第126話 西区老人施療舎の寝具布は、夜にだけ暖かく見えた
西老。
その略称は、旧港湾雑費控えの中で、他の記録より少し重く見えた。
西老 寝具布六梱 夜間搬入 G経由 差額雑
南施療院は、薄い布だった。
北区孤児院は、届いた日が二つあった。
東区療養所は、本当に濡れていた。
では、西老――西区老人施療舎では何があったのか。
バルナス主任は、古い苦情があったと言った。
暖まりが弱い。
その言葉は、南施療院の日誌にも近かった。
だが、同じと決めてはいけない。
クラリスは、顧問室の机に新しい紙を置いた。
西区老人施療舎 寝具布六梱確認
「また、別の案件ですね」
ミレーヌが言った。
「はい」
クラリスは頷いた。
「南施療院とも、北区孤児院とも、東区療養所とも分けます」
「共通しているのはG経由。でも、問題の中身は違うかもしれない」
「その通りです」
オスカーが表を作る。
財務院記録
施療舎側記録
夜間搬入記録
寝具布の用途・等級
差額雑の意味
現場負担
イリスが茶を置きながら、静かに言った。
「夜に運ばれた布は、朝になると違って見えることがございますね」
「見た目が?」
「灯りの下では、厚く見えるものです。朝の光で見ると、薄さが分かる」
クラリスは、少しだけ目を細めた。
「今日は、その朝の光を探します」
西区老人施療舎から来たのは、現管理人のヨハン・リースだった。
五十代後半の男で、背中が少し曲がっている。
だが、手は大きく、力仕事をしてきた人の手だった。
老人たちの寝台を動かし、薪を運び、古い床を直してきた手。
彼は椅子に座ると、最初に言った。
「あの冬の布のことは、覚えています」
クラリスは静かに頷いた。
「なぜですか」
「夜中に来たからです。老人たちが寝静まった後で、裏口を叩かれました。六梱あると言われたが、暗くてよく見えなかった」
「灯りは?」
「油灯が二つ。倉庫まで運ぶだけで精一杯でした」
ヨハンは、古い受領控えを出した。
そこには、こう書かれていた。
王宮慈善寝具布 六梱 夜間受領。外装濡れなし。翌朝開封確認。
ミレーヌが書く。
夜間受領。翌朝開封確認。
クラリスは、次の記録を待った。
ヨハンは、少し言いにくそうに別紙を出した。
翌朝の寝具係日誌だった。
六梱中、四梱は冬用寝具布。二梱は軽い。暖まり弱し。敷き布に回す。上掛けには不向き。
部屋が静かになった。
南施療院と似ている。
だが、まったく同じではない。
西区老人施療舎では、六梱全部が悪かったわけではない。
四梱は冬用寝具布。
二梱が軽い。
そして、現場はそれを上掛けではなく、敷き布に回した。
「二梱だけ、用途が違った可能性がありますね」
クラリスが言うと、ヨハンは頷いた。
「当時の寝具係も、そう言っていました。これは上に掛けるものじゃない、下に敷くものだ、と」
「端印は?」
「そこが問題でして」
ヨハンは、さらに紙を出した。
そこには、寝具係が描いた簡単な印の写しが残っていた。
四梱には、冬用寝具布の端印。
二梱には、似ているが一部だけ違う簡略印。
日誌にはこうある。
端印、冬寝具に似るも線一本少なし。倉庫係、同等品と言う。
ミレーヌが顔を上げた。
「線一本少ない……」
「はい」
クラリスは頷いた。
「南施療院の端印違いと似ていますが、こちらは二梱だけです」
オスカーが記録する。
西区老人施療舎記録:六梱中四梱は冬用寝具布。二梱は軽く、端印に差異。現場判断で敷き布へ転用。
財務院側の控えを確認すると、問題の行はこう続いていた。
西老 寝具布六梱 夜間搬入 G経由 差額雑
さらに、急送例外控えには。
冬寝具四、軽寝具二。同等扱。差額、雑へ。
エリオットの顔がこわばった。
「“同等扱”……」
「同等ではなかったのですね」
ミレーヌが言う。
クラリスはすぐには頷かなかった。
「用途が違った可能性があります。冬用上掛けとして同等ではない。ただし、敷き布として使える布だった可能性もあります」
「だから、現場は敷き布に回した」
「はい」
ヨハンが低く言った。
「使えない布ではありませんでした。ただ、求めていたものではなかった」
その言葉は重要だった。
使えないわけではない。
だが、必要な用途とは違う。
財務院の「同等扱」と、現場の「使えなくはないが違う」の間に、寒さが生まれる。
クラリスは白紙に書いた。
用途ずれ
定義。
現物自体は使用可能であっても、本来求められた用途・季節・現場条件に合わず、別用途へ回される状態。数量一致・同等扱では現場負担が見えにくい。
ミレーヌは、自分の手帳に書いた。
使える布と、必要な布は違う。
ヨハンはその言葉を見て、深く頷いた。
「その通りです」
次に問題になったのは、「差額雑」だった。
六梱のうち二梱が軽寝具だったなら、本来、価格差がある。
財務院控えには、その差額が雑費へ入れられていた。
エリオットが説明する。
「おそらく、冬用寝具布六梱として処理した後、二梱分が軽寝具だったため、差額を雑費で調整した形です」
「なぜ返金や再納品ではなく雑費へ?」
クラリスが尋ねると、エリオットは苦い顔をした。
「夜間搬入で、慈善物資で、急ぎだったから……という理屈でしょう」
「便利な理由が三つ並びましたね」
「はい」
ミレーヌが書く。
夜間搬入・慈善物資・急ぎが、差額雑処理の理由にされた可能性。
ヨハンは、少し困ったように言った。
「当時、こちらは差額など知りませんでした。ただ、二梱が軽いと伝えたら、“同等扱いで処理済み”と言われたと記録にあります」
「誰に?」
「記録では、港湾側の使い、とだけ」
また、名のない使い。
しかし、言葉は残っている。
同等扱いで処理済み。
クラリスは、その言葉を記録させた。
処理済み。
また、その言葉だ。
現場が違うと言っても、処理済み。
使えるが必要と違うと言っても、処理済み。
差額は雑へ入っても、現場の二梱は敷き布に回る。
夜間搬入の記録も確認された。
御者控えには、こうある。
G夜。西老。寝具六。裏口搬入。受領急ぎ。照合翌朝。
G夜手配は、実際に六梱を運んでいる。
ここでも、G経由そのものが架空だったわけではない。
問題は、中身の構成と、同等扱いと、差額雑だった。
「G夜手配は機能した。しかし、内容は混在していた」
クラリスが言うと、オスカーが記録した。
G夜手配により六梱は実到着。ただし冬寝具四・軽寝具二の混在。
ヨハンは、古い病床日誌も出した。
そこには、寒さの記録があった。
上掛け不足。軽布は敷きへ。足元冷える者多し。薪追加。
そして、別の日。
北側寝台、夜間冷え強し。軽布を上掛けに試すも暖まり弱し。古毛布重ねる。
ミレーヌの筆が少し震えた。
南施療院ほど直接的ではない。
北区孤児院ほど子どもたちの記録ではない。
東区療養所のような薬務遅延でもない。
だが、ここにも現場負担がある。
老人たちは、足元が冷えた。
薪を追加した。
古毛布を重ねた。
クラリスは、静かに言った。
「これも、差額雑だけでは見えませんね」
「はい」
エリオットが答えた。
その声は、かなり疲れていた。
午後、バルナス主任への確認が行われた。
西区老人施療舎の記録を見せられた彼は、しばらく黙っていた。
「これは、覚えています」
初めて、彼はそう言った。
クラリスは顔を上げた。
「どの部分を?」
「冬寝具四、軽寝具二。同等扱い。差額雑」
「あなたの判断ですか」
「最終判断は、私だったと思います」
部屋の空気が変わった。
カレルが静かに尋ねる。
「なぜ同等扱いに?」
「軽寝具も、寝具としては使える布でした。完全な不良品ではない。再納品を求めれば時間がかかる。老人施療舎には、今すぐ布が必要だった」
「上掛けには不向きだった」
「当時、その点は軽く見ました」
「差額雑は?」
「価格差を処理するためです」
「現場への説明は?」
「……港湾側へ任せました」
「西区老人施療舎には、“同等扱いで処理済み”と伝わっています」
バルナスは目を伏せた。
「そうでしょうな」
「そうでしょうな、ですか」
クラリスの声は静かだった。
しかし、いつもより少し冷たかった。
バルナスは、その冷たさに気づいたように口を閉じた。
クラリスは続けた。
「使える布と、必要な布は違います」
バルナスは、何も言わない。
「当時、その違いを見ましたか」
「見ませんでした」
「なぜ」
「数字上は調整できた。寝具として使える。急ぎだった。そう判断しました」
「現場が敷き布へ回し、薪を追加し、古毛布を重ねた記録があります」
「……今なら、同等扱いとは書きません」
その言葉は、低かった。
クラリスは記録する。
バルナス主任証言:西老件は記憶あり。冬寝具四・軽寝具二を同等扱いとし、差額雑で処理した最終判断は自身だったと思うと証言。当時は使える寝具として見たが、今なら同等扱いとは書かない。
これは大きな証言だった。
南施療院のように否認が続くのではない。
北区孤児院のように遅延補填だけでもない。
東区療養所のように雨が主因でもない。
西区老人施療舎では、バルナス主任の判断がかなり明確に出た。
使えるから同等。
差額は雑。
現場の用途ずれは軽視。
それが、寝台の冷えにつながった。
夕方、報告書がまとめられた。
表題。
西区老人施療舎寝具布六梱および差額雑処理確認報告
主な内容。
一、旧港湾雑費控えの「西老」は西区老人施療舎の可能性高。
二、財務院記録では寝具布六梱、夜間搬入、G経由、差額雑。
三、施療舎側記録では夜間受領、翌朝開封確認。
四、六梱中四梱は冬用寝具布、二梱は軽く、端印に差異。
五、軽寝具二梱は上掛けに不向きと現場判断され、敷き布へ転用。
六、G夜手配により六梱は実到着。ただし冬寝具四・軽寝具二の混在。
七、財務院側では冬寝具四・軽寝具二を同等扱いとし、差額を雑費処理。
八、現場では足元冷え、薪追加、古毛布重ね等の負担記録あり。
九、バルナス主任は同等扱い・差額雑処理の最終判断が自身だったと思うと証言。
十、当時は使える寝具として見たが、今なら同等扱いとは書かないと証言。
十一、数量一致・使用可能性だけでなく、用途・季節・現場条件を確認する必要あり。
クラリスは最後に一文を書いた。
西区老人施療舎の寝具布は、届いていた。だが、六梱すべてが必要な暖かさを持っていたわけではなかった。
ミレーヌは、自分の札に書いた。
使えることと、足りることは違う。
イリスが、それを見て静かに頷いた。
「これは、布だけではない言葉ですね」
「はい」
クラリスは答えた。
国際案件の箱に、新しい報告書が入る。
西区老人施療舎の寝具布は、届いていた。
しかし、二梱は軽かった。
上掛けにはならず、敷き布に回った。
差額は雑費で処理された。
帳簿では調整できた。
だが、老人たちの足元は冷えた。
G経由急送は、また別の顔を見せた。
欠品ではない。
雨でもない。
完全な不良品でもない。
用途ずれ。
同等扱い。
差額雑。
そして、現場の冷え。
これで、南施療院、北区孤児院、東区療養所、西区老人施療舎の輪郭が見え始めた。
次は、それらを並べる番だった。
同じものと違うものを分け、旧処理全体が本当に何を隠していたのかを整理しなければならない。




