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第4話 謎の庭師クロリス

第4話 謎の庭師クロリス


東京湾から吹く夜風は、生ぬるい。


深夜一時を過ぎても気温は三十八度を下回らず、道路脇の熱波が街灯を歪めていた。


だが、その公園だけは違った。


「……うそ」


若い女性が思わず声を漏らす。


枯れ果てていたはずの噴水跡から、透明な水が流れていた。


さらさら、と。


まるで山奥の渓流みたいな音。


湿った土の匂いが夜風へ混じり、乾き切っていた空気をゆっくり冷やしていく。


葉が揺れる。


枝が鳴る。


木々が呼吸していた。


「すご……涼しい……」


汗だくのサラリーマンがネクタイを緩め、ベンチへ座り込む。


「エアコンじゃないぞ、これ……」


「森の匂いする……」


子どもが裸足で芝生を走る。


その足元には、小さな白い花が咲いていた。


淡く青く光る花弁。


まるで氷細工みたいな花だった。


スマートグラスを構えた配信者が興奮した声を上げる。


「見てくださいこれ! 都内ですよ!? 今四十二度ですよ!? なのにここ、二十六度しかない!」


画面越しに歓声が飛ぶ。


『また出た!』

『氷の花!』

『あの銀座の現象と同じ!?』

『CGじゃないの!?』


その様子を、少し離れた木陰からカレンは見つめていた。


フードを深く被り、人混みに紛れる。


胸の奥が落ち着かなかった。


「……こんなの、本当に私が」


――君だけじゃない。


耳元でクロリスが笑う。


ざわ、と頭上の葉が揺れた。


カレンは振り返る。


誰もいない。


けれど今夜は、不思議とはっきり気配が分かった。


樹々の間。


月明かりの下。


白銀の髪を持つ青年が、木にもたれるように立っている。


透き通るような肌。


人間離れした美貌。


瞳は深い緑。


風が吹くたび、髪の先から花びらみたいな光が散る。


「……クロリス」


彼は楽しそうに笑った。


「やっと見えるようになったね」


「あなた、本当に……」


「精霊王だよ。言ったでしょ?」


カレンは思わず息を呑む。


現実感がない。


なのに彼が立つ場所だけ、空気が澄んでいる。


夏の夜なのに、森の朝みたいな匂いがした。


クロリスは人々を眺めながら肩をすくめる。


「人間って面白いね。木を切っておいて、“緑化事業”とか言ってる」


「……」


「でも君は違う」


彼の指先が、そっと一本の葉へ触れる。


瞬間、葉の表面へ水滴が浮かんだ。


「君は植物を“設備”じゃなく、生き物として見てる」


カレンは俯いた。


そんな風に言われたのは初めてだった。


「私、ただ……昔から木が好きだっただけです」


「それが大事なんだよ」


クロリスの声は優しかった。


「精霊術は支配じゃない。共鳴だから」


その時、公園入口が騒がしくなる。


大型撮影ドローン。


警備車両。


企業ロゴ入りの冷却スーツ。


人々がざわついた。


「あれ、帝都環境開発じゃない?」

「九条レイナだ!」


カレンの肩が強張る。


人混みを割って現れたのは、白いスーツ姿のレイナだった。


テレビクルーに囲まれ、完璧な笑顔を浮かべている。


「本日は都民の皆様へ、新たな冷却都市計画をご紹介します」


カメラのライトが夜の公園を照らした。


レイナは一瞬、公園の空気に眉をひそめる。


「……何これ」


小声だった。


だが次の瞬間には笑顔へ戻る。


「現在、政府と帝都環境開発は共同で“東京冷却ドーム計画”を進めています」


巨大モニターが展開される。


CG映像。


都心を覆う半透明ドーム。


人工気流。


最新冷却設備。


歓声。


拍手。


レイナは誇らしげに微笑む。


「私たちは科学の力で、東京の未来を守ります」


その瞬間だった。


ざわっ、と木々が揺れた。


まるで怒ったみたいに。


冷たい風が吹き抜ける。


レイナの髪が乱れた。


「っ……!」


彼女は不快そうに周囲を見回す。


カレンは息を呑んだ。


クロリスが笑っている。


「嫌われてる」


「え……」


「植物に」


レイナは足元の花を踏みつけながら歩く。


その瞬間、花々がさっと閉じた。


まるで拒絶するみたいに。


クロリスの瞳が細くなる。


「自然はね、誰が自分を利用しようとしてるか分かるんだ」


レイナの視線がふとカレンの方へ向いた。


一瞬。


鋭い目。


カレンは慌てて顔を伏せる。


だがレイナはすぐ興味を失ったように前を向いた。


「それでは皆様、未来の東京にご期待ください」


拍手が起こる。


ドローンが飛び立つ。


熱風が戻ってくる。


だがその時。


ぽたり、と。


冷たい雫がカレンの頬へ落ちた。


「……雨?」


空を見上げる。


雲はない。


それでも木々の葉から、水滴がこぼれていた。


雪解け水みたいに澄んだ雫。


子どもたちが歓声を上げる。


「つめたーい!」


水は小さな流れになり、公園の地面を走っていく。


さらさら、と。


夜の東京で、本物の小川の音が響く。


人々が息を呑んだ。


「ありえない……」

「真夏だぞ……」

「なんだここ……」


配信コメントが爆発的に流れる。


『氷の森』

『都内に避暑地出現』

『魔法じゃん』

『氷華の魔女ってマジでいるのか』


誰かがそう呟いた。


「氷華の魔女……」


その名前が、人々の間を静かに広がっていく。


カレンは胸を押さえた。


怖かった。


自分が何者なのか分からない。


でも同時に、嬉しかった。


苦しそうだった木々が、今は生き生きと葉を揺らしている。


子どもたちが笑っている。


誰かが深呼吸している。


東京で、そんな当たり前の光景を見るのは久しぶりだった。


クロリスが隣で微笑む。


「ねぇカレン」


「……はい」


「東京を森に変えてみる?」


カレンは思わず笑った。


「そんなの、無理ですよ」


「どうかな」


クロリスの瞳が月光を映す。


「君ならできる」


その瞬間、風が吹いた。


熱に濁った東京の夜空へ、無数の白い花弁が舞い上がる。


まるで雪だった。



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