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第6話 全員の視点がズレた密室(後編)

「おっ待たせー! ジュース買ってきたぜ!」


 防音扉が勢いよく開き、両手にコンビニ袋を提げた翔太と、後ろから澪がスタジオに戻ってきた。

 雪乃は必死で前を向き、俺は必死で手元のギターを見つめている。

 そんな気まずさMAXの密室空間など露知らず、翔太はキラキラとした笑顔で俺の肩をバンバンと叩いた。


「いやー、影山! 昨日のアイツ(アンプ)ぶっ壊した時もビビったけど、さっきのギターもマジでヤバかったな! 感情乗りすぎだろ!」

「……お、おう。まあな」

「あそこまで気持ち込めて弾かれると、ボーカルとしても燃えるぜ! サンキューな!」


 無邪気に笑う翔太を見て、俺はズキッと痛む胸の奥を隠し、自嘲気味に笑った。


「……お前が羨ましいよ、陽向」

「ん? 俺が羨ましい?」

「ああ。色々と、な」


 雪乃の熱い視線をずっと独り占めできる、お前のその立ち位置が。

 俺の失恋の哀愁がこもった言葉に、翔太は「ははっ!」と爽やかに笑って胸を張った。


「まあな! 俺のカリスマボーカルの存在感は天性のモンだからな! でも、お前のギターも負けてねーぞ!」


(……いや、そういう意味じゃないんだけどな)


 俺たちのそんな的外れな会話を、パイプ椅子に座る雪乃が、ギリィッ……と奥歯を噛み締めて聞いていた。


『――なによ、それ』


 雪乃の脳内は、再びドス黒い嫉妬の炎に包まれていた。


『湊が、翔太くんを羨ましがっている? どうして? 翔太くんがボーカルで、目立っているから?』


 違う。湊が本当に羨ましがっているのは、翔太じゃない。


『やっぱり、あの泥棒猫(見えない女)ね……っ!』


 きっと、文化祭のライブで大好きな女に向けて歌う翔太の姿を見て、『俺もあいつ(泥棒猫)に、自分の声で想いを届けたい』とでも思っているのだ。

 だから、あんなにも切なく、むせび泣くようなギターを弾いていたのだ。


『許せない……っ! 私の湊に、あんな哀しい音を弾かせる泥棒猫……絶対に八つ裂きにしてやる!』


 絶対に許さない、と雪乃が般若のようなオーラを漂わせていると、翔太がコンビニ袋から飲み物を取り出した。


「はい、影山! これスポーツドリンクな!」

「お、サンキュ――」

「ちょっと待ちなさい」


 俺が受け取ろうとした瞬間、パイプ椅子から立ち上がった雪乃が、スッと俺と翔太の間に割って入った。

 そして、傍らに置いていた上品なブランド物のトートバッグをガサゴソと漁り始める。


「翔太くん、ボーカルなんだから甘いジュースなんて飲まないの。……はい、これ」

「おっ? 雪乃ちゃんからの差し入れ!? やった――って、のど飴?」


 雪乃が翔太に手渡したのは、コンビニで百円で売っている、ごくごく普通ののど飴の袋だった。


「で、あんたは、これ」


 次に雪乃が俺の前にドンッと置いたのは。


「……えっと、なにこれ?」

「見ればわかるでしょ。差し入れよ」


 俺の目の前に並べられたのは。

 高級スーパーでしか見かけない、疲労回復に特化した一本五百円は下らないプレミアム・スポーツドリンク(しかもキンキンに冷えており、丁寧に水滴が拭かれている)。

 さらに、一つ一つ個包装された冷感タオル。

 極め付けは、小さな小瓶に入った、やたらと高そうなオーガニックの保湿ハンドクリームだった。


「なんで俺だけ、やたらと手厚い差し入れなの?」

「勘違いしないでよね」


 雪乃はフイッと顔を背け、ツンとした声で言い放つ。


「機材係のくせに出しゃばってギターなんか弾くからよ。指の皮が剥けたり、熱中症で倒れられたりしたら、幼なじみとして私の評価まで下がるでしょ。これ以上周りに迷惑かけないように、せいぜい自分のケアくらいしなさいよ」


 バシッ、と冷たい言葉を叩きつけられ、俺は「……すまん」と素直に謝った。

 ……なるほど。

 俺は「世話の焼ける幼なじみ」ってことか。


(……情けないな。どこまで行っても、俺はあいつのただの『お荷物』か)


 失恋の傷口に、さらに塩を塗り込まれた気分だった。

 一方で、のど飴を握りしめた翔太が「えっ、俺のど飴一袋で、影山は医療キット!? なんで!?」と素のリアクションで驚いている。


「翔太くんは頑丈そうだからいいの」


 雪乃は翔太の疑問を絶対零度で一刀両断し、再びパイプ椅子に腰を下ろした。

 そんなカオスな光景を、壁際でベースを抱えた澪だけが、死んだ魚のような目でジッと見つめていた。


***


 その日の練習終わり。

 機材の片付けをしている最中。

 俺がアンプの上に置いていたお気に入りのピックが滑り落ち、床に転がった。


「おっと」


 俺が屈んで拾おうとした、その時。


 シュバッ!!


 横から忍者のような尋常ではないスピードで黒い影がスライディングし、床に落ちたピックをガシッと鷲掴みにした。


「えっ」


 見ると、そこには床に這いつくばる氷室雪乃の姿があった。

 雪乃は、握りしめたピックを、獲物を前にした猛禽類のようなギラギラとした目で見つめている。


『――これ。さっきまで、湊のあのエロいタコ指に挟まれて、あの神曲を奏でていた……聖遺物(ピック)


 雪乃の呼吸が、シュー、シュー、と荒くなる。

 瞳からハイライトが消え、理性のタガが完全に外れかかっていた。


『湊の汗……湊のDNA……。これさえあれば、家で毎日……っ。ダメよ雪乃! 何を考えているの! こんなの完全な窃盗行為じゃない! でも……ちょっと匂いを嗅ぐくらいなら……いや、そのままポケットにしまって、明日同じメーカーの新品を弁償すれば……バレないよね?』


 ブツブツと何事かを呟きながら、雪乃の震える手が、ピックを自身の制服のポケットへとゆっくり近づけていく。

 人間としての超えてはいけない一線を、今まさに越えようとした、その瞬間。


 ――ドゴォッ!!


 澪の蹴りが、迷いなく急所を正確に捉え、雪乃の細いスネにクリーンヒットしていた。


「いっっっだぁぁぁぁぁっ!?」


 雪乃が悲鳴を上げて顔を上げると、そこにはベースケースを背負った澪が、能面のような無表情で見下ろしていた。

 澪の冷たい瞳が、無言で『それ以上やったら通報するよ』と語りかけている。


「……っ!!」


 ハッと我に返った雪乃は、自分が公衆の面前でとんでもない犯罪行為――推しの私物泥棒、を働きそうになっていたことに気づき、ボンッ! と音を立てるほど顔を真っ赤にした。


「お、落としたわよ! どんくさいわね! 自分の機材くらいちゃんと管理しなさいよバカっ!!」

「えっ、お、おう。……サンキュー?」


 ものすごい剣幕でピックを俺の胸に押し付け、雪乃は逃げるようにスタジオの出口へと歩いていく。


「な、なんだよアイツ……」

「ははっ! 雪乃ちゃん、意外とおっちょこちょいで可愛いところあるよな!」


 全く状況を理解していない俺と翔太。

 逃げるように早歩きする雪乃の真っ赤な耳と、そんな雪乃の後ろ姿を般若のような顔で睨みつける澪。


 誰一人として視点と感情が噛み合わないまま、地獄のスタジオ練習・初日は、嵐のように幕を閉じたのだった。

第6話、最後まで読んでいただきありがとうございました。

雪乃が見えない『泥棒猫』に対する敵がい心を新たにし、湊のポンコツ鈍感ぶりが明らかになる回となりますが、いかがでしたでしょうか?


作者としては「氷の女王」の見る影もない雪乃のヤバイ一面を、躊躇なくツッコむ澪を描き、澪にはヒロインを喰う活躍を期待したいという気持ちを込めたつもりです。

今後の澪の活躍にご期待ください。というか、次話は澪視点でのお話です。


また、この作品が少しでも


「面白い!」

「続きが気になる!」

「更新がんばれ!」


と思っていただけましたら、「☆」やリアクションで応援いただけると嬉しいです。

皆様からの反響が、作品を書く最高の原動力になります!

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