第三章:残された足跡(後半)
神殿執行官たちの灰色の法衣が、微風に揺れることすらなく、整然とした隊列のまま路面へ長い影を落としていた。
彼らの胸元で鈍く光る銀の胸当てには、教国の厳格な秩序を示す聖印が刻まれている。その一団が歩を進めるたび、周囲を歩いていた一般の住民たちは、まるで最初からそう動くようにプログラミングされたかのように、一斉に道の端へと退き、頭を垂れた。声の大きさが制限されたこの国において、執行官たちの接近を示すのは、彼らが身に纏う「マナの強制的な収縮」がもたらす、肌を刺すような極度の乾燥と静寂だけだった。
「……何の用だ」
ガロンが、一歩前に進み出ながら低い声を絞り出した。
彼の右肩には、布の一枚すら巻かれていない質量十二キログラムの煤けた黒い鉄の大剣が鎮座している。その純粋な暴力の塊は、執行官たちの持つ、均一な魔導インフラの美を真っ向から拒絶する異物だった。ガロンの太い指先が柄の鋼に触れるたび、いつでもその質量で空間ごと叩き潰せるだけの微細な緊張が、彼の頑強な肉体にみなぎっていた。
執行官の先頭に立つ、初老の男が立ち止まった。その目は、信仰によってあらゆる個人の感情を去勢されたかのように冷酷で、平坦だった。
「国境の臨時傭兵登録、および学術調査の割当手形を拝見する」
男の声は高低がなく、周囲の静寂に完全に溶け込んでいた。説明を求めるための声ではなく、単なる「執行」の音だった。
アルテアが、一歩前に出て懐から羊皮紙の書類を提示した。彼女の指先はわずかに震えていたが、それは恐怖からではない。二百年前に自らの家系がこの教国や周辺諸国と結託し、最強の剣術『三花流』を圧殺して作り上げた、この「改ざんされた美しい秩序」そのものに対する、吐き気のような嫌悪と罪悪感によるものだった。腰の魔導レイピアの銀細工が、彼女の細い腰の線に沿って、冷たく静止している。
「確認いたします。私たちはガランの山脈における古代帝国の遺構を調査している者です。手続きに不備はないはずですが」
アルテアの声は丁寧だが、レイナード家の長女としての凛とした芯があった。
執行官の男は、彼女の書類に視線を落とし、それから、その背後に佇むヴェルトへと冷徹な眼光を向けた。
ヴェルトは動かなかった。感情を完全に削ぎ落とした彼の瞳は、執行官たちの法衣の裾から覗く、戦闘用魔導具の構造を淡々と見抜いていた。
男たちの指先には、空間のマナを瞬時に凍結させて対象の肉体を拘束する、神殿特有の術式指輪が嵌められている。もしここで少しでも怪しい動きを見せれば、彼らは一言の警告もなく、その「道具」を行使するだろう。
だが、ヴェルトの肉体は、外界のあらゆる魔法の流れを魂の表面で遮断する「無響の体」だ。彼らがどれほど高密度な拘束魔法を放とうとも、彼の皮膚に触れた瞬間にそれはただの無害な霧へと還る。
しかし、その絶対的な耐性と引き換えに、ヴェルトは世界のあらゆる奇跡による恩恵からも孤立していた。廃村の礼拝堂での激闘によって、右脇腹の深手は今なお衣服の下で熱い痛みを放ち続けている。肉体の結合を促す治癒の光すらも拒絶する彼の身体は、一度でも物理的な致命傷を受ければ、前世の人間と全く同じように、ただ血を流して朽ち果てるしかない。
この神殿の真ん中で、生物としての脆さを抱えながら戦うという圧倒的な緊迫感が、ヴェルトの思考速度を逆にどこまでも平冷なものへと研ぎ澄ませていた。
執行官の男は、長時間の沈黙の後、ゆっくりと書類をアルテアに返した。
「……不備はない。だが、現在の教国内部は、中央神殿の命により、マナの流動制限区域が拡大されている。特に帝国の古い遺構への立ち入りは、いかなる理由があれ、厳格な監視対象となる。秩序を乱すノイズ(不審な行動)は、即座に排除されると知れ」
男はそれだけを告げると、再び音もなく隊列を動かし、広場の向こうへと去っていった。
張り詰めていた空気が、わずかに弛緩する。
「……相変わらず、嫌な奴らだ」
ガロンが、肩の大剣の重みを落ち着かせるように、短く本音を吐き捨てた。言ったことは守る男だが、不必要な摩擦を好むわけではない。
「行きましょう、ヴェルト。彼らの目が光っているうちに、次の目的地へ」
アルテアが率直な警戒を口にしながら、先を促した。
「いや、待て」
ヴェルトは、その場から一歩も動かずに、右手のホルダーから手記を取り出し、炭の棒を滑らせた。
カリ、カリ、と、紙の表面を削る硬質な音が、立ち去る執行官たちの背中に届くかのように、静寂の街路に小さく響き渡る。
――神殿執行官との接触、終了。
――彼らの発するマナの波動に、中央神殿の『大装置』からの直接的な同調を確認。
――教国が隠蔽しようとしているのは、単なる剣術の型ではない。この世界の土台そのものの改ざんだ。
「ヴェルト……? 何を見ているのですか」
アルテアが怪訝そうに彼の視線を追った。
ヴェルトが見つめていたのは、執行官たちが去っていった方向ではなく、広場の中央にそびえ立つ、巨大な白い祈念碑の「足元」だった。
その精緻な術式が刻まれた白い石碑の底――地面と接する玄武岩の敷石の隙間から、わずかに黒ずんだ、全く異なる性質の古い石組みが顔を覗かせていたのだ。
それは、国境の門や、廃村の礼拝堂の基礎と全く同じ、三百年前の『ヴェルナ帝国』全盛期、あるいはそれ以前の高度な土木技術によって据えられた基盤そのものだった。
「歴史の構造は嘘をつかない」
ヴェルトは手記をパタンと閉じ、短く断定した。
「彼らは三花流の『第二の型』を消し去るために、あの廃村を封鎖した。だが、その術理の残響は、この街のインフラの底、教国が最も隠したがっている『中央神殿』の地下へと一直線に繋がっている。奴らが敷いた、この音量を制限した美しい秩序の底に、本物の歴史が埋もれている」
「中央神殿の、地下……」
アルテアの顔が、その言葉の持つ意味の重さに、わずかに強張った。それは、神聖ヴェナ教国の心臓部であり、最高機密が眠る聖域に他ならない。
「そこへ行き、すべてを記録する。それが、私の続きだ」
前世で歴史学者として生きながらも、解き明かせなかった世界の構造。その謎への執念が、ヴェルトの冷徹な瞳の奥で、消えることのない硬質な炎となって燃え盛っていた。
「オレは雇われた傭兵だ。お前が地獄へ行くって言うなら、その大剣で道をこじ開けるだけだ」
ガロンは多くを語らず、ただその十二キログラムの鉄の質量を誇示するように、一歩前を歩き始めた。言ったことは必ず守る、その無骨な背中が、この人工的な静寂に満ちた国において、最も信頼に値する物理の理合だった。
「……私も、お供します。レイナードの血が、その底で何を隠したのかを見届けるために」
アルテアもまた、魔導レイピアの柄を強く握り締め、率直な意志をその瞳に宿して歩き出した。
一行は、徹底的に均一化された白い街路を抜け、どこまでも続く歴史の歪みの最奥――天を突くようにそびえる、中央神殿の巨大な影へと向かって、静かに足を進めていった。
高地特有の、冷たく乾いた風が、三人の旅装を激しく揺らし、その足音を静寂の底へと吸い込んでいく。




