遅延と布質の相談があった記憶があります」


「東療は?」


「薬包布の湿損。これは本当に雨で濡れた可能性があります」


「西老」


「夜間搬入。寝具布。ここは……」


 彼は少し言葉を切った。


「何か?」


「古い苦情がありました。暖まりが弱い、と」


 また、暖まりが弱い。


 南施療院の日誌と同じ言葉に近い。


 クラリスは、胸の奥が冷えていくのを感じた。


 バルナス主任は、すべて知らなかったわけではない。


 むしろ、かなり知っている。


 ただ、それを「旧処理」「悪い癖」「届かないよりまし」という言葉で押し込めていた。


 その結果、現場の寒さは処理済みになった。


 夕方、確認結果がまとめられた。


 表題。


 旧処理全体およびG経由急送候補確認報告


 主な内容。


 一、旧港湾雑費控えおよびG経由急送仮控から、南施療院以外にも複数のG経由急送候補を確認。

 二、候補として、北孤、東療、西老等の略称あり。正式名称未確定。

 三、G経由にはG席、G人、G札、G夜など複数表記があり、人名・場所・名義札・夜間手配が混在。

 四、G経由、雑費処理、現物後、端印略、後確認などの語が複数案件で反復。

 五、特定一件ではなく、数量一致・現物後・雑費化・G経由を組み合わせる運用癖の可能性。

 六、ただし各案件が全て現物不一致・不正であるとは断定不可。個別照合が必要。

 七、バルナス主任は、G経由・現物後等を当時の港湾の悪い癖と認識していたと証言。

 八、当時は届かないよりましと考えていたが、南施療院記録を踏まえ、今はそう言えないと証言。

 九、北区孤児院・西区老人施療舎等、現場側記録照会が必要。

 十、Gは人であると同時に経路化しており、責任主体が不明化している可能性。


 クラリスは最後に一文を書いた。


 G経由急送は、南施療院だけではなかった。ただし、広がった疑いほど、ひとつずつ現物と現場の記録で確かめなければならない。


 ミレーヌは、自分の札に書いた。


 疑いが広がる時ほど、一つずつ見る。


 イリスがそれを見て、静かに頷いた。


「大事な札でございます」


「はい」


 クラリスは国際案件の箱を開いた。


 また一枚、報告書を入れる。


 箱は重い。


 だが、重くなるほど、雑に扱ってはいけない。


 G経由急送は、南だけではなかった。


 北孤。

 東療。

 西老。


 略称の向こうに、人がいるかもしれない。


 寒かった夜が、また別の場所にもあったかもしれない。


 けれど、疑いだけで裁かない。


 現場の記録を見る。


 現物の足跡を見る。


 届いた扱いではなく、届いたものを見る。


 次に開くべきは、北区孤児院の冬毛布の記録だった。

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