第58話 俺が選んだ相棒
「まず、バンド活動について、俺の考えを聞いてください」
会議室の静寂の中、俺は正面に座る星乃奏へ真っ直ぐに目を向けた。
「星乃さんの歌は、本当にすごかったです」
「……」
奏は何も言わず、俺の次の言葉を待つように見つめ返してくる。
「先日のスタジオでのセッション。初めて合わせたのに、星乃さんは俺が仕掛けた音を、ほとんど取りこぼさなかった 」
俺は、あのスタジオで鳴らした音を思い返す。
「俺が探りながら少し荒いフレーズを投げても、星乃さんはすぐに意図を読み取って、自分の歌の中へ取り込んでくれた。……お互いに、その場で一番いいと思える答えを返し続けられた」
奏は黙ったまま、俺を見つめている。
「この組み合わせで演奏を続ければ、俺のギターも、もっと高いレベルへ行けるのかもしれない」
「だったら、どうして?」
奏が、純粋な疑問を浮かべるように眉を寄せた。
これだけ音楽的に完璧に噛み合ったのに、なぜそれを拒む必要があるのか、理解できないという顔だ。
「……俺が一番弾きたい音楽とは、少し違ったからです」
「違った?」
「はい」
俺は視線を外し、隣に座っている翔太を見た。
「こいつは、俺の音を綺麗には返してくれないからです」
「おい!」
翔太が、少し不満そうな声を上げた。
その反応に、張り詰めていた会議室の空気がわずかに緩む。
「俺が荒い音を投げたら、こいつはもっと荒い声をぶつけてくる。こっちが引けば、勝手に前へ出る」
「……」
「お互いの正解なんて分からない。でも……俺がどう弾くか迷った時は、こいつのバカみたいに真っ直ぐな声に引っ張られるんです」
奏とのセッションが『精密なダンス 』なら、翔太とのセッションは『先の読めない取っ組み合い 』だ。
綺麗ではないかもしれない。プロの基準で見れば、粗だらけなのかもしれない。
「こいつと演奏すると、俺も予定どおりには弾けない。……でも、そのたびに、俺自身も自分一人じゃ絶対に出せなかった音になるんです」
俺が一方的に支えているわけじゃない。翔太が一方的に乗っかっているわけでもない。
お互いがお互いを変化させ、予想もしない高みへと無理やり引きずり上げていく。それが、俺たちのバンドの『グルーヴ』だ。
俺は、黙って聞いている佐々木マネージャーへと向き直った。
「だから、陽向たちとのバンド活動を止めて、星乃さんとのユニットだけに絞るという条件は受けられません 」
ハッキリと、迷いのない声で言い切る。
「こいつは、俺が選んだボーカルで――俺の相棒です」
その言葉が落ちた瞬間。
隣で聞いていた翔太が、顔を伏せ、乱暴に目元をこすった。
「……翔太くん? 泣いてるの?」
雪乃が、少しだけ驚いたような声で隣から覗き込む。
「泣いてねえ! エアコンの風が、ちょっと目に強く当たっただけだ!」
澪が天井を見上げる。
「風向き、反対だけど」
「細けえことはいいんだよ!」
澪がすかさず冷静に指摘し、バッグから取り出したポケットティッシュを一枚、無言で差し出す。
「……ったく、どいつもこいつも、うるせえなぁ」
翔太は、そのティッシュをひったくるように受け取ると、真っ赤になった目で、俺を力強く見つめ、その視線が逸れることはなかった。
「……絶対、お前が俺を選んだことを後悔させねえ」
翔太は、俺の目の前に、固く握った拳を突き出した。
「いつか、技術でも絶対に奏に追いつく。……お前のギターの隣に立っても、誰にも文句を言わせねえ『ボーカル』になってやるよ」
奏の才能を倒すべき敵として否定するのではなく、追いつくべき目標に定めた男の誓い。
俺は、突き出された翔太の拳に、自分の拳をコツン、と合わせた。
「ああ。……期待しないで待ってる」
「少しは期待しろよ!!」
翔太が涙声のまま笑い、俺も小さく口角を上げた。
澪がやれやれと肩をすくめ、雪乃もホッとしたように硬くなっていた表情を少し緩めている。
奏は、俺たちが合わせた拳を黙って見つめていた。
納得した顔ではない。
翔太より自分の方が、技術的には俺と高い完成度を作れる。その確信は、まだ変わっていないのだろう。
それでも、俺が翔太へ向けている表情を見て、何かを考えるように目を細めた。
「……相棒」
聞き慣れない言葉の意味を確かめるように、奏が小さく呟いた。
(……よし。これで、一つ目の条件への回答は終わった)
俺は翔太と合わせた拳を離し、再び佐々木さんへ向き直る。
これで、バンド活動について伝えたいことは言えた。
だが、まだ終わりではない。
俺にとって、もう一つだけ絶対に譲れない条件が残っている。
「佐々木さん。それと、もう一つ」
俺の言葉に、隣に座る雪乃の肩が、ビクッと微かに震えたのがわかった。
「……氷室さんを公式なマネージャーとして扱えないという件についてです」
雪乃が息を呑む。
俺は、机の下で固く握られたままの彼女の手を見た。
今度は、俺が自分の望みを伝える番だった。




