黒い手帳と一枚のスケッチ
色々思う事はあっても、朝は来るし夜も来る。
そんな中で、そのスケッチを見付けたのは偶然だった。
正確に言えば、黒ずんだ革の手帳に四つ折りで挟んでいたのに気付いたんだけどね。床に落とした手帳を拾い上げた時に。
そもそもその手帳は、神楽さんが残してくれた資料箱の中に埋もれていたみたい。今まで何度も資料を見に来ていた筈なのに、全く気付かなかったよ。
見付けた日も、ちょっと調べたい事があったの。それで、神楽さんの部屋にお邪魔していたんだよね。で、見付けたわけ。
(どう見ても男性用だよね、これ……)
少なくとも、この手帳は神楽さんの物じゃない。
神楽さんは可愛い物が好きだったからね。キャラクターが印刷された手帳を使っていたのを覚えている。それに比べて、この手帳は機能的なビジネスタイプの手帳だ。明らかに違うよね。それに、持った感じがしっとりとしていて、愛用されていたのが分かる。
(だったら、誰が使っていたの? それに、この紙は?)
好奇心に負けて、悪いとは思いつつ紙を開いた。
見た瞬間、私は息を呑む。だって、そこに描かれていた綺麗な女性は、私がよく知っている人だったから。
背中のまで伸ばした黒髪。
ぱっちりとした二重の、意思が強そうな目をした二十代半ばの女性。
形が良い鼻筋。
厚くもなく薄くもない、ふっくらとした柔らかそうな唇。
鉛筆で描かれたものだったけど、細部にわたって良く描かれている。線一本一本が、丁寧だったからね。
そして何よりも、この女性の事を大事に、愛しく想っているのが、ひしひしと伝わってきたの。
そう……描かれている女性は、神楽さんだった。
男物の手帳に、神楽さんを描いたスケッチ。
(まさか……神楽さんが追い掛けて行った相手って……この手帳の持ち主なのかも)
不意に、そんな考えが頭を過る。もう、資料を探す所じゃないよ。
取り敢えず、資料を探すのを一旦止めて、私は手帳とスケッチを持って急いで一階に下りた。
【あれ、どうかしましたか?】
『探していた資料は見付かったのか?』
直ぐに戻って来た私に、見えない同居人さん事家神様と朱里様が訊いてくる。
「資料はまだ。それより、ちょっとこれ見て。これって、神楽さんだよね!!」
手帳とスケッチを二人に見せた。テンション高めに尋ねる。
『……懐かしい物を見付けてきたな』
朱里様は目を細める。その口元は綻んでいる。家神様は黙ったままだ。
正式な契約を交わしていない私には、家神様の姿は見えない。声も聞こえない。でも、気配と感情だけは感じ取る事が出来たの。今、家神様は戸惑ってる感じがする。付喪神様や死神様達は姿を見、声を聞く事が出来るけどね。
不自由じゃないかって訊かれたら、特にこれといって困った事はないかな。最低限の意思疎通は出来るからね。
それに、そもそも、家神様は神楽さんと契約を交わしているの。何度も言うけど、私は留守を預かるだけ。あくまで、家神様の主は神楽さんなんだよ。
だから私は、家神様と正式な契約を交わさないの。そんな気も始めから持ってないしね。大好きな付喪神様達にせっつかれても譲れない。
「この手帳の持ち主って、神楽さんか追い掛けた人のなの?」
(絶対、そうだよね)
逸る気持ちを抑えながら尋ねる。そんな私に呆れながらも、朱里様は教えてくれた。
『そうだ。あいつは絵を描くのが得意だったな……でかい身体を縮こませて、よく、神楽を描いておったわ』
「恋人だったのね」
絵の中にいる神楽さんは、とても愛され輝いていた。
『ああ……二人は、好きおうておった』
そう答えた朱里様の表情が、何故か僅かに歪んで見えた。さっきまで見せていた綻んだ笑顔と、あまりにも対称的で、私はこのスケッチは見せてはいけないものだと気付いた。不可抗力とはいえ、罪悪感を抱く。
スケッチを持ったまま、朱里様は黙り込む。家神様も黙ったままだ。当然、私も口を閉ざす。
重い空気が周囲に漂う。
何も考えずに持って来てしまった事を後悔している私を他所に、朱里様は小さく息を吐き出し呟く。
『…………痺れを切らしおって』
(痺れ? 何に? 誰に?)
主語が完全に抜け落ちている。頭に浮かぶ疑問を口にしていいのか、躊躇していると、ガシャンと派手な音がした。
マグカップが倒れ、淹れたばかりのコーヒーがテーブルをつたい床を汚す。手帳は私が持っていたし、スケッチは朱里様が持っていたから、無事だった。
倒したのは私じゃない。朱里様でもない。家神様だった。あの家神様が珍しい。とても、動揺している。そんな家神様に向かって、朱里様が厳しい声を発した。
『いつまで、黙っているつもりだ。いい加減に腹を括れ、馬鹿者が』
訳が分からない私と、動揺て焦りで興奮している家神様。
朱里様は家神様を無視し、私に視線を移す。その目は幼子を愛おしく思っているような、優しく温かいものだった。
『佑樹……今から話す事は、とてもに大事な事だ。心して聞きなさい』
あまりにも真剣な朱里様の表情に、私は唾を飲みこむ。
重い空気が張り詰めたものへと変化する。
朱里様は緊張する私を見詰めたまま、ゆっくりと語り出した。




