厄介事
子供の姿をした高橋さんとの期限付きの同居生活が始まって、二週間程経った頃だった。
さっきまで楽しく遊んでいた紺が、急に立ち上がった。初めて見せる険しい表情。鋭い視線をドアに向けたまま、紺は高橋さんの腕を強く掴み、力一杯引っ張る。そのまま、戸惑う高橋さんを店内の隅に連れて行く。
紺が反応したとほぼ同時に、ゾワッと、何かが背中を撫でる感触がした。
(気持ち悪い!!)
その直ぐ後に、強い吐き気と頭痛が襲ってきた。
(嫌な予感がする)
口元を押さえながら、必死に吐き気と頭痛に耐え、皆に向かって大声で指示を出す。
「紺、高橋さんを連れて二階に。皆も一緒に上がってて。私が良いと言うまで降りて来たら駄目。分かったわね。さぁ、行って!!」
眉を顰め、険しい表情のまま、店内にいる付喪神様全員と高橋さんに指示すると、彼らは急いで二階へと避難した。二階はどんなものが来ても安全だからね、
全員避難出来たのを確認すると、ホッとしたのも束の間、慶介が一人の少年を連れて神楽書店を訪れた。
「佑樹いるか?」
ドアを僅かに開けて尋ねてくる。
途端に、ドアの隙間から、黒い靄の様なものが店内に入らうとして来た。
だけど、家神様である見えない同居人さんが、侵入を阻んだ。弾かれたように靄は消える。
しかし、ドアの外には黒い靄の塊と慶介。
視界に黒い靄が入るだけで、吐き気と頭痛が襲う。居続ければ居続ける程、症状が酷くなる。
気持ち悪さの原因は、間違いなく、この黒い靄に違いない。
(服の上でリバースしてやろうか)
そんなものを、この神聖な場所に連れて来た慶介に向かって、本気でそう思ったが、何とか思い留まる。その代わり、かなり低い声で答えた。
「……慶介、あんたがここに来るなんて珍しいわね。一体、何を連れて来たの?」
滅多に来ないけど、用事があって来た時は勝手に入って来るのに、今日に限っては何処か遠慮気味な様子に、私は慶介が厄介事を持ち込んだと確信した。それは、紺達、付喪神様の様子を見ても明らかだった。
それも、かなり質の悪い厄介事――
本心は、入店拒否したかったけど、そういう訳にはいかないよね。慶介が一緒にいなければ、即入店拒否して、死神様に通報するわ。
(……仕方ないわね)
内心、大きな溜め息を吐きながら、慶介に入るよう促す。ついでに、彼の後ろに隠れている厄介事にも声を掛けた。
(マジか……とんでもないものを連れて来たわね。それにしても、ここまで酷いのは……)
一度しか見た事がない。あれは、悪夢そのものだった。
慶介の後ろに隠れている少年の姿を見た瞬間、私は盛大に顔を歪めた。
私の表情を見て、慶介が不愉快そうに眉を顰める。文句を言いたそうだが、何とか押し止めている感じね。
(かなり、侵食されてるみたいね)
胸の中で派手にボヤく。
少年の見た目は、蒼と陸と同じくらいか少し上ぐらい。いって、小学一、二年生ぐらいかな。
まだ五月なのに、青色の浴衣を着ていた。容姿はかなり可愛い。サラサラの黒髪に大きな目。
見知らぬ場所に連れて来られて、少し怯えている様子がかなり庇護欲をくすぐる。
(慶介はそう感じたのね。口は悪いけど優しいから)
簡単に想像出来た。
しかし、私の目には、全くそんな風には映らなかった。
(庇護欲? ないない)
代々護国神社で宮司をしているからか、慶介は祭神様の加護を受けている。本人は知らないけどね。だから、平気で少年と手を繋げているのね。
(普通の人間なら、軽く呪われているわよ)
そう思ってしまう程、少年の全身を黒い靄が覆っていた。
横井春を覆っていた靄よりも、遥かに濃く、密集された重い重い靄。
(これはもう、悪霊のレベルじゃない)
思わず息を呑む。
吐き気と頭痛、そして、極度の緊張のせいで、冷や汗がどっと溢れ出て来た。頬を大粒の汗が伝い落ちる。正直ら今にも倒れそうだった。
だけど、倒れる訳にはいかない。絶対に――
あの時は神楽さんがいたけど、今は私しかいない。直接、私が対峙するしかない。
皆を、そして、私と神楽さんの居場所を護らないと。倒れるのは、その後だ。
そう――慶介が連れて来たのは、まさしく〈魔物〉そのものだった。




