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第7話 胃薬の消費量

 私、結城澪(ゆうきみお)は、ベースの低音(ルート)を淡々と一定のリズムで刻みながら、心の中でひっそりと遺書を書いていた。


 死因:極度のストレスによる急性胃潰瘍、または胃穿孔(いせんこう)

 原因:目の前のスタジオで繰り広げられている、人間関係のベクトルが完全に崩壊した地獄のコント空間。


(……このバンド、終わってるわ。音楽的な意味じゃなくて、感情のもつれ、いや、視点のズレ具合が)


 文化祭に向けてのスタジオ練習、二日目。

 一応、形としてはそれなりに音は鳴っている。いや、サポートに入ってくれた影山くんのギターがバケモノ級のおかげで、むしろバンドとしてのクオリティは格段に上がっている。


 問題なのは、その中で鳴り響く『感情』の不協和音だ。

 私はベースを弾く手を止めず、冷めた目でボーカルの背中を見つめた。


(おい翔太。無駄なビブラートやめろ。演歌じゃないんだから)


 さっきから翔太は、パイプ椅子に座る雪乃をチラチラと見ながら、自分の歌声に酔いしれている。

 雪乃が監視という名目でスタジオにやってきたことを、『雪乃ちゃんが俺の歌を聴きに来てくれた!』と完全に勘違いして有頂天になっているのだ。


 哀れなピエロに教えてあげたい。

 あの子の視線、あんたの顔なんて一ミリも掠ってないから。完全に『手前にあるただの障害物(モブ)』として処理されてるから。


 そして私は、視線をその斜め後ろへと移す。


(そして影山くん。……お前は、鈍感の才能がプロ級だな)


 影山くんは昨日、自分の幼なじみが、イケメン翔太に熱視線を送っていると勘違いし、勝手に失恋オーラを撒き散らしていた。

 そのやり場のない失恋のダメージをギターに乗せて弾いているものだから、ただでさえ上手いギターが異常なエモさと哀愁を帯びてしまっているのだ。


 休憩時間の差し入れの格差で、普通は気づくはずだろ。いや、むしろ気付けよ。

 翔太には百円ののど飴。自分には一本五百円の高級スポーツドリンクと冷感タオルのセットだよ。

 どう考えても、扱いが『どうでもいい男』と『推し』のそれだろうが。なぜ「嫌がらせか?」みたいな顔で受け取ってるのよ。

 お前がエモいギターを弾けば弾くほど、目の前の幼なじみの情緒がさらにブッ壊れていくことに、いい加減気づけや。


 私はため息を飲み込み、最後に、諸悪の根源であるパイプ椅子の親友へと視線を向けた。


(……雪乃。塩対応の顔作ってるけど、今さっき影山くんの『指のタコ』見て、目がハートになってたぞ)


 氷室雪乃。学校一の美少女にして、氷の女王。

 しかし私は知っている。あの子の家のPCの奥深くにある隠しフォルダ『Minato_God_Archive_絶対に消すな』の存在を。

 そして、フォロワーゼロの鍵付き裏垢で、『スタジオで推しの生音浴びれるの致死量』『タコ指エッチすぎ』『泥棒猫は殺す』と狂ったようにポストしている限界オタクであることを。


 昨日の練習終わりなんて、本当にヤバかった。

 影山くんが落としたピックを、こともあろうかスライディングで拾いにいったのだ。しかもその直後、それを自分のポケットにしまおうと――あるいは匂いを嗅ごうとしていた。

 だから私は、親友が公衆の面前で『窃盗』および『変態行為』という犯罪に手を染める前に、スネを全力で蹴り飛ばしてやったのだ。逆に感謝してほしいくらいである。


(そもそも、雪乃が素直になれないのが一番悪いんだけどね)


 雪乃は、影山くんがネットに投稿したあの伝説の『神曲』のモデルが、まさか自分だとは思っていない。

 だから、『湊は別の女(泥棒猫)のためにこの曲を作った』と嫉妬で狂い、素直になれず塩対応を繰り返し、裏でストーカー一歩手前のオタク活動に精を出しているのだ。


 ……翔太は勘違いで空回り。

 ……影山くんは勘違いで失恋中。

 ……雪乃は勘違いで限界オタク化。


 誰一人として、正解に辿り着いていない。

 唯一、すべての真実(答え合わせ)を知っているのは――

 神でも何でもなく、ただの常識ある私だけ。


(……でも私、前世でどんな大罪を犯したら、こんな地獄の密室に放り込まれるわけ?)


 頭痛と胃痛が同時に襲ってくる。

 ベースの弦を弾く指先が、怒りと呆れで無駄に力強くなっていく。

 このすれ違いコントのような状態を私がバラしてしまえば一瞬で解決するのだろうが、他人の恋愛の決定的な場面に首を突っ込むほど野暮じゃない。

 それに、雪乃の『あのヤバい隠しフォルダ』の件を影山くんに暴露したら、たぶん雪乃は社会的に死ぬか、恥ずかしさのあまり切腹するんじゃなかろうか。


 バジャァーン! と、影山くんのギターが今日もエモーショナルなコードを鳴らして、本日の練習が終了した。


「いやー! 最高の練習だったな! 雪乃ちゃんが見ててくれたから、今日もバッチリ声出たわ!」


 汗を拭いながら、爽やかな笑顔で的外れな発言をする翔太。


「……はぁ。疲れた」


 深い失恋のため息をつきながら、エフェクターの電源を落とす影山くん。


「ちょっと、あんたどんくさいんだから、シールドくらい私が巻いてあげるわよ! 貸しなさい!」


 文句を言いながらも、影山くんの機材(推しの私物)に合法的に触れられることに口元が緩みきっている雪乃。


(…………もう、勝手にして)


 私はベースをそそくさとケースにしまい、カオスな三人に背を向けた。

 これ以上この空間にいたら、私の胃壁が跡形もなく溶け去ってしまう。


***


 スタジオを出て、三人とお別れした帰り道。

 私は駅前のドラッグストアに、迷うことなく吸い込まれていった。

 白衣を着た薬剤師のカウンターへ直行し、真顔で告げる。


「……すいません。胃薬。一番強くて、大容量のやつください」

「えっ? お嬢さん、高校生ですよね? そんなに胃が痛むんですか?」

「ええ。人間関係のストレスで、胃に穴が開きそうなんです」

「は、はぁ……」


 ドン引きしている薬剤師から、一番効きそうな胃薬の特大ボトルを受け取る。

 文化祭まで、あと二週間。

 果たして、私の胃袋とこの薬の残量は、無事にライブ当日まで保つのだろうか。

 秋の夕暮れの空を見上げながら、私は今日一番の、深いため息を吐き出した。

第7話、最後まで読んでいただきありがとうございました。

サブヒロインの澪視点で、翔太、湊、そして雪乃に対して、心の中でツッコミを入れまくり、心労の絶えない『胃薬枠』として確立する回となりましたが、いかがでしたでしょうか?


作者としては可愛げな見た目に反して、冷静に、そして超リアリストとして可愛い毒を吐く澪が大好きです。

ぜひ、コメントで感想や愛のあるツッコミをいただけると嬉しいです。


また、この作品が少しでも


「面白い!」

「続きが気になる!」

「更新がんばれ!」


と思っていただけましたら、「☆」やリアクションで応援いただけると嬉しいです。

皆様からの反響が、作品を書く最高の原動力になります!

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