第八話 魔物ですわ、旦那様お逃げください 千草、君が逃げろ なんだ、入れないぞー!
祥吾は、結界に悪戦苦闘していた。
深呼吸して心を落ち着けて進む、はじかれる
座禅を組み無我の境地に入り、進む、はじかれる
やけになって、刀で切りつける。はじかれない
そのまま刀は空を切り地面まで切り、
その勢いで顔から地面に激突する
その橫を、鶏のタマたちも、山羊のハナも、牛たちも、
悠々と歩いて行く
「旦那様……」
千草の気の毒そうな視線が心に刺さる。
駆け寄ってきた千草が、
起き上がるの手助けしようと手を差し出してくる。
恥ずかしさに、手を取るのをためらうが、
心配そうな表情に、
己のプライドを押し殺し手を取り起き上がる。
「あら」
千草が驚いた声を上げる
何事かと見ると、千草が嬉しそうに言った。
「旦那様、お外に出られましたわ」
見ると祥吾は結界のすぐ外にいた。
「良かったですわ。これで、一緒にお出かけもできますわね」
両手で祥吾の手を胸元に寄せながら言う千草。
固まる祥吾
(て、手が、む、胸に近い——)
結界の問題は、あっさり解決してしまった。
千草と手を繋ぐ。疾風に乗る。
誰か(?)と接触していれば、祥吾も結界から出ることが出来た。
ただ、祥吾の心は複雑だった。
(俺は、幼子か!)
もはや、主どころではない、屋敷内の最底辺にまで落ちてしまった
その証拠に、みんな自分で結界を出ることができるのに、自分はできない。
(こいつらの手を借りねばならん、この身がうらめしい!)
川は、屋敷の裏手側、森の少し奧を流れていた。
千草が、先程からしきりに首をかしげているのに気がついて
祥吾は尋ねた
「何か気になる事でもあるのか?」
「いえ、今回私が川に気付いた場所は、今までも何回か通った場所なのです
今まで気がつかなかったのに、今日ははっきりと分かりました
それが気になって」
千草自身も理由が分からないようだった。
ほほに手を当て考え込んでいたが、
不意に目を見開いて川縁まで近づいた
「まて、うかつに動き回るのは危険だ」
祥吾は急いで千草の元に駆け寄る
「……旦那様」
千草が、しゃがみ込む。
「見てくださいませ」
指差した先には、見たことのない草が生えている。
葉は半透明で、わずかに光っている。
「これは?」
問いかけに千草が答えようとしたときだった
ガサリ、と音がした。
振り向くと、大型犬を一回り大きくした四つ足の獣。
低く、唸り、姿勢を低くする。
千草を背にかばい、祥吾は前に出て刀を抜く。
獣が跳んだ。地を蹴る音で間合いを測り、
踏み込みながら横なぎに振るう。
だが経験不足か、間合いが甘く、刀は空を切った。
獣はその下を潜り抜けた。
(まずい!)
そのときだった。
「旦那様!」
背後から、千草が飛び出してきた。
前に出た、その身を引き留めようと手を伸ばすが届かない。
「千草!!」
獣に襲われる妻の姿が脳裏にひらめき、自分のとは思えない悲痛な叫びをあげる。
だが、千草は手にした何かを、獣めがけて投げつける
獣が、空中で体勢を崩し、地面に倒れる
「旦那様、お逃げ下さい!」
「何を言う、俺が引き留める。早く屋敷に戻れ!」
獣は、立ち上がり低く唸る。だが、襲ってはこない。
祥吾は千草をかばうように前に立ち、獣から目を離さず叫ぶ
「早く戻れ!」
その声の厳しさと、込められた願いに、千草は、思わず祥吾を見つめた
そして、すぐに身を翻し屋敷へと駆けだした。
(よし!)
その気配を察して、心の片隅でほっとしながらも、一編の隙もなく対峙する
やがて、獣は、低く唸りながら、後ずさり——去った。
祥吾は、しばらく警戒して構えを解かなかったが、気配が戻ることはなかった。
ほっとして構えを解くと、手がわずかに震える。
(情けない!)
思わず舌打ちをする。
屋敷に戻ると、塀の内で待っている千草の姿が目に入った
その安心して泣きそうな顔を見ると、先程の鬱屈が解けていく
思わず千草に駆け寄ろうとして、
祥吾はそこで結界に派手にぶつかりすっころんだ。
「旦那様!」
駆け寄ってくる千草を見ながら、祥吾は別の意味の鬱屈にさいなまれた。
(情けない……)




