粉砕者の拳
ガビィッーーーーー!
激しいマイクのノイズ音が場内に響き渡る。
『本日も始まりました!この地区一番の裏闘技場!つってもここしかねーけどな!』
実況のいつものノリなのだろう。爆笑するでも滑るでもなく、ほどほどの笑いが場内を包み込んだ。
『今回のチャレンジャーは、なんとこの小さな少年!前回われらを襲った悪魔のごとき男の手にかかり、まんまと連れてこられた哀れな少年!はたしてこの少年が今日を生き残れるのでしょうか?!』
盛り上げる実況の声に、観客たちが少年へ同情の目を向ける。
『この少年も我らと同じ被害者の一人、ここは優しく応援してあげましょうじゃないですか!闘技者も死なないように手加減してくれることでしょう!たぶん!運の良いラッキーな野郎はだれだぁーー!?ええい、早い者勝ちだぞ!』
その時、リング下に座る男の雰囲気が、ふっと変わった。
「悠真、相手のお出ましだぜ」
少年の立つ反対側のリングから、少年よりはるかに大きい、筋肉の塊のような巨漢が姿を現した。
少年の雰囲気もまた鋭く変わり、その目から強い集中が伝わってくる。
『おおっと!いきなり割り込んできたのは、われらが拳闘士、戦績872勝122敗、粉砕者・ホーガンだぁーーー!おいおいホーガン、大人気ねぇぞ!新人ボーナスを一人占めする気かよーーー!』
場内にすさまじい歓声が響き渡る。おそらくここでも特に人気の闘技者なのだろう。
対する巨漢のホーガンは、気だるげにつぶやいた。
「今日はもともと俺の予定だっただろ……」
『恐るべきはこの体格差!3倍、いや4倍!5倍はありそうだ!この体格差でどう戦う!ていうかどういうつもりなんだぁーーーー!?』
少年の目に恐れはなかったが、じわりと額に汗が流れていく。
でかい。これのどこがちょうどいいというのか。
少年はリング下でニヤつく師匠を、心底恨めしげに睨みつけた。
『さあ、対戦相手がホーガンとなっちゃあ、まともな賭けにすらなりゃしねえ!今、うちのブックメーカーが弾き出した少年のオッズは……なんと100倍だぁーーーー!』
そこへ、男が思い出したかのようにリング下の受付からひょっこり戻ってきて、リングの上の少年に楽しげに話しかけた。
「あ、そうそう、お前に有り金全部賭けてきたから負けんなよー!オッズ100倍の大儲けだぜ!」
ずっとおとなしかった少年も、その言葉に思わず素っ頓狂な声を上げた。
「え、お金持ってたんですか?!お金あるなら言ってくださいよ!お金がないと思ったから怖いの我慢して出てあげたのに!次の修行を餌にするくらいだからてっきり!」
「おい、ちょ、バカ、声がデけぇ!言うな!」
慌てる男の制止も虚しく、その声を実況は聞き逃さなかった。
『おおおおーーーーっと!とんでもない会話を聞いちまったぞ!聞いていた話と少し違うようだ!どうやらあのガキ、しっかり悪魔の弟子くさいぞ!しかもあの男、弟子をダシにして一攫千金を狙ってやがる!』
観客席から一斉に凄まじいブーイングが巻き起こる。
『そうだ、あの悪魔に金を渡すなーーー!そうとなればホーガン、手加減無用!盛大にあのガキを殺して、あの男への恨みを晴らしてくれーーーい!』
男は内心で舌を打った。
(ちっ、手加減してもらう作戦はパーか。自信のない悠真のことだからな、最初の1回は楽に勝たせてやりたかったが)
ゴーグルをしていてもわかるほど、男はバツが悪そうに少年から目線をそらす。
「師匠!本当に最低ですからね!」
『誰がどう見たって結果はわかりきっている!あの男は馬鹿なのか?自らの弟子を死なせに来たのか?まさか勝てるっていうんじゃねぇだろうなぁーー?!』
自分の席に座り直した男は、つまらなそうに鼻を鳴らした。
(ちぇっ、言いたい放題いってくれるぜ)
『おっといっぱいしゃべっちまった!みんな待たせたな!それじゃあ処刑の時間だ!レディーーーーーー!』
張り詰める緊張。この一瞬だけ、会場は水を打ったように静まり返った。
『ッゴーーーーーーーーーー!!!』
客席の男は黙ってリングの上の2人を見ている。
「やりづれぇったらありゃしねぇ」
巨漢のホーガンはため息交じりに呟きながら、ゆっくりと少年へ近づいていく。
(オーラすらまとえねぇずぶの素人、それも声変わりすらしてねぇただのガキじゃねぇか)
目の前の小さな姿に、内心でそう毒づいた。
「おいガキ、ケガする前に早いとこ棄権しちまいな」
しかし、少年は真っ直ぐに相手を見据えたまま、頑なに構えを解かない。
『先に動いたのはホーガン!少年は動けない!つーかこのガキに何ができる?!』
「くそったれ」
実況が煽る中、ホーガンは少年に向けて拳を軽く振り下ろした。だが、少年は身軽な動きで軽々とそれをよけてみせる。
その瞬間、リング下から大きな不満の声が飛んだ。
「おいてめぇ!まじめにやりやがれ!修行になんねぇだろ!」
男が巨漢に対して堂々とヤジを飛ばしている。
(うっ、おめぇの弟子がケガしねぇように手加減してやってんだろ。……あぁクソ、どうなっても知らねーからな)
ホーガンは内心でイラつきを募らせた。
『ホーガンまさかの少年に手加減かーー??!構わねぇ!そいつはあの男の弟子だ!お前に処刑されるのをみんな待ち望んでる!めちゃくちゃにやってやりゃあがれぇーーー!』
「ほんとうによぉ、やりづれぇったらありゃしねぇ!」
ホーガンは今度は打って変わって、凄まじい勢いで殴り掛かった。
少年はとっさに両腕でガードしたものの、その防御している手の上から強引に殴り飛ばされる。
「ウッ!」
衝撃で地面を転がる少年に、またしてもリング下から容赦のないヤジが飛ぶ。
「てんめぇ!人の弟子に何してくれやがんだ!」
勝手な物言いに、ホーガンは小さく歯噛みした。
「おめぇが本気でやれって言ったんだろ……!俺にどうしろってんだ……!」
師匠には届かないほどの声でつぶやく。
そんなホーガンの困惑を置き去りにして、会場は一気に沸き立った。
『クリーンヒット!これは決まった!数々の闘技者を粉砕してきたホーガンの一撃が少年を襲ったー!』
場内に凄まじい歓声が響き渡る。
これで終わりだと、巨漢は倒れた少年へ視線を向けた。
(……どうやら、そうはいかねぇようだ)
少年は足元をふらふらとさせながらも、ゆっくりと、確実に体を起こしていく。
『立った!少年があの一撃を受けてなお立ち上がる!ホーガンまたしても手を抜いたか!』
(なんだ、なぜ立てる。死にはしねぇまでも、受けた手は砕けてあばらも折れたはずだろ……)
驚愕するホーガンの眼に、少年の体からじわりと湧き出る陽炎のようなオーラが映り込んだ。
(な、まさか目視できないように、皮膚の下ぎりぎりをオーラで守ってたのか!どうやら素人って舐めてかかると痛い目見るな。でもなぜだ?わざと殴らせたのか……?)
ホーガンは焦って自身の腕に目を配るが、特に異常はない。
(いや、異常はない。殴られることが条件の能力ではないと見ていい。だとしたら目的はなんだ、油断させてからの不意打ちか?)
対する少年は、激痛に耐えながら冷や汗を流していた。
(い、痛い……。手がピリピリする。なんとか初撃はしのいだけど、痛みで集中が切れた。できるならオーラが使えることは隠したかったけど無理だ……)
巨漢のホーガンは、再びゆっくりと少年へ視線を巡らせ、その違和感の正体に気づいた。
(なんだ、こいつのオーラの固め方は。大半を首から上に、べっとりと集中させていやがる……)
少年はふらつきながらも立ち上がり、再び構えをとる。そして、残されたわずかなオーラを拳にまとわせた。
(そうか、的を絞らせる寸法か!確かにあれだけ頭部をガチガチに固められちゃ、並みの防弾ヘルメットより硬ぇ。下手すりゃ殴った俺の拳がイカれちまうな。最初から頭部への攻撃は選択肢から外せってか。攻撃される場所をあらかじめ胴体や足に限定し、そこをピンポイントで守る気だな)
ホーガンは拳を強く握りなおした。
(だが気に食わねぇな、俺に読みかつ気でいやがる。坊主、俺を相手にその戦法じゃ1回のミスが命取りだぞ)
「なのに、なのに、てめぇはどうしてこうも攻めに出れる?!」
防戦一方になるかと思われた。しかし、少年の目は死んでいない。
少年は息をつく暇も与えない猛攻に打って出た。
「猛攻!猛攻につぐ猛攻!まさかの今度は少年が攻めに出れたぁぁーーーー!」
場内に響き渡る実況を背に、ホーガンは巨体を揺らしながら、少年の繰り出す手足を紙一重でいなしていく。
(あぁ、いい才能だぜ。俺でも全身に薄くオーラをまとわせるのが関の山だってのに、このガキ、攻撃が当たる寸前にオーラの塊を高速でズラしてフェイントをかけやがる。オーラの扱いだけなら、俺よりよっぽど上だ、こりゃあ)
だが、少年が放った決死の拳を、ホーガンは強引に腕で受け流し、ガラ空きになった少年の腹部へ蹴りを叩き込んだ。
「だがな!それじゃあ俺には勝てねぇ!」
「ホーガンの蹴りが少年の腹に直撃だぁーーーー!これは決まったか?!いや、これは死んでしまったか?!」
衝撃で吹っ飛び、リングのふちで腹部を押さえてうずくまる少年。
(重い……。血の味……。骨……折れた?内臓潰れる……。逃げ出したい……)
容赦のない実況がさらに会場を煽る。
『生きてる!少年はまだ生きている!なんというしぶとさだ!』
ホーガンはうずくまる少年を見下ろした。
「師匠に教わらなかったか?純粋な肉弾戦における強さってなぁ、鍛え上げた肉体の強さとオーラ量、その掛け算で決まっちまう!あの男がそれを知らねぇはずもねぇ!」
少年は、激しく咳き込みながらも、ゆっくりと身体を起こしてホーガンを睨みつける。
「見ろよ。てめぇの攻撃をいくつかまともに食らったが、この鎧みてぇな俺の筋肉にとっちゃ大したダメージじゃねぇ」
自身の分厚い胸板を叩いて見せつけた。
「だが坊主、てめぇはどうだ?1発、最初のを含めても2発だ。たった2発食らっただけでそのダメージだ。いくら部分的にオーラを固めたところで、素の肉体差は埋まらねぇ。わかるか、これが絶対的な力の差だ」
痛みに耐えて何も言えない少年に、どこか憐れむような声音で語りかける。
「てめぇがあの男を慕ってるのは見りゃわかる。だがよ、あいつはろくでもねぇ野郎だ。俺はこの世界で20年、いろんなクズを見てきた。そんな俺が断言してやる、あの男は間違いなく本物のクズだ。弟子がこんな目に遭ってんのに、戦いを止めもせずにニヤニヤ見てやがる」
少年はようやく体を完全に起こし、ホーガンをまっすぐ見つめた。
その瞳に諦めの色はまるでない。
それを見たホーガンはやれやれと肩をすくめる。
「それくらいの年頃じゃ、大人を疑うってことを知らねぇか。……てめぇのためだ、棄権してあの男との縁を切っちまいな。言っとくが、次の攻撃は手加減しねぇ。そろそろ終わらせてもらうぜ」
少年は、口元の血を拭うと、不敵に小さく笑った。
「忠告、ありがとうございます!でも、師匠がろくでもないクズなんてこと、分かっててこれまでついてきたんです!」
少年は再び鋭い踏み込みで構えをとる。
(大丈夫、どこも折れてなんかない。まだ戦える……!)
その少年を見て実況が絶叫する。
『少年が再び構えをとった!だがもう満身創痍だ!次で決まる!これ以上は無理だ、次で決着だぁーーーーー!』
(やる気があるのは認めてやるが、おめぇじゃ勝てねぇ。オーラを部分的に高密度化させるフェイントは見事だが、必死になりすぎて移動のタイミングが早すぎる。よく見てりゃ、本命がどっちかすぐに分かっちまうんだよ)
ホーガンが冷静に分析する中、少年はさらに言葉を紡いだ。
「最初は師匠に流される形で、なかば無理やりでしたけど。ですけど……、やっぱり他人に師匠の悪口を言われるとムカつくんで。僕が勝ったら、師匠に一言……『悪かった』って謝ってもらいますからね!」
まっすぐな少年をみてホーガンは思わず、口元を少し緩めてしまった。
(ろくでもねぇ奴の弟子は、ろくでもねぇ頑固者か)
だが次の瞬間には一転して猛獣のような咆責を上げた。
「おっしゃ、こいやぁ!」
少年が弾かれたように地を蹴り、勢いよく巨漢の懐へと飛び込む。その小さな拳が、ホーガンの顔面に向けて強く握り締められた。
(いいバネだ、そのまま一発顔面に入れば俺でも危ないかもな。だが、見えたぜ。おめぇのその弱点は致命的だ!)
ホーガンの眼は、オーラの塊が少年の拳からガクンと一瞬早く膝へと移動していくことを捉えた。
(拳はブラフ、本命は膝蹴りか!たとえキレのあるフェイントでも、次の攻撃が分かってりゃ意味はねぇ!これで終わりだ!)
完璧なタイミングで、少年による顔を狙った膝蹴りを受け止めるべく、的確に手を突き出した。
パシィン、と少年の膝が手の平に触れる。
そこには驚くほどのオーラが込められていた。
紛れもない、手応えのある本命の衝撃。
(読めてるんだよ坊主!てめぇが俺の筋肉が関係しねぇ顔面を狙ってくることくらいなぁ!)
少年の狙いが顔面であることを完全に読み切っていたホーガンは、その膝蹴りを手の平で完璧に抑え込む。
本命を防ぎ切った。次は俺の番だ、そう確信し、防御から自身の攻撃へと意識を切り替えた。
ドゴォンッ!!
だがその刹那、大きな衝撃がホーガンの顔面を襲った。
激しく動くオーラの塊に目を奪われている間、少年の頭部には最初から、動かぬまま極限まで集められたオーラの塊が存在していた。
いくら鍛え上げた筋肉の塊であるホーガンと言えど、顔面の骨の強度に大人も子供も大差はない。
自慢の筋肉でカバーできないその至近距離へ、防弾ヘルメットをも凌ぐ硬度となった少年の頭部が突き刺さる。
「ず、ずつ……き……?」
脳を激しく揺さぶられ、視界が真白に染まる中、ホーガンはリング下の男を見た。
男はなにか言いたげなニヤけた顔で、倒れゆく巨漢をただ見つめている。
(ずっと派手なフェイントを見せられて、オーラの移動に目が慣らされてたんだ。最初から頭部に莫大なオーラが居座ってたことなんて、すっかり忘れてただろ?)
ドサァッ……!
巨漢の身体が糸の切れた人形のようにリングへ崩れ落ちる。
『きっ!決まったっーーーーーーー!少年の頭突きがホーガンの顔面へクリーンヒット!ホーガン立ち上がれない!勝負決まったーーーーーー!』
今日一番の歓声が場内を揺らす。
『誰が予想した!誰が予想できる?!まさかの大逆転!小さな少年が巨人を打ち破ったぁーーーーーーー!』
実況の絶叫が響く中、少年は倒れた巨漢のもとへと慌てて駆け寄った。
そんな弟子の様子を見て、リング下から声が飛ぶ。
「おーい、何やってんだ悠真」
「だって、この人僕が死なないようにずっと手加減しててくれてたんです」
振り返って答えた少年に、師匠は呆れたような笑みを浮かべた。
そんな師匠の反応をよそに、少年はまた心配そうに視線を戻す。
「大丈夫かな、この人……」
その時、巨漢がぐらりと大きな体を持ち上げた。
「わっ!」
驚きのあまり、少年はその場に尻餅をついてしまう。
「お前さんが地べたに座ってどうする。勝ったんだ、ちゃんと立っておけよ」
ホーガンは大きな手を少年へと差し伸べた。
「え、いや、まさか意識あるなんて思ってなくて。っていうか、すごい丈夫なんですね」
「この業界は長いんでな」
ホーガンは少年の手を引いて立たせると、そのままその小さな手を掴み、天高くへと掲げた。
「さっきは悪かったな」
「え、ああ!そういえばそんな約束してたような……」
「おめぇはすげえよ。最初見たときは思いもしなかった。きっとお前さんの師匠もそうなんだろうな」
そのまま自陣に戻るかと思いきや、ホーガンは少年の陣営側へと歩いていく。
「あ、そういや1つだけ。ここは表じゃないんだ、リングの上じゃ気ぃ張っとけよ」
そう言い残してホーガンは少年の陣からリングを降りた。
そしてパイプ椅子に踏んぞり返る男の前で足を止めた。
「あんたを舐めてた。悪かったな」
男はホーガンの方を振り返りもせず答えた。
「なんでぃ」
「坊主との約束は、"あんた"に謝れだったからな」
「律儀なこった。お前さん、なんで裏なんかにいるよ」
「さぁな」
それだけを残し、ホーガンは静かに去っていった。




