第59話 俺が必要とするマネージャー
「佐々木さん。それと、もう一つ」
俺は、隣に座っている雪乃へ目を向けた。
「氷室さんを公式なマネージャーとして扱えない、契約や権利管理をただの高校生に任せられないという説明は、理解しています。……でも、俺の活動から彼女を完全に外す条件は、受け入れられません」
雪乃が、驚いたように俺の横顔を見る。
「公式な判断やスケジュールの管理は、事務所に任せます」
俺は佐々木さんを真っ直ぐに見た 。
「その代わり、『Kanato』としての配信やファンへの発信を考える時は、雪乃も相談に加えてください」
「具体的には?」
「企画への意見や、これまでの活動とのズレがないかを確認してもらいたいです。最終的な決定権を雪乃に渡してほしいという意味ではありません」
「最終判断は事務所で構わない、と」
「はい。でも、俺がこれまでどんなふうにファンと向き合ってきたのか、一番近くで見てきた人間の意見として聞いてほしいんです」
「……」
「あと、できれば制作現場についても、可能な範囲で見学させてください」
佐々木さんが、わずかに眉を寄せる。
「すべての現場へ同席させるのは難しい。未公開情報や他の所属アーティストに関わる場もあるからね」
「分かっています。全部とは言いません」
俺はすぐに頷いた。
「俺自身のレッスンや録音で、事務所が問題ないと判断した範囲だけで構いません。必要なら、雪乃にも守秘義務や業界のルールを学ばせてください」
佐々木さんは、目をつむって何かを思案している。
「こいつは、俺がもう一度ギターを弾くきっかけを作って、一番近くで活動を支えてくれました」
俺は机の下で、雪乃の震える手をそっと握った。
「炎上した時も、配信をやめるんじゃなく、どうやってファンと向き合うかを一緒に考えてくれた。俺が言葉にできないことを、視聴者へ伝わる形にしてくれたのも雪乃です」
雪乃が驚いたように俺を見る。
「俺が無理してる時も、音で迷ってる時も、たぶん誰より早く気づきます。それに――」
俺は一度言葉を切り、雪乃の顔を真っ直ぐに見た。
「俺の演奏を聴いて、隣で限界オタクみたいな顔になってるこいつを見ると、『あ、自分の音がちゃんと届いたな』って、心の底から思えるんです」
「ちょっ……誰が限界オタクみたいな顔よ!」
「みたいな、じゃなくて限界オタクそのものだったな」
「訂正する場所、そこじゃないでしょバカ!!」
真っ赤になって涙声で抗議する雪乃に、俺は少しだけ笑い、再び佐々木さんに向き直った。
「だから、雪乃を完全に切り離した環境では、たとえプロになれても、俺は自分らしくギターを弾けないと思います」
俺は握った手に、少しだけ力を込めた。
「こいつが隣にいられる形で、挑戦させてください」
***
(……湊っ……!)
机の下で、湊の温かくて少し硬い手が、私の震える手をそっと握りしめてくれていた。
私の胸の奥では、まだ冷たい声が囁いていた。
『足枷になるくらいなら、身を引くべきだ』
けれど、私はもう知っている。
それは湊のためではない。
傷つくことが怖い私が、先に逃げるための言い訳だ。
湊が必要だと言ってくれたからだけではない。
私自身が、湊と離れたくない。
その本音を、今度こそなかったことにはしない。
「氷室さんは、どう考えていますか?」
佐々木さんに問われ、私はしばらく俯いていた。
けれど、意を決して顔を上げ、湊の手を力強く握り返した。
「……私は、湊と離れたくありません」
震えてはいたが、はっきりとした声が出た。
「今までと同じように、湊の音を一番近くで支えたい。プロの世界で、もっとすごい音を出すところも見たいです。……でも、私に経験がないことも事実です。今までのやり方を、そのまま認めてほしいとは言いません」
「では、どうしたい?」
「必要なことを学ばせてください。最初は見学でも雑用でも構いません。権利のことも、業界のルールも勉強します」
私は、佐々木さんを正面から見据え、もう目を逸らさなかった。
「湊がプロの世界へ進んでも、胸を張って隣で支えられる人間に、私も成長してみせます」
そして、私は隣にいる湊を見て、涙の残る顔で、思い切り不敵に笑ってみせた。
「もう勝手に身を引くことも、私の都合で湊の可能性を閉ざすこともしない」
胸の奥で、冷たい声がまだ何かを囁いている。
それでも私は、もうその声に従わなかった。
「だって私は、湊の恋人で――世界一の専属マネージャーになる女なんだから」
私の宣言が会議室に響き渡り、澪が「……よく言ったわね」と小さく息を吐く音が聞こえた。
***
「……なるほど。君たちの強い意志は、よくわかりました」
佐々木さんが、深く息を吐き出して腕を組んだ。
「ただし、君たちの希望をすべて認められるとは限らない」
佐々木さんは腕を組み、慎重に言葉を選んだ。
「既存のバンド活動と奏の育成企画をどう両立させるか。氷室さんを、どの範囲まで現場へ参加させられるか。どちらも私一人で決められる問題ではない」
「はい」
「事務所へ持ち帰り、上の判断を仰ぐ必要がある」
「分かりました。ただ、今伝えた二つは、俺にとって譲れない条件です」
俺は佐々木さんから目を逸らさなかった。
「どうしても両立できないという結論なら、その時は今回の話を辞退します」
俺がそう答えると、佐々木さんは苦笑いを浮かべた。
「……私は、まだ納得してない」
その時、それまで黙って俺たちのやり取りを聞いていた星乃奏が、ぽつりと呟いた。
翔太が「なんだと!?」と身構える。
「あなたと私が組んだ方が、もっと完成度の高い音になると思ってる。その考えは変わらない」
「星乃さん……」
「でも」
奏は、俺ではなく、翔太や雪乃へ順番に目を向けた。
その表情には、以前のような『自分と湊だけで完結する』という断定的な自信だけではなく、理解できないものへの好奇心が浮かんでいた。
「あなたがその人たちといる時に出す音は、私と二人でいる時の音とは違った」
「……」
「だから、もっと聴いてみたい。……ユニットを組むかどうかを決める前に、あなたたちの音楽も知りたい」
それは、孤高の天才だった奏が、俺個人の技術だけでなく、俺たちが作り出す『チームの音楽』に初めて興味を持った瞬間だった。
「……奏が自分や自分が認めた者以外の音に興味を持つなんて珍しい」
佐々木さんは奏を見たあと、しばらく考え込むように目を閉じた。
「……確かに、我々が聞いたのは、影山くん個人の演奏だけだ」
やがて、テーブルの上で指を組み直す。
「奏に芽生えた興味と影山くんが感じてい価値、事務所としても、最終判断を下す前に一度はその音を確かめる必要があるという事か......」
佐々木さんは翔太と澪へ目を向けた。
「今度の週末、まずは君たちのバンド演奏を聞かせてほしい」
「俺たちのバンドの……」
「ああ。影山くんが守りたいと言った音楽に、どれだけの可能性があるのかを事務所として確認したい」
佐々木さんは奏へ目を向ける。
「そのうえで、可能なら二曲目には奏も加わってもらう。既存のバンドを壊さずに、奏との活動を両立できる形があるのかを試したい」
「ツインボーカルってことか?」
翔太が身を乗り出す。
「編成は君たちで考えて構わない。こちらが見たいのは、誰が勝つかではない」
佐々木さんは静かに言った。
「四人で音を鳴らした時、新しい価値が生まれるかどうかだ」
佐々木さんの言葉に、会議室が静まり返った。
俺は翔太と澪を見る。
翔太は挑むように笑い、澪も小さく頷いた。
隣では、雪乃がまだ俺の手を握っている。
奏は、これから聞ける未知の音を想像するように、わずかに目を輝かせていた。
「分かりました」
俺は全員の顔を見渡し、佐々木さんへ答える。
「俺たちの音を、聞いてください」
次に問われるのは、俺一人の才能ではない。
俺が守りたいと訴えた、このチームそのものの価値だった。




