見えない壁
『運よくホーガンを凌いだ少年の、つーーーぎの相手は誰だぁ?!』
煽るような実況が響く中、湾刀を手にした一人の男が、フラフラとした足取りでリングへ上がってきた。
『おおーーと!次はこの男!裏ならではの剣術使い!戦績67勝224敗、パンチドランカーの斬り裂き魔・ギャリスだぁーーー!』
相手の姿を見た少年は、慌ててリング下へと身を乗り出した。
「師匠!あの人武器持ってますよ!あんなのいいんですか?!」
「まぁ、裏だしな」
パイプ椅子に腰深く座り直した師匠は、他人事のように短く返事をするだけだった。
釈然としないまま、少年はリングの立ち位置に戻るために歩き出す。
(師匠から教わった対刃物の戦法、ちゃんと通用するのかな……)
一抹の不安が脳裏をよぎったその時、実況の声が一段と大きくなった。
『そしてこの男の異名がもう一つ!』
その言葉と同時に、ギャリスの濁った両目が、無警戒に歩き出した少年の小さな背中を捉えた。
男の顔から表情が消え、ろれつの回らない、掠れた声が漏れ出す。
「せなか……せなかぁ……!」
ギャリスが背を向けている少年へと、音もなく襲い掛かる。
「悠真!」
師匠の鋭い掛け声に反応し、とっさに振り返る。
だが一瞬遅く、ズサっという鈍い音とともに肩口の服が切り裂かれ、一筋の鮮血が宙に舞った。
「でたー!ギャリスお得意の不意打ちです!ルールブックに不意打ち禁止など書かれていないためこれもセーフ!」
ギャリスは切り裂いた手応えに狂喜し、両手を挙げて大喜びで飛び跳ねている。
浴びせられる激しいブーイングすら、彼の耳には入っていないようだ。
『ギャリスの異名『新人殺し』!なにも知らない新参者がことごとくこの男の毒牙にかかり、勝利のほとんどがそれによるもの!度重なる敗北によるパンチドランカーとなってもこの卑怯さ加減は変わることを知らず!今日も新人を切り裂きにやってきた!』
実況の解説が熱を帯びる。
『これにはあの男もさっきまでの余裕の表情が消えたーーー!裏闘技場の洗礼を前に少年はここまでだーーーー!』
ーーー
「悠真」
「あ、師匠!おかえりなさい」
少し前のこと。
日課の修行に励む悠真に、背後から声をかけてきた師匠は、どこか神妙な面持ちで口を開いた。
「悠真、タバコの修行はどうだ」
「ようやくなんとかって感じです!風さえなければ揺れないようにまっすぐ煙を伸ばせるようになってきました!」
「よし悠真、師匠からお前にありがたーい技を1つ教えよう」
「いきなりどうしたんですか師匠、改まって」
「お前に刃物を持った相手への戦い方を教える。と言ってもその場しのぎだけどな。お前のオーラを固めても肉体と刃物じゃ物質としての強さが違いすぎる、真正面から戦って勝てる力はまだない」
「そう面と向かって言われるとなんか嫌ですね。で、なにをするんですか」
身構える弟子に、師匠は事もなげに言い放った。
「そうだな。刃物を持った相手と戦うってなったら、お前1回斬られろ」
「は?」
「え、いま師匠なんて言ったんですか?!聞き間違いですよね??斬られろって言いました??!バカなんですか?!!」
「落ち着けって。ただ斬られるんじゃない。斬られる振りでいい」
「いや、わけわかんないですよ」
パニックになる少年を、師匠は手で制しながら解説を始める。
「お前はオーラの扱いだけはだいぶマシになった。それだけで見たら並大抵のやつらよりよっぽどだ。体の一部にオーラを集めるので精一杯ってやつも多い。できて武器にオーラをまとわせるやつがたまにいるくらいだ。だがお前はどうだ。タバコから出る煙にオーラをまとわせて動きを制御できる。気体にオーラをまとわせて操る段階まですすんだ」
「師匠ー、話の筋がまるで見えてこないです」
「つまり、お前はいま相手に見えない武器をいつでも手に持ったって状態だ。そしてそれは防御にも使える」
「あっ」
ようやく脳裏に閃くものがあった少年を見て、師匠はニヤリと笑った。
「やっとわかったか。身体の周りに空気の壁を作ってそれを斬らせる。相手が達人でもなけりゃ斬った感触でそれが肉体かどうかわかりゃしねぇよ。油断したところをお前が本気で殴れば勝てねぇやつはいねぇ」
ーーー
実況が勝負の終わりを確信した、まさにその時。
喜びに沸くギャリスのすぐ傍ら、その脇腹あたりに、いつの間にか少年が突きの構えをとって静かに佇んでいた。
「……どうしようかと思ってたんです」
突然の背後からの声に、ギャリスの身体がビクリと強張る。
「……ぁ?」
ゆっくりと振り返ったギャリスの目に飛び込んできたのは、肩を浅く切られただけで、何事もなかったかのように静かに拳を引いて立つ少年の姿だった。
刃物には、肉を断ったはずの確かな手応えがあった。
それなのに、なぜ少年はまだ立っている。
「裏って聞いてたのに、ホーガンさんみたいな良い人ばかりだったらどうしようかって。……でも、あなたになら」
鋭く放たれた少年の突きがギャリスの脇腹へ深く突き刺さり、その肉体をリングの端まで容赦なく吹き飛ばした。
『おおおおーーーーっと!斬られたはずの少年がたっている!それどころか一撃をギャリスの脇腹にぶち込んだーーー!』
悶絶する男を見下ろし、少年は冷徹な眼差しで言い放つ。
「あなたになら、本気で打ち込めます!」
その一撃を特等席で見届けた男は、ようやくいつものニヤケ顔を取り戻した。
「ま、ギリ及第点かな」
(防御が遅れてすこし斬られた……。けど、まだ全然動ける……!)
肩口の傷を確かめながら、少年はふぅと息を吐いた。
リングの反対側では、先ほどの一撃を食らった男が無様に転がっている。
『ギャリス、リングのふちでのた打ち回ってたてない!だが少年は追撃しない!』
煽る実況をよそに、少年は刀を握ったままの男を見下ろした。
「今のも不意打ちですから、最初のはこれで おあいこ にしてあげます!」
「ひゃ、ひ、ひゃ……」
ギャリスは恨めしげな声を漏らしながら、ゆっくりと身体を起こした。その目は完全に血走っている。
「ひ、ひ、」
一歩一歩と少年へと近づいていく。
「ヒャーーーーーッ!」
ものすごい形相で刀を天に掲げ、再び少年に向けて狂ったように襲い掛かった。
しかし、その動きは少年の目にははっきりと見えていた。
(やっぱり、さっきのが効いてる。よけれない太刀筋じゃない!)
降りかかる凶悪な斬撃を身体を半身ずらして紙一重でかいくぐる。
刃が、フワリと揺れる前髪を一枚かすめて虚空を斬った。
次の瞬間、少年はすでにギャリスの懐にいた。
「ヒグッ!ギャ……カッ!!」
渾身の正拳が、ギャリスの腹部へめり込む。
ドバッと胃液をぶちまけ、男がくの字に折れ曲がった。
静まり返る会場。ワンテンポ遅れて、実況の絶叫が鼓膜を震わせた。
『カウンターーーーッッ!!』
二度目の強烈な一撃に、ギャリスはのたうち回るしかできない。
「ふぅ、もういいですよ。負けを認めたならそこでじっとしててください」
ギャリスは苦痛に顔を歪めながらもコクコクと首を縦に振る。
それを見届け、少年はこれ以上の戦意なしと判断して自分の陣営へと歩き出した。
遠ざかっていく少年の背中が瞳に映り込むと、その衝動が痛みを忘れ去らせる。
「せなか……背中、背中ぁーーー!」
至近距離まで迫った瞬間、奇声を上げて少年へとびかかった。
しかし、次の瞬間、鋭い風切り音とともに少年の後ろ蹴りが、ギャリスの顔面へと深く沈み込んでいた。
鈍い衝撃音とともに、ギャリスは膝から崩れ落ち、完全に消沈してリングに転がる。
少年は振り返りもせず、呆れたように呟いた。
「2度もひっかかるわけないじゃないですか」




