第5話 全員の視点がズレた密室(前編)
駅前の狭いレンタルスタジオ。
その密室空間の空気は、完全に異常だった。
一人は「好きな子に自分の歌を聴かせられる!」と燃え上がり。
一人は「幼なじみはアイツが好きなんだ」と勝手に失恋して沈み込み。
一人は「推しの生演奏を至近距離で浴びる」という危険なテンションで震えている。
そんな全員の視点がズレまくった地獄の空間で。
「よーし! それじゃあ一曲目、いくぜっ!」
マイクスタンドを握りしめ、カースト上位のイケメン・陽向翔太が、普段の三倍はありそうなテンションでシャウトする。
その後ろで、俺――影山湊は、愛用のストラトキャスターを抱えながら、深いため息を吐きそうになるのを必死で堪えていた。
(……キツい。物理的にも、精神的にも)
俺の視線の先、スタジオの隅に置かれたパイプ椅子には、氷室雪乃が脚を組んで座っていた。
腕を組み、シベリアの永久凍土のように冷たく、けれど妙に熱のこもった瞳でこちらをジッと見つめている。
いや、正確には『俺』ではなく、俺の斜め前で歌う『翔太』を見つめているのだ。
ドラムのカウントと共に、バンドの演奏がスタートする。
翔太は『雪乃ちゃんが俺の歌を聴いている!』と有頂天になり、無駄にビブラートを効かせた過剰なボーカルを響かせ始めた。
時折、チラチラと雪乃の方に流し目を送っては、得意げな表情を作っている。
(ああ……雪乃のやつ、翔太から一瞬も目を離さないな)
俺は、無表情を貫く雪乃の横顔を見て、胸の奥がギリッと軋むのを感じた。
雪乃が監視だなんだと理屈をつけてここに来たのは、憧れの翔太を見るため。そして、本来裏方の陰キャである俺が、翔太の隣に立っているのが許せないのだろう。
こんな惨めな公開処刑、さっさと終わらせてくれ。
俺は手元のフレットを見つめ、ヤケクソ気味にピックを握りしめた。
その瞬間、俺の中に溜まっていた失恋のダメージと、やり場のない情念が、右手のストロークに乗って爆発した。
ギュイィィィンッ……!!
歪んだディストーションサウンドが、荒々しくスタジオの空気を切り裂く。
ピックが弦に深く食い込み、悲鳴のようなアタック音を生み出す。
本来のスコアにはない、むせび泣くようなチョーキング。弦を擦るキュッというノイズすらも、失恋の悲痛な叫びのように響き渡る。
「……っ!」
ベースを弾いていた澪が、俺の音を聴いてビクッと肩を揺らした。
無理もない。俺のギターは今、翔太の過剰なボーカルすらも完全に喰い殺し、ただの伴奏から『主人公』へと暴走し始めていたからだ。
手が震える。指先から血が滲みそうになるほど弦を押し込む。
俺の未練と絶望が、音という暴力に変換されていく。
……しかし、俺は何も気づいていなかった。
その『むせび泣くような情念のギター』を浴びて、パイプ椅子に座る氷の女王が、今にも精神を崩壊させそうになっていることに。
***
『アァァァァァァァァァッ!! 今日の湊の音、何!? 切なすぎる! もうこれ完全にエッチじゃん!!』
氷室雪乃は、表面上は腕を組んで冷たい視線を送っていたが、その脳内は完全にキャパをオーバーしていた。
『指! あの指のタコ! 弦を押し込むたびに浮き出る腕の筋! 汗ばんでる首筋! 無理、尊い! 国宝に指定して保護したい!!』
雪乃の視界には、手前で無駄なビブラートを響かせる翔太の姿など、1ミリも映っておらず、完全に『背景』として処理されている。
彼女の網膜に焼き付いているのは、全身から哀愁を漂わせ、狂ったようにエモいギターを弾き鳴らす湊の姿だけだった。
『こんな切ない音色……。絶対に、あの泥棒猫に向けて弾いてるんだわ! 悔しい! 殺してやりたい! ……でも音が神すぎて、細胞が歓喜してるぅぅぅっ!』
絶対零度の仮面の下で、雪乃は太ももを限界までつねり、顔がニヤけそうになるのを必死で、本当に必死で堪えていた。
うっかり口を開けば、オタク特有のヨダレと奇声が漏れてしまいそうだったから。
***
「――サンキュー! いやー、今日の俺、マジで最高の声出てたわ!」
一曲目が終わり、翔太が汗を拭いながら爽やかな笑顔を振りまいた。
俺は息を整えながら、ズキズキと痛む指先をそっと隠す。
「はいはい、お疲れ。とりあえず十分休憩にしよ。……翔太、あんたジュース買ってきて。全員分」
ベースを置いた澪が、呆れたような声で翔太に小銭を押し付けた。
「おっ、いいぜ! 雪乃ちゃんは何がいい?」
「……お茶でいいわ」
「了解! すぐ戻るからな!」
犬のように尻尾を振ってスタジオを出ていく翔太。
「私も、ちょっと機材の調子悪いから外のスタッフさん呼んでくる」
そう言って、澪もそそくさと防音扉の外へ出ていってしまった。
バタン、と重い扉が閉まる。
スタジオに残されたのは、機材をいじる俺と、パイプ椅子に座る雪乃の二人だけになった。
「…………」
「…………」
気まずい。死ぬほど気まずい。
雪乃は相変わらずツンとそっぽを向いており、俺に話しかけてくる気配はない。
この沈黙の居心地の悪さを紛らわせるため、俺は無意識のうちに、手持ち無沙汰な指でギターの弦をポロロンと弾いていた。
本当に、無意識の『手癖』だった。
俺の指が奏でたのは、中学時代に雪乃を想って作り、一晩で黒歴史となった『あの伝説のラブソング』のイントロのワンフレーズ。
すると。
「――ふふ〜ん、ふんふ〜ん♪」
背後から、完璧な音程のハミングが聞こえた。
俺が弾いたギターのメロディに、寸分の狂いもなく寄り添う、透き通るような甘い声。
「……えっ?」
俺はビクッとして手を止め、振り返った。
パイプ椅子に座っていた雪乃は、ハッとして両手で口を覆い、信じられないほど目を丸くしている。
「……お、お前、今の曲……知ってるの?」
俺の問いかけに、雪乃はみるみるうちに顔を真っ赤に染め上げた。
(や、やばいやばいやばい!! 毎日聴き狂いすぎて、イントロ聞いた瞬間に細胞レベルの条件反射でハミングしちゃった!?)
雪乃の目線が、パニックを起こして泳ぎまくっている。
「な、なんのことかしら」
「いや、今ハミングしてたろ。しかもめちゃくちゃ正確な音程で、リズムの取り方まで完璧だったぞ」
「き、気のせいよ! 適当に鼻歌うたっただけ!」
「適当であんな複雑なメロディ歌えるわけ――」
「だいたい、あんなジメジメした女々しい曲、誰が覚えるのよ! 気安く話しかけないでって言ってるでしょ!」
雪乃は立ち上がり、顔を真っ赤にして俺を怒鳴りつけた。
その勢いに押され、俺は「わ、悪かったよ……」と引き下がるしかなかった。
(……くそっ。女々しいってなんだよ。……でも、絶対知ってたよな? なんであいつが、俺が消したはずのあの曲を……?)
俺の中に、小さな、けれど決定的な疑念の種が落ちた。
そして雪乃は、パイプ椅子に座り直しながら、冷や汗をダラダラと流して心臓をバクバクと鳴らしている。
(死ぬかと思った……! 最古参限界オタクだってバレたら、社会的に終わる……っ!)
互いに冷や汗をかく二人のきり密室。
そんな爆弾の導火線に火がついたことなど露知らず、両手にジュースを抱えた翔太と、胃薬を飲み終えた澪が、スタジオに戻ってくるのだった。
第5話、最後まで読んでいただきありがとうございました。
湊の重めの勘違いにより、雪乃の限界化をさらに加速させ、危うくオタばれしそうになる回となりましたが、いかがでしたでしょうか?
作者としては雪乃の前でいいところを見せようと無駄にビブラートを効かせる翔太が、可愛くて仕方ありませんが、皆さまはどのように感じられたでしょうか?
ぜひ、コメントで感想や愛のあるツッコミをいただけると嬉しいです。
また、この作品が少しでも
「面白い!」
「続きが気になる!」
「更新がんばれ!」
と思っていただけましたら、「☆」やリアクションで応援いただけると嬉しいです。
皆様からの反響が、作品を書く最高の原動力になります!




