【間章02】結城澪の憂鬱な観察日記
休憩時間の教室。
私、結城澪は、自分の席に座ったまま、頬杖をつき、少し離れた場所で笑い声を上げている一人の男を静かに観察していた。
我が校のカースト上位に君臨し、うちのバンドのボーカルでもある陽キャの代表格――陽向翔太だ。
(……顔はかなり、いや相当イケメンよね)
客観的な評価として、それは認めざるを得ない。
背も高く、機材運びやスポーツで鍛えられたガタイも良い。制服越しにもわかる、いわゆる『細マッチョ』というやつだ。
しかも、性格は裏表がなく明るく、誰とでもすぐに打ち解ける、みんなから愛されるキャラクター。
文化祭前のバンド練習で影山くんの才能に打ちのめされて挫折しかけた時も、素直に自分の弱さを認めて這い上がってくるほどの根性と、男としての潔さも持ち合わせている。
(うん。よくよく考えてみれば、これといった欠点は見当たらない。むしろ、かなり、かなり条件のいい『好物件』と言える)
同年代の女子たちが、彼を見て色めき立つのも当然だろう。
なのに……なのに、私は彼を恋愛対象として選ぼうとは1ミリも思わない。
(……なぜだ?)
音楽という共通の趣味もあり、しかも同じバンドのメンバーで、仲も良い。
客観的に見て、条件はすべて揃っているはずなのに、私の心は彼に対して全くと言っていいほど動かないのだ。
私がそんな哲学的な疑問を抱きながら彼をジッと見つめていると、不意に視線に気づいた翔太が、こちらに向かって歩いてきた。
「ん? 澪、どうした。眉間にシワ寄ってるぞ。なんか悩みか?」
爽やかな笑顔で、私の顔を覗き込んでくる。
(……おまけに、こうして私に対して気遣いまでできる。非の打ち所がないじゃないか。……なのに、なぜだ?)
そんな心の中の葛藤をおくびにも出さず、私はしれっと返事をする。
「いや? 別に何もないわよ」
「そっか! ならいいんだけどさ。ここ最近のゴタゴタで疲れてるのかと思ったわ」
「それはあの二人だけでしょ」
私が適当に返事をしても、翔太は「ははっ、違いねえ!」とあっけらかんと笑っている。
いい奴だ。間違いなくいい奴なのだ。
――とその時。
「あ、翔太くーん!」
教室の前を通った他クラスの女子グループが、翔太を見つけて手を振ってきた。
「おっ、由奈ちゃん! 髪切った? 似合ってんじゃん!」
「えっ、ホント!? 気づいてくれたの、嬉しーい!」
「当たり前だろ! 今度のテスト範囲、マジでヤバいよなー。お互い頑張ろうぜ!」
「うんっ! 翔太くん優しーい♡」
女子たちはキャーキャーと黄色い声を上げ、頬を赤らめて去っていった。
翔太は、特に意識した様子はなく普通に友達と接するように、無邪気にヒラリと手を振り返している。
(…………ムムッ)
私は、その光景を冷静に分析し、心の中の採点表に赤ペンを入れた。
(……あの距離感。誰にでも分け隔てなく優しい『太陽』みたいなヤツだけど、それはつまり、全方位に愛想を振りまくから特定の相手への『特別感』がゼロってことね。これじゃあ、付き合っても四六時中ヤキモチを焼く羽目になるわ)
――減点1。
翔太の優しさは、特定の誰か一人に向けられるものではない。一人に対してとてつもなく重い愛を向けるあのオタクの親友とは、対極にある性質だ。
「おい翔太! 昨日のあのゲームやったか!?」
今度は、教室の後ろから男子の集団が翔太の元へ駆け寄ってきた。
「おー! やったやった! あの新しい必殺技のモーション、マジでエグかったよな! こう、バァァーン!って!」
「そうそう! ウェーイ!!」
「ウェーーイ!!」
翔太は、制服の裾を乱しながら、廊下の真ん中で男子たちと全力で謎のポーズを決め、アホなノリ全開で小学生レベルのじゃれ合いを始めている。
(…………ムムムッ)
私は再び、心の中の採点表に赤ペンを走らせた。
(中身が完全に小学五年生男子。あのガタイで精神年齢が全く追いついていない。あれを彼氏にしたら、ただの手のかかる『おっきい弟』の世話をする羽目になる未来しか見えない)
――減点2。
やはり、いくら外見が良くても、あのノリに四六時中付き合わされるのは私の精神衛生上よろしくない。
「あー、暑っ!」
アホなノリを終え、汗をかいた翔太が、再び私の席へと戻ってきた。
「いやー、男同士であのノリやると無駄に体力使うわー」
「そうね。知能指数も急激に低下してるみたいだし」
私が冷たくあしらうと、翔太は突然「そうだ!」と何かを閃いたように手をポンと叩いた。
「悪いんだけど澪! 今日の放課後、スタジオまであのアンプ運ぶの手伝ってくれない?」
「……は?」
「いやー、ドラムのやつは今日日直だろ? お前、意外と腕力あるし、いっつも頼りになるし! マジで最高の『男友達』って感じで助かるんだよな!」
そう言いながら、翔太は「あー暑い暑い」と、私の目の前で無神経に制服のシャツのボタンを外し、汗だくのインナー姿になろうとした。
(…………っ)
ピキッ、と。
私のこめかみに、青筋が浮かんだ音がした。
決まりだ。これが決定打《致命傷》。
この男は、私を完全に『便利な男友達』、あるいは『荷物運び役のゴリラ』か何かだと思っている。
女子に対する最低限のデリカシーも、レディーファーストの精神も、なぜか私に対してはマイナスに振り切れている。
「……自分で運びなさいよ、この単細胞バカ犬」
「えっ!? 痛っ! なんでいきなりスネ蹴んだよ!?」
「うるさい。少しは自分の言動を省みなさい」
ベースケースを背負い、スネを押さえて「理不尽だろ!」と騒いでいるアホなボーカルに冷たい視線を投げ落とす。
(顔は100点。中身は小学生。デリカシーはマイナス)
私は、教室の出口へと歩き出しながら、小さく、けれど確信を持ってため息を吐き出した。
(……うん。私がこいつを選ぶ日は、地球がひっくり返っても来ないわね)
世の中の『超優良物件』には、必ずどこかに致命的な欠陥が隠されているものだ。
そんな真理を再確認しながら、私は今日使わずに済んだ胃薬を握りしめ、静かに心を無にするのだった。




