第69話 イケメンモデルと、陰キャの嫉妬
週末の夜。
自室のベッドに寝転がりながら、俺はスマホの画面をスクロールしていた。
雪乃のモデル活動は、俺が想像していた以上に順調に進んでいた。
最初のタイアップ広告での『凛とした表情と笑顔のギャップ』が話題を呼び、最近では別のブランド広告や、若者向けファッション誌の企画にも呼ばれるようになっている。
そして今日、某有名アパレルブランドの公式アカウントから、冬の新作キャンペーンの告知が投下された。
「……マジか」
画面に映し出された写真を見て、俺は思わず息を呑んだ。
雪乃の隣に並んで写っているのは、ドラマやCMで最近よく見かける、同年代のイケメン俳優、兼モデルの瀬名亮だった。
雪乃は、その瀬名と背中合わせに立ち、クールでありながらどこか温かみのある、彼氏である俺ですら思わず見とれてしまうような表情を作っていた。
美男美女。誰がどう見ても絵になる、非の打ち所がないカップルのような一枚。
写真だけでも十分にダメージがあったが、さらに俺の心をえぐったのは、続けて投稿された数十秒の『メイキング動画』だった。
――動画を再生する。
撮影の合間、セットの端で待機している雪乃に、瀬名が気さくに話しかけている。
『氷室さん、撮影慣れた?』
『いえ……まだ、手とかどう動かしていいか分からなくなる時があって』
『わかるわー。俺も初めての撮影の時、手の位置分かんなくて、ずっと直立不動の棒立ちだったよ』
『……瀬名さんでも、ですか?』
『うん。ていうか、油断すると今でも普通にやるよ、棒立ち』
『ふふっ……』
雪乃が、肩の力を抜いて、自然で柔らかい笑顔をこぼした。
「…………」
俺は、スマホを持つ手をピタリと止めた。
(……あいつ、あんな顔で笑うんだ)
いや、知っている。俺の前では、もっと顔をくしゃくしゃにして笑うし、限界オタクの素顔をまる出しにして泣き笑いだってする。
でも、そうじゃない……。
俺がショックを受けたのは、そこじゃない。
(俺の知らない場所で、俺の知らない人間と、俺の知らない話をして……あんな風に、自然に仕事仲間として笑い合えるようになってるんだ)
少し前まで、カメラを向けられるだけで身体を固くしていた雪乃が。
俺の音をきっかけにしなければ、自分の感情をうまく外へ向けられなかった雪乃が。
今はもう、俺の知らない現場で、自分の力で周囲と関係を築き、仕事仲間と自然に笑い合っている。
(……俺がいなくても、あんなふうに笑えるんだな)
そんな考えが浮かんだ瞬間、そう思ってしまった自分自身が嫌になった。
(当たり前だろ。雪乃は俺の前でしか笑えない人間じゃない)
むしろ、そうなれたことを一番喜ぶべきなのは俺のはずだ。
なのに胸の奥では、別の何かが黒く燻っていた。
俺は、そんな感情から逃げるように、瀬名自身のSNSアカウントを開いた。
何か、こいつに文句をつけて、この嫉妬を正当化できる理由を探したかったのだが……。
『今回のキャンペーン、氷室雪乃さんとご一緒させてもらいました!』
『実は俺、Kanatoさんのファンで、撮影前もずっと曲聴いてました。氷室さんもKanatoさんのこと知っているようで、めちゃくちゃ嬉しかったです』
『氷室さんはまだ撮影経験が少ないって聞いてたんですけど、カメラが回った瞬間の表情がすごくて。俺の方が引っ張ってもらいました。完成した写真、楽しみにしててください!』
(……っ、なんだよこれ)
瀬名の投稿は、雪乃を新人扱いして上から評価するでもなく、一人のモデルとして真っ直ぐにリスペクトしていた。
そのうえ、俺――Kanatoの音楽まで好きだと言っている。
雪乃にも、俺にも、悪意なんて欠片もない。
むしろ、好感しか持てないくらい完璧な『良い奴』だった。
だからこそ、俺は相手を嫌うことすらできず、自分の醜い嫉妬の矛先を向ける場所を見失ってしまった。
(あいつなら……雪乃が撮影で悩んだ時に、あんな風に具体的なアドバイスをしてやれるんだな)
俺は、ベッドの上でギュッと目を閉じた。
もし雪乃が俺に「ポーズが上手くできない」と相談してきたとして、俺に何が言える?
モデルの世界の常識も、カメラの前での立ち振る舞いも、俺は何も知らない。
雪乃がそこで壁にぶつかった時、俺には瀬名みたいな具体的な助言はできない。
「頑張れ」と言って、帰ってくるのを待つことしかできない。
(……そういう場所も、あるんだな)
彼氏だからって、雪乃の全部を支えられるわけじゃない。その当たり前の事実が、どうしようもなく悔しかった。
(……クソッ。俺、めっちゃダサいな)
雪乃が成長し、自分の世界を広げていることは、本来なら恋人として喜ぶべきことだ。
それに、俺自身だって、事務所での育成レッスンやデモ音源の制作という、雪乃とすべてを共有できる訳ではない『プロの音楽の世界』へ踏み出している。
互いにこの短期間の間で、環境や取り巻く世界が大きく変わりつつある。
俺に、雪乃だけが変わっていくことを責める資格なんてない。
だから、この嫉妬も、疎外感も、彼氏としての無力感も。
全部俺の中で飲み込んで、絶対に雪乃には悟られてはいけない。
俺のつまらない嫉妬で、あいつの邪魔をするわけにはいかないのだ。
――ピコンッ。
スマホが震え、雪乃からのメッセージが届いた。
『今日の撮影、無事に終わったよ。湊もレッスンお疲れ様』
俺は、胸の奥で渦巻く泥のような感情に必死で蓋をして、平静を装うための言葉をフリック入力した。
『お疲れ。メイキングの動画見たよ。いい感じに撮れてたじゃん』
(……俺は、理解のある彼氏だ)
そう自分に言い聞かせながら、送信ボタンを押す。
本当は、綺麗だったと言いたかった。
他の男と笑っているのを見て、死ぬほど嫉妬したとも言いたかった。
会えなくて寂しいと、今すぐ顔を見たいとも。
でも、そのどれも送らなかった。
画面の向こうへ届いたのは、俺が必死に取り繕った、当たり障りのない一文だけだった。




