第67話 バズる氷の女王と、新しい感情
昼休み。
教室の自分の席でスマートフォンの画面を見つめていた私――氷室雪乃は、その内容に思わずフリーズしていた。
画面に表示されているのは、先日撮影に参加した制服ブランドの公式SNSアカウント。
『音楽を愛する高校生』をテーマにしたタイアップ企画のキービジュアルが、今日の午前中に公開されたのだ。
いつもなら、公式の告知ポストなんて数百の『いいね』がつけば、いい方らしい。
けれど、今日アップされた私の写真を含む投稿は、公開から数時間で数千件のリポストと『いいね』を獲得し、今も恐ろしい速度で拡散され続けていた。
通知欄を開き、引用されているコメントを恐る恐る目で追う。
『この美少女だれ!? クール系かと思ったら最後の笑顔の破壊力えぐい』
『ツンとしてカットと、音楽聴いてフワッと笑うギャップがたまらん』
『この子の笑顔見てたら、なんか放課後めっちゃカラオケとかライブ行きたくなってきた』
『楽しそうでいいなぁ。青春って感じ!』
(…………)
私は、画面をスクロールする指をピタリと止めた。
『美人』とか『可愛い』といった、単なる外見への評価だけじゃない。
あの日、カメラマンから出された課題。
作った笑顔を見せるのではなく、自分の中にある感情を、カメラの向こうの誰かへ届けること。
湊の音を思った時に生まれた愛おしさや、音楽を楽しむワクワクした気持ちを、自分の意思でレンズの向こうへ向けること。
あの時、必死に手渡そうとした私の不器用な感情が――。
(……届いたんだ)
本当に、見ず知らずの誰かの心を動かしていた。
私が必死にカメラの向こうへ手渡そうとしたものを、ちゃんと受け取ってくれた人がいた。
(……嬉しい)
胸の奥の、一番柔らかい場所から、じんわりと温かいものが込み上げてくる。
推しである湊のギターが褒められた時の、誇らしいような『後方彼女面』の喜びとは全く違う。
私の表情が、私の表現が、誰かに届いて、何かを感じてくれた。その事実が、たまらなく嬉しかった。
(……でも)
私は、胸元をそっと押さえた。
早鐘のように鳴る心臓。ニヤけそうになる口元。
(私って……こんなに『見られること』を嬉しいって思う人間だったの?)
ずっと、他人の視線が嫌いで『氷の女王』の仮面を被ってきた。湊の隣で、ひっそりと裏方として彼を支えることだけが私の役割だと思っていた。
それなのに、表舞台に立って自分自身が評価されることに、こんなにも喜びを感じてしまっている自分がいる。
今まで知らなかった自分自身の隠れた『欲望』に触れてしまったようで、私はひどく戸惑っていた。
「……何、難しい顔してスマホ睨んでるのよ」
不意に、隣からペットボトルの冷たいお茶が私の頬にピトッと当てられた。
「ひゃっ!?」
驚いて顔を上げると、いつものように死んだ魚の目をした澪が、呆れたようにため息をついていた。
「な、なによ澪。急に」
「あんたがまた、一人で何かをこじらせてる顔をしてたからよ。……例の広告、見たわよ。学校の男子たちも『あれ氷室さんじゃね?』ってザワザワし始めてるわ」
「うっ……やっぱり、気付かれるわよね」
私がスマホの画面を伏せると、澪は私の前の席の椅子を引いてどっかりと座った。
「ただ、戸惑ってるの。自分の写真を知らない人が見て、何かを感じてくれたことが……すごく嬉しくて。私、こんな風に喜んじゃう人間だったんだなって」
「……」
「今までずっと湊の裏方でいるのが私の役割だと思ってたのに。自分自身が評価されることを求めてたみたいで……なんか、変な感じ」
私がぽつりと本音をこぼすと、澪はフッと、意地悪な、でも優しい親友の笑みを浮かべた。
「変なことなんてないわよ。あんた自身に向けられた評価なんだから、素直に喜べばいいじゃない」
「澪……」
「あの一枚、あんたが逃げずにカメラとちゃんと向き合って撮ったんでしょ? 影山くんのマネージャーだから評価されたんじゃない。あんた自身の表現が、ちゃんと誰かに届いたのよ」
澪の言葉は、いつも的確で、私の迷いをスパッと断ち切ってくれる。
(……そっか。これは私自身に届いた評価なんだ)
湊のマネージャーとしてではなく。
一人の人間として、私が挑戦した結果。
「……うん。そうね。素直に、喜んでおくわ」
私が少しだけ照れくさそうに微笑むと、澪は「そうしなさい」と満足げに頷いた。
「ただ、これでまた問い合わせとか増えるんじゃない? あんた、来週の期末テストも近いんだから、ちゃんとスケジュール管理しなさいよね」
「わ、わかってるわよ! 私は湊のマネージャーも完璧にこなすんだから!」
強がって見せたものの、澪の言う通り、この反響はすぐに次の波を呼んだ。
午後には、今回の撮影を仲介してくれたモデル事務所から連絡が入った。
広告の反響を受け、別の若年層向けメディアから「あの広告に出ている女の子を起用できないか」という問い合わせが、すでに数件届いているらしい。
嬉しい。もっとやってみたい。
そんな気持ちが、自分の中から自然に湧いてくることが、今はただ新鮮で、少しだけ誇らしくもあった。
だけど、私はまだ気付いていなかった。
自分の世界が広がるということは、それまで当たり前だったものの形までもが、少しずつ変わっていくということに。




