離した手
(……意外と、付喪神様って重たいんだね)
本体は草履なのに、吃驚したわ。でも、この重さが思いのほか心地良い。生きてるって感じがしてね。
紺は今、他の付喪神様と一緒に御休み中なの。
その部屋には、私と見えない同居人さん以外は入れない。そのドア前で熟睡している蒼を抱き上げて運ぶ。陸は矢那さんが抱えている。取り敢えず、私のベッドまで運ぶと、そのまま寝かし付けた。
「ほんと、可愛い。和むわ」
和んでいるのに、蒼と陸の寝顔を見ていると、隅に追いやっていた記憶が不意に蘇る。
(一度、記憶の扉を開けてしまったから、仕方ないわね)
空気を読んでくれたのか、矢那さんは消えていた。おかげで、自嘲気味に笑う私を見られる事はなかった。
私も幼い頃、父親に抱っこされてよく運ばれた。
父親は売れない作家だった。仕事をするのは主に夜で、私が寝てからだ。
折角寝かし付けたのに、寂しくて、夜中に起きると、よく部屋を抜け出した。仕事の邪魔をしたくなくて、でも、少しでも一緒にいたくて、結局、部屋で寝ないで、仕事部屋のドアにもたれて眠っていた。今の蒼と陸のようにね。
そんな私を苦笑しながらも、父は大きな手で抱き締め抱えてくれた。
私はその温かな手が大好きだった。
その大好きな温かな手を、私は自分の意思で一度手放した。
売れない作家に幼い子供。
生活はジリ貧。子供ながらに、父親のお荷物になっているって分かっていたわ。
血の繋がった子供ならまだしも、血の繋がらない子供を、それも、自分を裏切って、勝手に出て行ってしまった女の子供を育てる義務なんて、何処にもないでしょ。いくら、あの女を愛しているからっていってもね。
私が可哀想だから、見捨てられない。
庇護欲からなのか、愛情からなのか。それとも、あの女が頼んだからなのか。
理由は分からないけど、父は私の手を離さずに、いつも握っていてくれた。父にも父自身の人生が、未来があるのにね。
すっごく馬鹿でお人好しで、とても優しくて、日溜まりのような人だった。
手を離した時の、父親の顔を今でも思い出す。
嫌われたくて、憎んでほしくて、最低最悪な裏切り方をした。
大好きで大切な父親の手を振り払って、自分を裏切り捨てた女の手を握ったの。
なのに、地獄に堕ちた私を助け出してくれた。
(……駄目ね。感傷的になってきたわ)
高橋様が来てから、何かと父親の事を思い出すようになった。
その度に、罪悪感が押し寄せ感傷的になってしまう。あまり感傷的になる事は、仕事上、良しとしないのにね。
たぶんそれは……私の中で、父親の事を消化出来ていないからだと思う。今となっては、どう消化していいか分からない。方法すら思い付かない。
とはいえ、機会がなかった訳じゃなかった。でも、唯一の機会は、父自身に拒否された。
乾いた、自嘲気味な笑みしか浮かべない私の耳に、心配そうに紺の名前を呼ぶ、蒼と陸の声が聞こえた。
(寝言? ほんと、紺の事が大事なんだね)
微笑ましい。胸の奥が温かくなるわ。
それにしても、こうして寝ている姿は、人間の子供と全く変わらない。
無防備に、安心して寝ている顔を見ていると、私でも母性本能が刺激されるわね。仕事や役割に関係なく、護りたいと心から思う。
まだ若いから、結婚なんて、まだまだ遠い先の話だけど、いつかは私も、こんな風に自分の子供の世話をする日が来るかもしれない。その相手は、やっぱり人間なのかな。それとも、あやかしかな。神様はないわね。どっちにせよ、今は全然想像出来ないわ。
思いに浸っていると、いつしか矢那さんが戻って来ていた。
「……この子達、紺が目覚めるまで、ずっと付き添うつもりなのかしら?」
蒼と陸が起きないように、小さな声で訊いてくる。その表情は心配で曇っていた。
そう。今日で五日目。蒼と陸をベッドに運ぶのは。
高橋様が絵本を返しに来たのが、五日前。その夜からだ。
神楽さんに本の取り扱い方を習っていたみたいね。神楽さん自身、何度も様子を見に行っていたおかげで、返却された絵本の状態はすこぶる良かった。
少しだけ紙が弱っていた箇所があったから、そこを補強しただけで済んだ。酷かったら、修復師の翁の所に持って行くつもりだったけどね。掛かった時間は、小一時間ぐらいで済んだ。
損傷がないから、直ぐに人形に変化出来る筈なのに、紺は絵本のままだ。話し掛けても返事はない。付喪神様達が話し掛けても同じだった。
もしかして、私が気付かないだけで、深い損傷があるかもしれない。そう考えた私は、翁の所に紺を連れて行った。
結果は――翁でさえ治せないものだったの。
私でも無理。
だって、翁と私が治せるのは、外科的なものだけだから。私に関しては、更に限られる。
(心までは治せない。ほんと、情けない)
紺は頑なに拒否しているの。起きる事を――
それは、紺なりの意思表示なんだと思う。その気持ちは、私でも理解出来る。
だからせめて、昼間は紺と一緒にいようと考えた。陽が暮れたら二階に運んだ。もしもの事があったら大変だから、お休みしている付喪神様の所に置いた。少しでも、寂しくないようにね。紺からしたら、もっと静かな場所に置いてもらいたかったかもしれないけど。
結界が張られたその部屋に立ち入る事が出来るのは、私と見えない同居人さんだけだ。
蒼も陸も中に入る事は出来ない。それでも、寂しくないように、蒼と陸は毎日付き添う。
離れてしまった手を、もう一度握ろうと頑張っている蒼と陸を止める事は、誰にも出来なかった。




