第8話 許せないもの
赤い彼岸花が咲き誇る世界。
朔夜はツクヨミと並んで歩きながら、ふと足を止めた。
「……ツクヨミ様」
「なぁに?」
「僕は、これからどうなるのでしょうか」
迷宮で魔物に囲まれた記憶は、今も鮮明に残っている。
仲間たちと過ごした日々。
白雪と交わした約束。
そして、逃げ場のない状況で、自分が置き去りにされたこと。
考えないようにしていた記憶が、静かに蘇ってくる。
ツクヨミは朔夜の隣に立ち、彼の顔を覗き込んだ。
「あなたは、生きたいのでしょう?」
「……はい」
「なら、生きればいいのよ」
あまりにも簡潔な答えだった。
「ですが、僕にはもう……」
「帰る場所がない?」
朔夜は言葉を失った。
ツクヨミは彼の表情を見て、静かに続けた。
「それとも、帰ったところで、また同じことが起きるのが怖い?」
「……分かりません」
「そう」
ツクヨミは無理に答えを求めなかった。
ただ、しばらく朔夜を見つめたあと、問いかける。
「ねえ、朔夜。あなたは、自分を置いていった人たちを許せる?」
その瞬間、朔夜の表情がわずかに強張った。
仲間たちの顔が浮かぶ。
勇者の悠真。
白雪。
仁。
麗華。
朱里。
隼人。
透。
彼らと過ごした時間は、決して短くなかった。
笑い合ったこともある。
助け合ったこともある。
背中を預けて戦ったこともある。
だからこそ、あのときの記憶が胸に突き刺さる。
「……僕は」
許せるのだろうか。
もう一度、彼らと笑い合えるのだろうか。
あの頃のように、仲間だと思えるのだろうか。
朔夜は拳を握り締めた。
「……分かりません」
「本当に?」
ツクヨミの声は優しかった。
けれど、その瞳は朔夜の心から目を逸らさせてはくれなかった。
「あなたは、許したいの? それとも、許さなければいけないと思っているだけ?」
「……っ」
胸の奥が痛んだ。
これまでの朔夜なら、きっとこう答えていた。
仕方がなかったのだと。
誰かを責めても意味がないのだと。
自分がもっと強ければよかったのだと。
そうやって、すべてを自分の中に押し込めていた。
けれど、今は違う。
ツクヨミに本当の気持ちを打ち明けたからこそ、もう誤魔化せなかった。
「……僕は」
声が震える。
それでも、朔夜は顔を上げた。
「許せない……」
ツクヨミは黙って彼を見つめた。
朔夜は、もう一度口を開く。
「許せない……!」
握り締めた拳が震えた。
「一緒に戦ってきたのに……! 僕だって、みんなのことを仲間だと思っていたのに……!」
押し殺してきた感情が、堰を切ったように溢れ出す。
「どうして、僕だったんですか……! どうして、僕だけがあんな目に遭わなきゃいけなかったんですか……!」
涙が頬を伝った。
「僕だって……生きたかった……!」
その言葉を口にした瞬間、朔夜は自分の胸元を強く握った。
本当は、ずっと怖かった。
あの場所で死ぬことが。
誰にも助けてもらえないことが。
自分が誰にとっても必要のない人間だったのではないかと、思い知らされることが。
それでも、仲間たちを責めることだけはできなかった。
責めてしまえば、今まで信じてきたものまで、すべて嘘になってしまう気がしたから。
「……僕は、もう……」
声が途切れる。
ツクヨミはそっと朔夜の手を取った。
「うん」
ただ、それだけだった。
否定もしない。
許すべきだとも言わない。
彼の言葉を、そのまま受け止めていた。
「許せなくてもいいのよ、朔夜」
「……いいんですか?」
「ええ。あなたが傷ついたことまで、なかったことにする必要はないわ」
ツクヨミは彼の手を握ったまま、静かに告げた。
「許すかどうかは、あなたが決めること。今すぐ答えを出す必要もない」
朔夜は俯いた。
「……僕は、どうすればいいのでしょうか」
「生きなさい」
ツクヨミは迷わず答えた。
「あなたを傷つけた人たちのためでも、誰かに認められるためでもない。あなた自身のために」
そして、彼の目を真っすぐに見つめる。
「そのために力が必要なら、力を求めればいい。もう二度と同じ思いをしたくないのなら、強くなればいい」
「強く……」
「ええ」
ツクヨミの銀色の髪が、風に揺れた。
「でも、ひとつだけ忘れないで」
彼女の瞳に、月明かりが宿る。
「強くなることと、自分を傷つけることは違うわ」
朔夜は静かに彼女を見つめた。
「誰かを守りたいからといって、あなた自身を犠牲にする必要はない。誰かに認められたいからといって、無理をする必要もない」
ツクヨミは、そっと朔夜の頬に触れた。
「あなたは、あなた自身を守るために強くなってもいいのよ」
朔夜の瞳が揺れた。
自分のために、強くなる。
今まで、考えたこともなかった。
誰かを守るため。
誰かの役に立つため。
誰かに必要とされるため。
そうした理由ばかりを探していた。
けれど、もう誰かのためだけに生きる必要はないのだ。
自分が生きたいから、生きる。
自分が望むから、強くなる。
その選択をしてもいいのだと、ツクヨミは教えてくれた。
「……ツクヨミ様」
「なぁに?」
「僕は……強くなりたいです」
朔夜は顔を上げた。
「もう、誰かに見捨てられて終わるのは嫌です。自分の命を、他人に委ねたくない」
その瞳には、先ほどまでとは違う光が宿っていた。
「僕は、生きたい。自分の意思で生きられるようになりたいです」
ツクヨミは、嬉しそうに微笑んだ。
「そう。なら、私が力を貸してあげる」
彼女の言葉とともに、赤い彼岸花が静かに揺れた。
「あなたに、私の加護を授けましょう」
朔夜は息を呑んだ。
ツクヨミは彼の額に手を伸ばす。
「死を司る神、ツクヨミの名において。あなたが自分の意思で生きるために、その力を授けるわ」
白銀の光が、二人を包み込んだ。
「さあ、目を覚まして。私の世界でただ一人の、愛されし子」
ツクヨミは、愛おしそうに朔夜の頬を撫でた。
「……あちらで逢いましょう」
その声を最後に、彼岸花の世界が光に溶けていく。
朔夜は、ゆっくりと目を閉じた。




