第10話 本気のギターと、ボーカルの挫折
「――ワン、ツー、スリー、フォーッ!」
ドラムのスティックが打ち鳴らされ、スタジオに激しいバンドサウンドが弾け飛んだ。
『俺のギターでお前を神ボーカルにしてやる』
そう宣言した俺――影山湊は、これまでの「失恋の切なさ」や「ヤケクソの叫び」を一切捨て去り、完全に思考を切り替えていた。
ボーカルである翔太の声を際立たせるための、計算し尽くされたバッキング。
ドラムとベースのリズムに寸分の狂いもなく寄り添う、研ぎ澄まされたカッティング。そして、ボーカルの息継ぎの隙間を縫うように、鮮やかに差し込まれるオブリガード。
俺のギターが、ただ派手に目立てばいいわけじゃない。
バンド全体のグルーヴを根底から支配し、ボーカルを王座へと押し上げるための、圧倒的な『支え』としてのギター。
俺が持てるすべての技術を注ぎ込んだその音は、スタジオの空気を一変させていた。
(アァァァァァァァァッ!! なに今のカッティング!? 今までの荒々しいエロさから一転して、バンド全体を抱きしめるような包容力! 新たな新境地? 無理、好きぃぃっ!)
パイプ椅子に座る雪乃は、表面上は腕を組んでジッと前を見つめていたが、その両膝はプルプルと小刻みに震え、限界突破したオタクの歓喜で精神が崩壊しかけていた。
ベースを弾く澪も、『……ウソでしょ。影山くんが本気でサポートに回っただけで、バンドのレベルが三段階くらい跳ね上がった……』と驚愕に目を丸くしている。
しかし、その『本気のギター』が、皮肉にも、ボーカルである翔太を残酷なまでに追い詰めていくことになった。
「――っ! ごめん、ストップ! もう一回、Bメロの入りから頼む!」
翔太が片手を上げ、演奏を止める。
その顔には、いつもの爽やかな余裕は消え失せ、焦燥感に満ちた汗がべっとりと張り付いていた。
「悪い、もう一回だ! 俺の入りが遅れた!」
「オッケー。ワン、ツー……」
再度、演奏が始まる。
翔太はマイクスタンドを両手で強く握りしめ、首筋に青筋を立てて必死に声を張り上げた。
だが、何度やり直しても、結果は同じだった。
俺が本気を出せば出すほど、翔太の歌声が『音の圧力』と『表現力の差』に喰われ、完全に負けてしまうのだ。
これでは、翔太の歌ではなく、『すげえギターの脇役として歌わされているボーカル』にしか聞こえない。
「クソッ……! 違う、こんなんじゃない! もう一回、最初からだ!」
翔太は決して、諦めなかった。
自分の不甲斐なさに唇を噛み切りそうなほど悔しがりながら、何度でも食らいつこうとした。
声がかすれ、裏返るようになっても、マイクを決して離そうとしない。
限界を迎えた喉から、無理矢理に声を絞り出す。額から落ちた汗が、床に黒いシミを作っていく。
(……陽向)
俺は、翔太のその必死な背中を見つめながら、どうすればアイツの声を引き立てられるか、弾きながら必死に模索していた。
だが、音量を下げても、手数を減らしても、ごまかしは効かなかった。
純粋に音楽を愛し、俺の『Kanato』としての音を誰よりもリスペクトしている翔太自身が、その残酷なまでの実力差を一番痛感してしまっていたからだ。
「――あぁぁぁぁぁぁぁっ……!」
サビの最高音。
翔太の擦り切れた声が、無残にも裏返り、プツンと途切れた――その瞬間。
ガシャンッ!!
スタジオに、マイクスタンドが乱暴に蹴り倒される激しい音が響き渡った。
ハウリングの甲高いノイズが鳴り響き、ドラムもベースも、俺のギターも、完全に止まった。
「……陽向?」
俺が恐る恐る声をかけると、肩で激しく息をしていた翔太が、バッとこちらを振り返った。
その瞳には、いつもの自信に満ちた明るい『陽キャ』の面影は消え失せ、濃い劣等感と挫折の色だけが浮かんでいた。
「……ダメだ。全然ダメだ」
翔太が、震える声で吐き捨てる。
「俺の歌じゃ……お前の音に、全然釣り合わねえ」
「そんなことない。お前の声はちゃんと通ってるし、今のテイクだって――」
「誤魔化すなよ!!」
翔太の怒鳴り声が、狭い密室に反響した。
パイプ椅子の雪乃がビクッと肩を揺らし、澪が痛ましそうに目を伏せる。
「俺が一番わかってんだよ……! 俺がどれだけ必死に声張っても、全部お前のギターに持ってかれる! 俺の歌なんて、ただのオマケにしかなってねえんだよ!!」
「陽向、落ち着けよ。まだ合わせ始めたばっかりじゃないか」
「こんな惨めな状況、落ち着いてられるかよ!!」
翔太は両手で顔を覆い、ギリッと歯ぎしりをした。
「……お前が俺を『神ボーカル』にしてくれるって言った時、俺、マジで嬉しかったんだ。でも、無理だ。お前の音は別格だよ。俺なんかの薄っぺらい歌じゃ、絶対にお前の上には立てない」
それは、純粋に音楽と向き合ってきたからこそ気付いてしまう、才能の壁に対する決定的な絶望だった。
「これじゃ、俺のバンドと言えねえ。お前のワンマンライブのオマケだろ……!」
「陽向……」
「……いっそお前が、前に出て歌えばいいだろ」
ポツリと、最も言ってはいけない諦めの言葉をこぼし、翔太はスタジオの重い防音扉を乱暴に押し開け、外へ飛び出していってしまった。
バタンッ、と扉が閉まる音が、異様に大きく響く。
床に転がったマイク。
行き場を失った俺のギター。
残されたスタジオには、凍りついたような沈黙が落ちた。
俺が『本気を出した』ことによって、たった一時間で、バンドは最悪の危機を迎えてしまったのだ。
「……最悪」
澪が、ベースを握ったまま呟いた。
「……これ、文化祭どころじゃないかも」
俺は何も言えず、ただ下を向いて、自分の不甲斐なさを呪うしかなかった。
すると突然、パイプ椅子に座っていた雪乃が、無言のまま立ち上がり、スタジオの出口へ向かってツカツカと歩き出す。
「雪乃?」
俺が声をかけると、雪乃は扉のノブに手をかけたまま、チラリとこちらを一瞥した。
「……あんたは、ここで待ってなさい」
いつもの冷たい声。
しかし、その瞳の奥には、絶対にこのままでは終わらせないという『氷の女王』としての、あるいは『最古参オタク』としての、強い光が宿っていた。
第10話、最後まで読んでいただきありがとうございました。
湊が積極的にバンドのレベルを押し上げようとしたことで、ボーカルである翔太を追い詰めてしまう回となりましたが、いかがでしたでしょうか??
いつも明るい翔太が機材にあたったり、弱音を吐いたり普段とは違う顔をのぞかせました。
そして、最後には言ってはいけない一言まで飛び出す始末。皆さまはどのように感じられたでしょうか?
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