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第四章:同じ謎を追う者

「……嘘、何よ、あれは……。三花流の『怨念の集合体』……!?」


アルテアの端正な顔から、血の気が一気に引いていく。

干上がった井戸の底から噴き出した黒い霧は、意思を持つようにのたうち回りながら、広場の中心で巨大な異形の影へと形を変えていく。それは、二百年前に歴史から強引に抹消され、無念のうちに死んでいった剣士たちの断末魔の叫びを凝縮したような、聞く者の精神を直接かきむしるおぞましい精神波動を放っていた。


その波動に当てられたのか、石畳に倒れていた若者たちが、再びうわ言を漏らしながらピクピクと四肢を震わせ始める。


「話は後だ、銀髪の嬢ちゃん。防壁を展開してくれ。物理法則が乱れると、私の精密な『記録』にノイズが入る」


ヴェルトは乱れることのない足取りで一歩前に出ながら、淡々と言った。


「なっ、誰が嬢ちゃんよ! 私はアルテア、三花流の封印文書を預かる正統なる守護者よ!」


アルテアは反射的に文句を言い返しながらも、眼前の怪異が放つ脅威の本質をその高い魔力感知能力で正確に理解していた。彼女はレイピアを逆さに持ち替え、その鋭い石突を石畳へと力強く突き立てる。


「光よ、境界を画せ――『聖障セイント・バリア』!」


彼女の凛とした声の響きとともに、精緻な術式彫刻ルーンから純白の魔力が爆発的に吹き出し、広場を二分する半透明の光の壁が形成された。直後、黒い怪異から放たれた、レンガを風化させるほどの腐食性を帯びた黒い衝撃波が光の壁へと激突する。

バリバリと激しい魔力同士の摩擦音が響き、アルテアの銀髪がその余波で激しく揺れた。


「くっ……なんて密度なの……! 防壁が削られる……!」


「それで十分だ。十秒だけ維持してくれればいい」


ヴェルトはその防壁の隙間を縫うように、音もなく地を滑った。彼の視界には、黒い霧の内部で不規則に明滅する、エネルギーの集積点――『コア』が明確に観測されていた。


(――空間の歪み度、通常値の百四十倍を記録。核の移動パターンは対数螺旋たいすうらせんに酷似。周期は〇・八秒。……前世の記憶にある、剣術の呼吸法と同調させる。力を一点に浸透させ、構造を内部から解体する『寸勁すんけい』の理合を用いる)


ヴェルトは疾走の勢いを寸分の狂いもなく右足の踏み込みへと変換し、腰の安物剣を鋭く突き出した。

その切っ先が、黒い霧の核へと吸い込まれるように突き刺さる。


ドォン! と、大気が内側から爆発するような低い衝撃音が響いた。

ヴェルトが放った一撃は、単に物理的に突くだけのものではない。刃を通じて、怪異を構成するマナの結合をロジカルに反転させる最小限の振動を送り込んだのだ。


ギャァァァッ!!! と、耳をつんざくような断末魔の悲鳴を上げて、巨大な黒い影は一瞬にして霧散し、広場の空気は元の平穏へと引き戻された。糸が切れたように完全に正気を取り戻し、深い眠りへと落ちていく若者たち。ひとまず、今夜の致命的な異変は完全に抑え込まれた。



翌朝。朝露に濡れたローデン村の小さな宿屋の一室。

木漏れ日が差し込む粗末な丸テーブルを挟んで、ヴェルトとアルテアは向かい合って座っていた。


「……つまり、あなたは本当に帝国からの刺客でも、裏社会の暗殺者でもなく、ただの『物好きな歴史の記録者』だって言うの?」


アルテアは運ばれてきたハーブティーのカップを両手で包み込みながら、未だに底の知れない目の前の男を、値踏みするような強い視線で睨みつけていた。


「そうだ。事実に反する記述を残しても、ノートの価値を下げるだけだからね」

ヴェルトは卓上に新調した羊皮紙のノートを開いたまま、折れた羽ペンの代わりに用意した新しいペンを走らせながら応じた。


「私にとっては、三花流が過去にどのような悪行を働いたか、あるいはどれほど危険な力であるかは重要ではない。それがどのような論理ロジックで構成され、なぜ滅びたのか、その事実だけをありのままに書き留めたい。だが、君の目的は違うようだね」


アルテアは小さくため息をつき、自らの旅用リュックの底から、厳重な防魔の布に包まれた一本の古い巻物を取り出した。その表面には、何重もの強固な魔導封印が施されている。


「私の一族はね、代々このローデン村の近くの領地で、三花流の『最後の記録』を誰の手にも触れられないように守る歴史を背負ってきたの。この流派の力はね、あなたが考えているような生易しいものじゃないわ。世界の歪みを感知するだけじゃない……極めれば、世界そのものを自分都合に『操作』できてしまう。そんな独裁的な力、いつか世界を物理的に決壊させて崩壊させてしまうわ。だから、誰も触れられないように『鍵』をかけて封印し続けるのが、私の義務なのよ」


「記録したい男」と「封印したい女」。

二人の根源的なスタンスは、完全に平行線をたどっていた。互いの譲れないロジックが、静かに室内の空気を緊張させる。


「しかし、アルテア。その巻物の表面の封印術式……少しだけ近くで見せてもらえるだろうか。私の記録の正確性を担保するために」


アルテアは一瞬警戒の表情を浮かべたが、相手が剣に手をかけていないことを確認すると、「見るだけなら……」と巻物をテーブルの中央へと滑らせた。


ヴェルトの冷徹な眼差しが、巻物の表面を覆う、複雑に絡み合った幾何学的な紋様へと注がれる。その瞬間、彼の脳内の前世記憶データベースが、猛烈な速度で警告音を鳴らし始めた。


(――これは、この世界の魔導言語ルーンではない。幾何学模様に見せかけて巧妙に偽装されているが、この線の交差、払い、そして点の位置。……間違いない。前世の私が生きていた東洋の国で使われていた文字――『漢字』、および精神を統一するための古文のニュアンスだ。なぜ、二百年前のこの世界の禁忌の書に、地球の概念が存在している?)


「……アルテア。君や君の一族には、これがただの複雑な封印の幾何学術式に見えているかもしれないが」

ヴェルトはペンを止め、巻物の一点を指差した。


「ここに組み込まれている文字には、明確な意味がある。――『三花、開きてことわりを統べる。ただし、外なる眼なき者は、その光に灼かれん』。……そう書かれている」


「え……っ!?」


アルテアの手からハーブティーのカップが滑り落ち、受け皿の上でガタガタと大きな音を立てた。彼女の顔は、驚愕のあまり完全に硬直している。


「う、嘘よ……! それ、我が一族の当主だけに代々『口伝くでん』でのみ伝えられてきた、この巻物を開くための暗号の、真の意味よ……!? 文書としてどこにも残されていないはずなのに、なぜ、初めてその巻物を見たはずのあなたが……それを完璧に読めるのよ……!?」


「言ったはずだ。私には、この世界の外側の記憶システムがある、とね」


ヴェルトの感情の読めない瞳の奥に、この旅を始めて以来、最も深く、最も熱い「探究の炎」が静かに、しかし確かに灯り始めていた。この世界の禁忌と、自身の前世の記憶。途絶えた歴史の線が、今、不気味に繋がり出そうとしていた。

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