第三十七話 エルフ集落の追放者
それからの数日間、祥吾はきな子の瞳を通じて
母子の過酷で、けれど静かな生活を見つめ続けた
エルフの集落は、彼女たちをいないものとして扱った
与えられる食糧などほんのわずかでしかなく
きな子は毎日、森の奥で硬い木の実を拾い、僅かな山菜を摘んで
それらを石で擦り潰してスープにした
母に一口でも多くの滋養を与えたい――
その一心が、きな子の小さな身体を突き動かしていた
そんな二人の命を辛うじて繋いでいたのは
月に何度か、集落の境界までやってくる人間の行商人だった
エルフたちは人間を見下していたが
彼らがもたらす塩や珍しい布地だけは欲した
その行商人の中に、年の頃は二十歳前後の、見習いらしい女性がいた。
純血の美しさを誇るエルフたちの中で
傷だらけで痩せ細ったきな子の姿は、あまりにも異質だった
女性は最初、驚いたようにきな子を見つめていたが
やがて、商人たちの目を盗むようにして
荷台の奥から、干し肉の切れ端や、固くなったパン、干し野菜の包みなどを
きな子の小さな手に握らせてくれた
「ほら、おチビちゃん。今日もたくさん売れ残っちゃってさ
荷物が重くて敵わないから、内緒で引き取っておくれよ」
それは、この残酷な森の中で、母子がお互い以外から受け取る唯一の「温もり」だった
「これ、お母さんに食べさせな。あんたも、ちゃんと食べるんだよ」
女性の心にある『どうか生きておくれ』という
温かい祈りのような思念が、きな子の心へ流れ込む
きな子はその温かさに胸を震わせ、何度も何度も、小さな頭を下げた
ただ、その思念とは別の女性の秘密も流れ込んできた
きな子は自分の能力の罪深さを思い知り、女性の顔を見ることができなかった
その貴重な蓄えを少しずつ鍋で煎じ、母の口へと運ぶ日々
スープを飲み干した母が、微かな笑みを浮かべてきな子の髪を撫でる
その日々こそが、きな子にとっての世界のすべてであり、幸福な時間だった
だが、別れは突然訪れる
ある夜、小屋の中で、母はきな子の手をきつく握りしめた
その身体からは、すでに命の灯火が消えかけていた
「ごめんなさいね……いっしょにられなくて
でもね、必ず、あなたを愛してくれる人はいるわ
きっと……」
「母様、かあさま……っ」
きな子は母の胸にしがみついた
だが、握られていた母の手から、ふっと完全に力が抜ける
きな子の瞳が大きく見開かれ、絶望がその小さな身体を貫いた
母が「生」から「死」へと切り替わる瞬間を
彼女の能力が、誰よりも冷酷に、そして明瞭に突きつけていた
きな子は魂が抜け落ちてしまったかのように
母の亡骸のそばに立ち続けた
ただ、ひたすらに、立ち続けた
やがて、夜が明けるたころ、小屋の扉が乱暴に蹴り開けられた
入ってきたのは、あの長弓を背負った男と、数人の冷徹な大人たちだった
呆然と立っているきな子を一瞥することすらなく
その小さな身体を押しのけ、寝床の母親を見た
「やはり、死んでいたか」
男は清々したというようにつぶやいた
「どうして……?」
感情のない声できな子が問う
「周りの花が枯れていたからな」
そう言うと男は、初めてきな子の方を向いた
「母親が死んだ以上、お前をこの森に置いておく理由はなくなった」
男はいきなりきな子を持ち上げた
小屋の外に出て憎々しげに叫ぶ
「去れ! 二度とこの集落へ戻るな!」
その言葉とともに、きな子の体は、集落の端の深い茨の茂みの向こうへと
容赦なく投げ捨てられた。
衣服が裂け、棘が肌を切り裂き、新しい鮮血が淡い褐色の肌を濡らす。
きな子は、顔を伏せたまま、じっと動かなかった。
帰る場所は、もうどこにもない。世界に、たった一人きり。
ぽろぽろと大粒の涙が地面の泥を濡らしていく。
祥吾は、きな子の記憶が刻んだ悲しみと痛みのすべてを
同じ目線で、同じ感覚で、受け止め続けていた
声をかけることも、手を伸ばし抱きしめることもできない
狂おしいほどのもどかしさと怒りが
祥吾の魂の中で嵐のように吹き荒れていた。
第三十五話から数話、きな子の過去の話なので、少し重い内容が続きます
けれど、この作品の核は、これまでと同じコメディです
また、元の様に戻りますので、お見捨て亡きようお願いしますm(_ _)m




