38 逃がさない
わたしは2階の応接間でネフィーとテーブルを挟んで向かい合っていた。
「早速だけど確認させてちょうだい」
ネフィーがソファから立ち上がって、ずいと迫って来る。
「師匠は女性で間違いないのよね?」
いきなり胸を鷲掴みされた。
「あれっ?」
だが、ネフィーの手はわたしの胸を掴めなかった。
「僕は男に決まってるじゃないか」
「嘘よ!」
いきなり白い開襟シャツの襟を両手で掴んで力任せに引っ張るネフィー。
ボタンが弾け飛び、わたしの胸が露になった。
シャツの下には黄色いサーフシャツ。
ネフィーはそれすらも捲り上げた。
乱暴な女だなあ。
「そ、そんな…………」
わたしの開けた前を見てネフィーが絶句する。
その目に映るのは引き締まった胸筋と6パックの腹筋。
「これで納得して貰えたかな?」
ヘナヘナとソファに座り込むネフィー。
実はこれには種がある。
わたしは今まで最小限の[容姿変換]で髪の色だけ変えていたが、非常時なので本格的な[容姿変換]を行使した。
その結果、首から下は年相応の男の体である。
ただ、この状態を長く続けるつもりは無い。
体に引かれて心まで男になってしまいかねないからだ。
それに下半身の違和感が半端ない。
早くネフィーを納得させて追い返して元の体に戻らなければ。
「じゃあ、昨晩、私が見たのは――――」
「幻覚でも見たんじゃないか?」
「でも、心臓マッサージの時に実際に胸を押したし…………私よりも大きいのを――――」
「『男の体に触れたくない』という思いが感触までをも騙したんだろうね」
呆然としながら自分の両掌を見つめるネフィー。
「大きな胸の幻覚を見るなんて、ネフィーの胸は小さいのかな?」
ネフィーが我に返る。
「小さくないわよ」
「うんうん、そうだね。希望を持つのはいいことだよ。まあ、残された時間は余り無いようだけどね」
ヒュン!
風の刃が飛んで来た。
いきなり[ウインドカッター]で攻撃ですか?
手癖の悪いお嬢様だ。
もちろん[ウインドシールド]で無効化する。
ただ、ネフィーの放った風の刃は威力が段違いだった。
とても初級攻撃魔法とは思えない。
わたしでなかったら、上半身と下半身が泣き別れしていたところだ。
「それに…………あなたに唇を奪われたわ」
おいおい。
唇を奪って来たのはネフィーの方だろう?
どこをどうすれば、わたしがネフィーの唇を奪ったことになるんだ?
まあいい。
ここは強引に押し通そう。
「唇? なんのことだ?」
「だって昨晩、あなたと私は!」
わたしが意外そうな顔を向けるとネフィーが飛び掛からん勢いで食い下がって来た。
「夢でも見てたんだろう?」
「そんなはず!」
「王国貴族の令嬢たる君は、魔族かもしれない男とキスするような女なのか?」
ネフィーがピキッと固まる。
「僕は君とキスした覚えはない」
「…………」
「もし君が、僕とキスしたと思っているのなら、それは君の妄想だよ」
ごめん、ネフィー。
本当のことは言えないんだよ。
例え、君が魅力的な女性であったとしてもね。
君は大学に戻って勉学と魔法を極め、いずれ魔法師団の中核を担う身。
一方のわたしは、国王からお払い箱にされ、王国を捨て出て行く身。
『袖すり合うも他生の縁』って言葉があるけれど、所詮はたまたま袖がすり合っただけに過ぎず、再び会うこともなく離れて縁遠くなる他人なんだよ。
わたしは、ノロノロと顔を上げるネフィーに冷徹な顔を向け、口を開く。
「君の魔力総量が急激に増えたということなら、もう僕が君に教えることは何も無い。フィリップ様との約定も果たされたことになる」
そして最後通牒を突き付ける。
「師弟関係は解消だ。帰ってくれ」
ネフィーの顔が歪み瞼に滲んだ涙が零れそうになった時、ネフィーが立ち上がる。
「師匠のバカ! おたんこなす! 死んじゃえ!」
私に罵詈雑言を浴びせたネフィーが応接室を飛び出してバタバタと駆け去っていった。
2階の窓から外を見ると、ネフィーが全力疾走しながら敷地を出て行くのが見えた。
「うわあああああああああああああああああああああ!!!!」
声を上げて泣きながら走り去るネフィーを見て、ズキリと胸が痛んだ。
わたしの命の恩人。
何者かから魂を吸い取られて消え去りそうなわたしを助けてくれたネフィー。
いつも悔しそうなのに、褒めると顔をユルユルにするネフィー。
あの時、わたしはネフィーに抗するのをやめて受け入れた。
その瞬間、彼女の想いが流れ込んで来たのがわかった。
もしかして、あの時、わたしとネフィーのパスが繋がった?
そう言えば、ネフィーの魔力総量、わたしと同レベルに見えた。
わたしの[鑑定+++]の誤差は極小だから間違いない。
ただ、それが本当のことだという裏付けが無い。
長官のセーフハウスの書庫には、そう書かれた文献は無かった。
だから、これはわたしの憶測でしかないのだ。
これも長官に問い合わせるしかないだろう。
問題は長官の事情聴取が必須なこと。
シチュエーションとかを根掘り葉掘り聞かれるのは勘弁して欲しいなあ。
■
いよいよ9月になり、長官が指定する3ヶ月が過ぎた。
「フィリップ様、お世話になりました」
わたしは辺境伯にお暇の挨拶。
「ルミナリオ君。娘のこと、心より感謝する」
辺境伯が握手を求めてきた。
わたしも応じてその手を取る。
「君さえ良ければ、我が辺境伯領で魔法士として召し抱えたいのだが?」
「僕はこの国を出て世界中を旅しようと思っています。ですので、せっかくですが」
辺境伯の誘いを断る。
「残念だよ。だが、もし、君が困るようなことがあれば遠慮なく頼って欲しい。アルテオン家はいつでも君に助力するつもりだ」
本当に立派な方だな。
この人が守護するのなら王国北方は盤石だろう。
「ありがとうございます。その言葉だけで十分です」
これで挨拶は終わり。
後は領都フライブルグを出て北に向かう。
今日中には国境を越えられるだろう。
「ネフィリアはどうしたんだろう? なぜ、最後の挨拶に来ない?」
訝る辺境伯。
王立大学の新学期は王都中央学院の始業より1週間遅い9月半ば。
だから、ネフィーはまだ王都には戻っていない。
それでも顔を見せないのは、わたしに愛想を尽かせたのだろう。
「お気分でも優れないのでしょう。それでは」
わたしは辺境伯邸の執務室を辞すと、そのまま辺境伯邸を出て、更に領都フライブルクの北城門を出た。
ここから、国境までは歩きになる。
天気もいいし、ハイキングがてら国境を目指すとしましょうかね。
◆ ◆ ◆
あの人が出て行った。
最後に私に冷たい態度を示したあの人が。
あの人はこの家を出て行く時に一度も振り返らなかった。
それが何にも増して悔しかった。
あの日のことをあの人は証拠を示して明確に否定して見せた。
でも、私はあれが夢幻だとは思っていない。
私は私の感性を信じる。
あれは本当にあったことだ。
その証拠に、あの時以来、私の魔力量は飛躍的に向上している。
王国一と言ってもいいくらいにだ。
それに私にはあの人の心の内が手に取るように判るようになっている。
あの人の示した証拠も否定の言葉も全部嘘。
あの人がどんな想いで私を拒絶したのかも全て解かっているわ。
だから、私はあの人を追いかけるって決めたのよ。
お父様。
アルテオン家を出奔する親不孝な娘を許して下さいね。
もう、この先、どれだけの出会いがあったとしても、あの人に比類するお方に巡り会うことは無いでしょう。
『幸運の女神には前髪しかない』
だから、私はチャンスを逃さず、必ず私にとっての幸運を掴み取ってみせる。
『あの子を逃してはダメ。あなた自身があの子を守るのよ』
あの日から私の夢に出てくるお姉さん。
彼女は夢の中でアドバイスをくれる。
おそらく、それは私の深層心理。
ならば、私はそれに従うだけよ。
あなたのこと、逃がさないんだから!
私は長旅の準備をすると、荷物をマジックバッグに詰め込んで、家人の目を盗んで屋敷を抜け出し、あの人の後を追った。
時間差3時間。
頑張れば追いつけるはずよ。




