第9話 最古参のプライドと、俺の決意
「……全然、似てないわよ」
氷室雪乃の、低く、ドス黒い、凄まじい圧力を伴った声がスタジオに響き渡った。
凍りついたのは俺の心臓だけではない。無邪気にスマホから黒歴史ソングを流していた翔太も、雪乃から放たれる凍てつくオーラに、思わずビクッと肩を震わせた。
「ゆ、雪乃ちゃん……? な、なんか怒って――」
「耳、腐ってるんじゃないの」
雪乃は、般若のような形相を一瞬で『氷の女王』の冷たい無表情で覆い隠し、翔太を鋭く睨みつけた。
「こんな神がかったギターの音色を、いつもオドオドしてるだけの、腐れ縁の陰キャが出せるわけないでしょ」
(本当は完全に本人だけど!! 私だけの神なんだから、昨日今日知ったようなにわかが気安く語らないでちょうだい!! それに、湊の愛の結晶を湊自身が演奏するなんて、泥棒猫を喜ばせるだけでしょ!! カバーなんて絶対に許さないんだから!!)
――というのが、雪乃の脳内を駆け巡っている最古参限界オタクとしてのプライドと、独占欲の爆発であった。
しかし、そんな雪乃の荒れ狂う内面など知る由もない俺は、別の意味で心底震え上がっていた。
(……た、助かったぁぁぁぁぁっ!!)
今日ほど幼なじみの『塩対応』と『俺への過小評価』に感謝した日はない。
雪乃の強烈な全否定によって、「俺=Kanato」という最悪の疑惑は、間一髪のところでへし折られたのだ。
「そ、そうか……。ごめん、俺の勘違いだったかも。確かに、この神と比べるのは影山にも悪いよな」
翔太は冷や汗をかきながら、慌ててスマホの再生を停止した。
ピタリと鳴り止む黒歴史。
俺は全身の毛穴から冷や汗を噴き出しながら、「あ、ああ。俺なんかと比べられたら、その神様もいい迷惑だよな、ははっ……」と引きつった笑いを返すのが精一杯だった。
(……ほんと、このバンドの寿命より先に私の寿命が尽きそう)
壁際で、結城澪だけが全てを悟った顔で天を仰いでいた。
***
気まずい沈黙がスタジオに落ちる。
雪乃はドスリ、とパイプ椅子に座り直し、腕を組んで不機嫌そうに目を伏せている。
(やっぱり、あんな痛々しいラブソングを大音量で聴かされたから機嫌を損ねたんだな。あいつ、この曲のこと知ってるようだけど、『女々しい』って言ってたし……)
俺は、そう解釈しつつ、改めてカバー演奏を全力で回避する決意を固めていた。
そんな中、翔太が手元のスマホを見つめながら、ぽつりと口を開いた。
「……でもさ」
いつも明るくチャラい翔太の声が、ふと、真剣な低さを帯びた。
「俺、いつかこの神ギターに負けないくらい、最高のボーカルになりたいんだ」
「……陽向?」
「最初はただ目立ちたいとか、モテたいとか、そういう不純な動機もあったけどさ。でも、このKanatoのギター聴いたら、なんかガツンと殴られた気がしてさ」
翔太の目は、冗談でも見栄でもなく、純粋な音楽好きの少年のそれだった。
「誰かの心をここまで震わせる音。……俺も、そういう歌を歌いたい。ステージで全員の心を鷲掴みにするような、そんなボーカルに」
その真っ直ぐな言葉に、俺は思わず息を呑んだ。
そして、パイプ椅子に座る雪乃の横顔を盗み見る。
(……ああ、そうか)
雪乃がさっき、凄まじい圧で翔太の言葉を遮った理由。
それはきっと、俺のような陰キャの音と、憧れの翔太の目指す『神様』を一緒にされたくなかったからだ。
雪乃は、翔太が本気で歌と向き合い、ステージで輝くことを、誰よりも楽しみにしているのだから。
胸の奥が、ギリッと痛む。
俺の初恋は、どう足掻いても届きそうにない。
しかも、目の前にいる翔太は、俺が嫌いな嫌味な陽キャなんかじゃない。こんなにも真っ直ぐに音楽を愛し、努力しようとしている『良い奴』だ。
(……だったら、俺も……)
ただ流されて、裏方に逃げて、適当にサポートをこなしてギターを辞める。
―—そんな惨めな幕引きは、もうやめだ。
俺は愛用のストラトキャスターのネックを、ギュッと力強く握りしめた。
顔を上げ、翔太の真っ直ぐな瞳を見据える。
「……陽向。カバー曲の件は、俺の技術不足もあるし、一朝一夕で合わせられる曲じゃないから諦めてくれ」
「うっ……ま、まあ、そうだよな。無理言ってごめん」
「でも……」
俺は、今までにないほどハッキリとした声で告げた。
「決まってる三曲に関しては、俺が持てるすべての技術を注ぎ込む。……文化祭のステージ、俺のギターでお前を『神ボーカル』にしてやるよ」
「――っ!」
翔太が、弾かれたように顔を上げた。
「だから、お前は後ろを気にせず、前だけ見て、最高の声を全校生徒にぶつけろ」
それは、俺なりの初恋へのケジメであり。
俺から翔太への、音楽という土俵での宣戦布告だった。
俺のギターでお前を輝かせる。雪乃が選んだお前が、誰よりもかっこいいボーカルであることを、俺の音で証明してやる。
「かげ、やま……っ!」
翔太の瞳が、感動で潤んでキラキラと輝き始めた。
「お前……っ、お前めっちゃいい奴だな!! よっしゃあああっ! 俺、マジで最高の歌うたうから! 頼むぞ、相棒!!」
「相棒って言うな。暑苦しい」
ガシッと肩を組んでくる翔太を鬱陶しそうに引き剥がしながら、俺の心には、今までに感じたことのない熱い何かが灯った気がした。
ただのコミュ障の機材係だった俺が、初めて『文化祭ライブを成功させる』という明確な目的を手にした瞬間だった。
一方、その熱い男同士の誓いを、至近距離で見せつけられていた氷室雪乃は。
(アァァァァァァァァッ!! なに無理、今の湊イケメンすぎ!! 私のため(※勘違い)に本気出すとか主人公すぎる!! 好きぃ!!)
突然の湊の男らしさと熱い言葉に被弾し、パイプ椅子の上で生まれたての小鹿のようにプルプルと震え、限界化のゲージをさらに振り切らせていた。
(……人間関係の矢印はグチャグチャだけど、バンドとしての熱量は上がった、のか……?)
澪が、少しだけ安堵したように息を吐き、静かにベースを構え直した。
――こうして、俺の明確な意志が加わったことで、バンドは一つにまとまり、最高の文化祭ライブに向けて走り出す……はずだった。
まさか俺の『本気のギター』が、この後、翔太の自信をへし折り、バンドを崩壊の危機へと追いやることになるなど、この時の俺たちは知る由もなかった。
第9話、最後まで読んでいただきありがとうございました。
翔太の熱い思いに触れ、湊の中でも何かが動きだす、そんな回となりましたが、いかがでしたでしょうか?
ラフコメ作品でありながら、男同士の熱い友情のはしりを描く形となった訳ですが、皆さまはどのように感じられたでしょうか?
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