第五章:封印の亀裂
「あの巻物に記された座標……やはり、この村の地下に眠る、ヴェルナ帝国の旧軍事遺跡を示しているな」
二日後。ヴェルトとアルテアは、ローデン村の遥か地下に広がる、巨大な石造りの遺跡通路を歩いていた。
アルテアが差し出した封印文書の「漢字」を解読した結果、三花流の「負の遺産」であり、村の異変を引き起こしているエネルギーの源泉が、この遺跡の最奥部に安置されていることが判明したのだ。
しかし、その封印は今、内側からではなく「外側」からの何者かの物理的・魔術的な介入によって、急速に破壊されつつあった。通路の空気は、肌がピリピリと痺れるほどの濃密な魔力の暴走によって満たされている。
「気をつけて、ヴェルト。この先から、おぞましいほどの『マナの逆流』を感じるわ。空間そのものが悲鳴を上げているみたい……」
アルテアは新しい魔導レイピアを胸元に構え、油断なく周囲を警戒しながら進む。
ランタンの光が照らし出すレンガの壁面には、かつてヴェルナ帝国が栄華を誇っていた時代の精密なレリーフが刻まれていたが、その多くは鋭利な刃物のようなもので強引に削り取られていた。まるで、歴史から特定の事実――三花流に関する記録を、文字通り抹消しようとしたかのように。
通路を抜け、ドーム状の巨大な地下空間に辿り着いた二人は、その中央に広がる異常な光景に息を呑んだ。
空間の中心には、幾重もの太い魔導の鎖によって拘束された、鈍い鈍色に光る巨大な「鋼鉄の自動人形」が鎮座していた。その胸部には、禍々しく赤黒く明滅する、三枚の花びらの紋様が刻まれている。
そして、その人形の足元には、黒いローブをまとった一人の男が立っていた。
「くははは! 素晴らしい! ついに見つけたぞ、二百年前に帝国が隠蔽した最高傑作、『三花・零式』を!」
男が狂おしい笑声を上げて振り返る。その瞳は、禁忌の力を手に入れた全能感で完全に濁っていた。
「誰だ、お前は」
ヴェルトはランタンを地面に置き、淡々と問いかけた。
「私はヴェルナ帝国の正統なる復興、そして世界の再構築を志す者……『救世の結社』のエージェントだ! 王都でガロンたちを使いお前を処分しようとしたが、まさか自らここまで巻物の謎を解いて案内してくれるとはな、記録者の羽虫め!」
男が呪詛のような言葉とともに、手にした血塗られた魔導書を掲げた。書物から放たれた赤黒い電弧が、鋼鉄の人形へと文字通り濁流となって流れ込む。
ズ、ズズズ……と、二百年の眠りを経て、自動人形がその眼座に、血のような不気味な紅い光を宿した。
「起動せよ! 世界の歪みを喰らい、すべての理不尽を斬り伏せる、我が流派の神体よ!」
ガシャァァン!!! と、遺跡全体を震撼させる凄まじい駆動音とともに、人形がその背に背負った、身の丈を超える巨大な大刀を引き抜いた。その瞬間、空間の重力が狂ったかのように、周囲の瓦礫がフワリと浮き上がる。
(――空間の圧力、急上昇。世界の歪み度が通常の三百倍を突破。……これは物理的な質量兵器ではない。人形の周囲で、慣性の法則や摩擦抵抗といった通常の物理法則が完全に中和・書き換えられている。三花流の『歪みの操作』を、魔術回路によって機械的に最大出力で再現する、最悪の自律型軍事兵器だ)
「下がれ、アルテア。君のレイピアでは構造的に噛み合わない」
「嫌よ! 私はこの封印を守る一族の守護者よ! ここで逃げたら、先祖に顔向けできないわ!」
アルテアはヴェルトの制止を振り切り、全身から青白い魔力を爆発的に噴出させて地を蹴った。彼女の放った神速の突きが、自動人形の駆動関節部――首の隙間へと正確無比に突き刺さる。
しかし、人形はその超高速の接近に対して、避ける動作すら見せなかった。いや、その必要がなかったのだ。
キィィィン!!!
アルテアのレイピアの切っ先が、人形の皮膚に触れる数センチメートル手前で、目に見えない「空間の歪みの壁」に衝突した。次の瞬間、彼女の誇り高い細剣は、ガラス細工のように一瞬で粉々に砕け散った。
「なっ……魔力障壁が、空間ごと中和された……!?」
「くはは! 三花流の完成形の前には、あらゆる魔法も、正義の理も無意味だ!」
自動人形の大刀が、歪んだ空間を加速しながら、無慈悲な速度でアルテアの脳頭へと振り下ろされる。
「アルテア!」
ヴェルトは脳内計算を打ち切り、肉体の限界を超えた速度で前方へと飛び込んだ。
アルテアの華奢な身体を横から突き飛ばした直後、背後で大刀が石畳へと激突する。
ドガァァァン!!!
凄まじい衝撃波が炸裂し、地下空間の床がクレーターのように爆散した。
アルテアは壁際まで激しく吹き飛ばされ、背中を強く打ちつけて激しく吐血した。彼女の持っていた門外不出の封印の巻物が、黒幕の男の足元へと虚しく転がっていく。
「ふははは! 終わりだ、無力な傍観者どもよ! 世界は今一度、我らの力によって正しく破壊されるのだ!」
崩れ落ちる瓦礫の煙の中、ヴェルトは片膝をつき、泥に汚れた己のノートを見つめた。
ページは引き裂かれ、愛用の羽ペンは真っ二つに折れている。
壁際では、アルテアが意識を失いかけながら、震える手をヴェルトへと伸ばし、消え入るような悲痛な声で叫んでいた。
「……逃げて、ヴェルト……。あなたは……記録者でしょう……? ここで、あなたまで死んだら……この不条理を、誰も歴史に遺せなくなる……っ!」
黒幕の男が冷酷な嘲笑をヴェルトに向け、自動人形に非情な命令を下した。
「その羽虫の首を刎ねよ。日記帳ごとな」
人形が、カシャ、カシャと機械的な足取りでヴェルトへと近づき、絶対的な死の質量を持つ大刀を、再び高々と振り上げた。




