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第8話 黒歴史のカバー提案

 その日の地獄のスタジオ練習は、一旦の休憩時間を迎えていた。


「ぷはーっ! やっぱ全力で歌った後は最高だな!」


 ボーカルの翔太は、コンビニの袋から取り出したペットボトルのお茶をごくごくと飲み干し、爽やかな笑顔を弾けさせた。

 俺――影山湊は、雪乃から押し付けられた一本五百円のスポーツドリンクをちびちび飲みながら、少し痛む指先を休ませていた。

 スタジオの隅のパイプ椅子では、雪乃が相変わらずシベリアの永久凍土のような冷たい視線をこちらに向けており、ベースの澪は虚無の表情でスマホを眺めている。


「なあ、みんな」


 ふと、翔太が真剣な表情になって口を開いた。


「文化祭のセトリ(セットリスト)のことなんだけどさ」

「セトリがどうかしたの?」


 澪がスマホから顔を上げる。


「予定してた三曲以外に、もう一曲だけ。どうしても、ライブの最後にやりたい曲があるんだよなぁ」

「時間的にはギリギリ一曲追加できる枠はあるけど……。新しく覚えるとなると、それなりに簡単な曲じゃないと厳しいわよ?」

「いや、めちゃくちゃ激しくて難しい曲なんだけどさ! 今の影山のギターを聴いてたら、絶対にやりたくなっちまって!」


 翔太は興奮気味に身を乗り出し、自分のスマホをスタジオのBluetoothスピーカーに接続した。


「俺がずっと崇拝してる、伝説の『神様』の曲なんだけどさ。……文化祭のトリで、これ、カバーしようぜ!」


 翔太が、再生ボタンを押した。

 スピーカーから、少しノイズ混じりの、しかし圧倒的な熱量を持った荒々しいギターのイントロが流れ出す。


「…………えっ?」


 俺の心臓が、ドクンッ! と跳ね上がった。

 全身の血の気が一瞬にして引き、指先から温度が失われていく。


 間違いない。いや、間違うはずがない。

 中学時代、俺が雪乃への重すぎる想いをこじらせ、あろうことかネットの海に放流し、翌日、慌てて全削除した……あの『中二病ラブソング』だった。


(お、終わった。俺の黒歴史……)


 顔面蒼白になり、思わず手に持っていた高級スポーツドリンクを取り落としそうになる。

 自分の黒歴史を大音量で聴かされているだけでも地獄なのに、今、翔太はなんと言った?


『文化祭のトリで、これ、カバーしようぜ』


 つまり、全校生徒が集まるステージで、俺自身の手でこの黒歴史ソングを演奏しろと!?


「ちょっ、待っ――」


 俺が悲鳴を上げようとした、その時。


「――っ!?」


 ガタッ! と大きな音を立てて、パイプ椅子に座っていた雪乃が立ち上がった。

 その目は極限まで見開かれ、信じられないものを見るようにスピーカーを凝視している。


(な、なんで翔太くんのスマホから、湊の神曲が流れてるの!?)


 雪乃の脳内は、パニックを通り越して大暴走を起こしていた。

 自分のパソコンの奥深く、『Minato_God_Archive_絶対に消すな』という隠しフォルダの中にしかないはずの絶対不可侵の聖域が、なぜ翔太のスマホから大音量で垂れ流されているのか。


 そして――。


(こ、これを文化祭でカバーする!? 湊が、あの泥棒猫(見えない女)に向けて作った愛の結晶を、全校生徒の前で披露する!? それって、つまり公開告白!?)


 雪乃の周囲の温度が、急激にマイナス五十度まで低下した。

 独占欲。嫉妬。そして、愛する推しの曲が『カバー』という形で汚されることへの、最古参オタクとしての本能的な拒絶。

 ギリィッ……! と、雪乃が奥歯を噛み砕かんばかりの音を立て、般若のようなオーラを放ち始める。


 そんな二人の精神崩壊など全く気づかない翔太は、目をキラキラと輝かせて熱弁を振るい始めた。


「聴いてくれよこのギター! マジで魂削ってる感じしない!? 弾いてるヤツの情念がすげえっていうか! それに何より、歌詞が最高にエモいんだよ!!」

「や、やめろ陽向……」

「サビのここ! 『凍てついた君の心、俺の六弦(シックスストリングス)で溶かしてやるよ』だぜ!? 男の俺でも惚れるわ!!」

「ゴフッ(吐血)……」


 俺は羞恥心のあまり、その場に崩れ落ちそうになった。

 全校生徒の前で公開処刑されるビジョンが脳裏に浮かび、息ができない。


(……ああ、終わったわね)


 そんな様子を冷静に見つめる澪は、片手でそっと自分の顔を覆っていた。

 彼女だけは、この曲の正体も、雪乃のヤバい裏の顔もすべて知っている。

 いま、このスタジオには『社会的死の恐怖に震える陰キャ』と『嫉妬と独占欲で狂いそうな限界オタク』の二つの爆弾が存在していることを、澪だけが正確に把握していた。


「な!? 絶対盛り上がるって、この曲! 俺が魂込めて歌い上げるからさ!」

「い、いや! 陽向! この曲はちょっと……ほら、難易度高すぎるし! 高校生がやるには歌詞がちょっとアレっていうか、痛いっていうか!」


 俺は必死で手を振り回し、顔を引きつらせて抵抗した。


「だからこそ挑戦しがいがあるんだろ! さっきのお前のエモいギター聴いて確信したんだよ。お前なら、この(Kanato)のギターを完全再現できるって!」


(再現も何も、俺がKanato本人だ!……絶対に言えないけど!)


 心の中で絶叫する俺の肩を、翔太がガシッと力強く掴んだ。

 そして、翔太は悪気のかけらもなく、真剣な瞳で、俺の顔を覗き込み――更なる爆弾を投下した。


「それにさ……ずっと不思議だったんだけど。なんかこの神ギタリストの弾き方のクセ、影山にめちゃくちゃ似てないか?」


 ――ピシッ。

 俺の心臓が、完全に凍りついて停止した。


「……え」


 俺の喉から、間の抜けたカエルのような声が漏れ、背筋に冷たい汗がツーッと流れ落ちる。

 そして、俺が言い訳の一つも捻り出せずに硬直していると、横から絶対零度の冷気を纏った『氷の女王』が、スッと一歩前に出た。


「……全然、似てないわよ」


 雪乃の、低く、ドス黒い、凄まじい圧力を伴った声がスタジオに響き渡った。

第8話、最後まで読んでいただきありがとうございました。

翔太の無邪気な提案に特大ダメージを喰らう湊。


そして別方向で多大な衝撃を受ける雪乃。

Kanato(湊)の音源を持っているのは自分だけという、オタクならではの優越感みたいなもの何となく共感できる気がします。

皆さんはどうでしょうか?

ぜひ、コメントで感想や愛のあるツッコミをいただけると嬉しいです。


また、この作品が少しでも


「面白い!」

「続きが気になる!」

「更新がんばれ!」


と思っていただけましたら、「☆」やリアクションで応援いただけると嬉しいです。

皆様からの反響が、作品を書く最高の原動力になります!

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