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第七章:続きの意味

崩落の危機を脱した地下遺跡の出口から、心地よい朝の光が差し込んでいた。

かつてヴェルナ帝国が禁忌を封じ込めた暗い石牢は、自動人形の崩壊とともにその魔術的機能を完全に停止し、ただの静かな石の空洞へと戻りつつあった。


ヴェルトは、まだ足元の覚束ないアルテアの華奢な肩を支えながら、ゆっくりと眩しい地上への傾斜を登っていった。

一歩進むごとに、大気中のマナの配列が通常の安定した波形へと書き換えられていくのがわかる。村を覆っていた重苦しいノイズは、完全に消失していた。


「……終わった、のね」


アルテアは、包帯が巻かれた自らの手元と、そこにしっかりと握られた封印の巻物を見つめながら、ぽつりと呟いた。その声には、守護者としての重責を全うした安堵と、目の前の男が示した圧倒的なロジックへの、未だ冷めやらぬ興奮が混ざり合っていた。


「ああ。少なくとも、ローデン村における『空間の歪み』の拡大プロセスは、これで完全に停止した。若者たちの肉体組織の融解も、これ以上の進行はない。事象はすべて、解決の方向へと記録されたよ」


ヴェルトはいつもと変わらない、感情の起伏を取り去った淡々とした声で応じた。だが、その手には、泥と血に汚れた新しい羊皮紙のノートが、しっかりと握り直されていた。



数日後。

ローデン村は、奇跡のような平穏を取り戻していた。

夜な夜な広場で狂ったように剣を振るっていた若者たちは、翌朝にはひどい筋肉痛を訴えたものの、今では何事もなかったかのように鍬を握り、畑へと戻っていった。村長をはじめとする老人たちは、ヴェルトが旅立つ日の朝、広場に集まって涙を流しながら何度も頭を下げた。


「本当に、何とお礼を言ってよいか……。旅の御方、あなた様は我が村の救世主ですじゃ」


「過分な評価だよ、村長。私はただ、滅びゆくものの姿をありのままに記録しただけだ。その過程で、少しばかりノイズを排除したに過ぎない。……それでは、お元気で」


ヴェルトはリュックの紐を締め直すと、村人たちの見送りを背に、静かに街道へと歩み出た。


王都から始まった三花流の探索。

二百年の空白を経て、錆びた古剣から始まった怪異の連鎖は、ひとまずここで一本の線として結ばれた。しかし、ヴェルトの脳内にある前世の記憶――『侍』のシステムは、これが終わりではなく、より巨大な構造体の「入口」に過ぎないことを告げていた。


「――待ちなさいよ、記録者!」


村外れの並木道を数キロメートルほど進んだ頃、背後から小走りで追いかけてくる、聞き慣れた凛とした声が響いた。

振り返ると、そこには新品の旅用マントを羽織り、背中に新しい魔導レイピアを背負ったアルテアの姿があった。彼女の純白の銀髪が、朝の柔らかな光を受けて美しくきらめいている。


「どうしたんだい、アルテア。守護者の一族としての役目は、あの遺跡の封印を見届けたことで果たされたはずだが」


ヴェルトは足を止め、羽ペンを耳に挟んだまま問いかけた。


「何が果たされたよ、バカ。全然終わってないわよ」

アルテアはヴェルトの前で急停止し、少し息を切らせながら、挑戦的な、しかしどこか信頼の色の混じった真っ直ぐな瞳で彼を射抜いた。


「あの地下遺跡で、あなたが巻物の暗号を読んだ時……そして、あの自動人形を『あり得ない技』で一刀両断した時、私、確信したの。百年前、三花流の開祖である花鏡が、遺された最後の弟子に伝えたっていう古い伝説があるのよ」


アルテアは一歩、ヴェルトへと歩み寄り、その腰に下げられた飾りのない安物の一振りを見つめた。


「『いつか、この世界の外側の目を持つ者が、滅びた剣のその先(続き)を紡ぎにやってくる。その時まで、この剣は待っている』――ってね。……それって、完全にあなたのことでしょ? ヴェルト」


ヴェルトは、眼鏡の奥の目をわずかに細め、街道の先に広がるどこまでも青い空を見上げた。


「侍、という言葉。なぜか私の記憶の底には、その概念だけが、ノイズに埋もれず鮮明に残り続けている。この世界の誰も知らない、異世界の剣士。私は前世において、その技術を狂気的なまでに研究していたのか、あるいは、ただ強く憧れていただけなのかもしれない。だから、この世界の『世界の歪み』という不条理を観測した時、私の肉体が、自動的にその理合を再現してしまったんだ」


「サムライ……」

アルテアは、初めて耳にするその異国情緒溢れる響きを、口の中で確かめるように繰り返した。


「私には、前の世界の記憶なんて一切ないわ。でもね、三花流の封印された文書を初めて開いた時、読めないはずの模様なのに、なぜか胸の奥が懐かしく痛んだの。知っている気がした。……おかしいと思っていたけれど」


「おかしくはないよ」

ヴェルトはノートを開き、そこに新たな一文を滑らかに書き込みながら言った。


「花鏡の焼却されたはずの口伝の断片に、その構造に関する記述がある。『三花流を完成へ導くには、外側の目を持つ“継承者”と、内側から領域を開ける“鍵を持つ者”が、同時に存在しなければならない』、とね。アルテア、君の持つその魔力特性と一族の血脈こそが、そのシステムを開くための『鍵』そのものなんだ」


アルテアが、驚きに目を見張り、それからゆっくりとヴェルトの顔を見つめた。

「つまり……私が、鍵を持つ者。あなたが、続きを紡ぐ者……」


「まだ仮説の段階だ。これからの旅で、より多くのサンプルを集め、厳密な記録データを取る必要がある」

「……あなたはいつも、そうやって数式みたいに物事を言うのね」


アルテアは呆れたように小さく笑うと、自らのリュックのベルトをぐっと握りしめた。


「だったら、私も一緒に行くわ。私の持つ『鍵』が、あなたの言う『続き』をどこへ導くのか、この目で見届ける義務があるもの。だから――私を、あなたの次の旅の同行者として、そのノートに正確に記録しなさい!」


彼女はそう言って、悪戯っぽく人差し指を突きつけた。


ヴェルトは一瞬、論理的な効率性を計算するような仕草を見せたが、すぐに、彼の冷徹な仮面の裏から、微かな、しかし確かな温かみを帯びた微笑が漏れた。


「いいだろう。私の新調したノートには、君という異常なサンプルを記述するための余白が、まだ十分に転がっているからね」


ヴェルトは羽ペンを走らせ、清々しい朝の空気の中で、第一巻の最後のページを締めくくった。


『第一巻:記録者の旅・完。

同行者:アルテア。

目的:歴史の闇に隠蔽された「三花流」の全構造の解明、および前世記憶との論理的整合性の証明。――私たちの、滅びた剣の続きは、ここから始まる』


二人の旅人は、並んで歩み出し、果てしない街道の先へと進んでいった。



同じ頃。ローデン村から遥か数千キロメートル離れた、ヴェルナ帝国の旧都にそびえる、黒い石造りの壮麗な宮殿。

その薄暗い謁見の間で、地下遺跡から命からがら逃げ延びた黒衣の男が、大理石の床に額を擦り付けて震えていた。


「――申し訳ございません、閣下……! 零式の起動には成功したものの、突如現れた『記録者』を名乗る謎の男によって、一撃のもとに破壊されました……!」


玉座の影、深い闇の中に佇む「更なる上位の黒幕」たちが、冷酷な冷笑を浮かべた。


「ほう。あの帝国の最高兵器を、ただの一撃でか。面白い。歴史の改竄を拒み、外側のことわりを持ち込む者が、ついに現れたか」


闇の中から、細く、洗練された指が、一枚の指名手配書を机の上へと滑り出させた。そこには、羊皮紙のノートを手に、冷徹な目で世界を見つめるヴェルトの姿が、克明に描かれていた。


「その男を『特異点』として最上位警戒対象に指定せよ。三花流を完成させるか、あるいは完全に消滅させるか……どちらにせよ、彼らが次の目的地である『第二の封印』へ辿り着く前に、我が結社の総力を挙げて、そのノートごと歴史の闇へと葬り去るのだ」


新たなる不条理の影が、旅立つ二人の背後へと、静かに、しかし確実に忍び寄り始めていた。

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