第47話 限界オタクの正妻宣言
俺がなけなしの気概を振り絞って思いの丈をぶつけた後、コメント欄はかつてないほどの熱狂と祝福で埋め尽くされていた。
アンチの悪意は跡形もなく消え去り、そこにあるのは純粋な音楽への称賛と、俺たちを否定せず、応援してくれるリスナーたちの温かい反応だけだった。
(……よかった。これで、雪乃の居場所は守れたか)
俺がホッと胸を撫で下ろし、配信終了の挨拶をしようとした、その時だった。
カメラの死角から、スッと俺の背後に近づく気配があった。
「……湊。マイク、少し借りるわね」
ふわりと、シャンプーの甘い香りが漂う。
振り返ると、そこには顔が映らない画角のギリギリまで身を乗り出してきた雪乃の姿があった。
足枷になっていると泣いて怯えていた、さっきまでの少女は、もうどこにもいない。
そこにあるのは、あの気高く凛とした『氷の女王』の絶対的なオーラだった。
「ゆ、雪乃?」
「シーッ」
雪乃は俺の肩にそっと手を置き、マイクの正面へ唇を近づけた。
「……初めまして、リスナーの皆さん。Kanatoの専属マネージャーです」
静寂の部屋に、透き通るような、それでいて芯のある凛とした声が響いた。
その氷のように冷たく、美しい声に、コメント欄が一瞬で『!?』『声めっちゃ美人そう』『女王様キタァァ!』と沸き立つ。
「今日は、彼の配信を見に来てくださってありがとうございます」
雪乃は、画面の向こう側で見ているだろう数万人に向けて、ハッキリと言い放った。
「先ほど彼が言った通り、私が彼の隣にいるマネージャーであり……彼の、恋人です」
俺の肩に置かれた雪乃の細い指に、ギュッと力がこもるのを感じた。
それは、世界中の誰に対しても譲らないという、圧倒的な『正妻宣言』だったのだろう。
「彼のギターは、宇宙一です。……だから、私が一生隣で支えます。これからも『私の専属アーティスト』の応援、よろしくお願いします」
ある意味、完璧なマウント。
アンチの『女は邪魔だ』という言葉に対する、これ以上ないほどの痛快で華麗なカウンターだった。
その言葉を聞いた瞬間、コメント欄が完全に弾け飛んだ。
『宇宙一宣言キタァァァッ!』
『愛が重い! 最高!!』
『推しへの愛が強すぎるww』
『これはアンチも勝てねえわ、お幸せに!!』
『このカップル一生推せるwww』
画面は、もはやお祭り騒ぎ、祝福の言葉で溢れかえっていた。
俺は、背後で微笑む最強のマネージャーを見上げ、たまらず吹き出してしまった。
「……お前、本当にすげえな」
「当たり前でしょ。あんたの専属マネージャーなんだから」
「ははっ。えー、ということで皆さん、そういう訳なんで。これからも、俺たちをよろしくお願いします。……それじゃ、今日の配信はこれで終わります!」
俺は笑いながら、配信ソフトの『終了』ボタンをクリックした。
LIVEの赤いランプが消え、パソコンの画面が暗転する。
嵐のような一万人記念配信は、こうして幕を閉じたのだった。
***
配信が終わり、部屋に静寂が戻った、その瞬間。
「――湊ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
氷の女王の仮面が、音を立てて粉々に砕け散った。
「うおっ!?」
背後から、尋常ではない勢いで雪乃が俺の首に飛びついてきた。
俺はバランスを崩し、キャスター付きの椅子ごと派手にひっくり返りそうになるのを、足で踏ん張ってなんとか堪える。
「みーなーとぉぉぉっ! カッコよかった! ほんとカッコよかった! 何あれ!? 一万人のリスナーの前で私への愛の告白!? 好き! 大好きすぎっ!!」
さっきまでの凛とした態度は完全に消え失せ、雪乃は顔を真っ赤にして涙目になりながら、俺の頬や首筋に顔をスリスリと擦り付けてくる。
オタクとしての喜びと、彼氏への激甘な乙女心が完全にフュージョンし、大暴走を起こしていた。
「お、おい雪乃! 首締まってる! 苦しいって!」
「だって! だってぇ……っ! 私、自分が湊の邪魔になってると思って、本当に死にたいくらいだったの……っ!」
雪乃は、俺の背中に顔を埋め、子供のようにしゃくり上げた。
「でも、私がいなきゃ完成しないって……っ! うぅっ、湊の、ばかぁ……っ」
「……」
俺は、首に巻きついている雪乃の細い腕を、そっと自分の手で包み込んだ。
「バカはお前だろ」
俺は振り返って、涙で顔をぐしゃぐしゃにしている俺の可愛い彼女を、腕の中に強く抱きしめた。
「俺の音のルーツは、どう考えたって雪乃だろ。なら、お前がいなくてどうする。……俺の隣から逃げようなんて、もう二度と許さないからな」
「っ……! あぁぁぁっ、湊ぉ……っ!」
雪乃は俺のシャツをギュッと握りしめ、顔を胸に押し付けて声を上げて泣いた。
でも今度は、悲しみの涙ではない。安心と、圧倒的な幸福感からくる涙だろう。
俺は、世界一俺のギターを愛してくれている彼女の頭を、優しく、何度も撫で続けた。
配信で見せた凛とした佇まいとは裏腹に、現実の六畳間では、誰にも見せられない姿で最高の泣き笑いをうかべる恋人と共に、俺たちは極甘な時間を永遠に分かち合うのだった。
***
週明けの月曜日。
昼休みの教室、購買で買ったメロンパンをモソモソと食べる私――結城澪は、いつものように深い、深いため息を吐いていた。
「あー、湊。今日のお弁当の卵焼き、ちょっと甘めにしてみたの。ほら、あーんして?」
「ゆ、雪乃……周りが見てるから、恥ずかしいって……」
「いいから。私の『宇宙一のギタリスト』さんは、素直に私の手料理を食べればいいのよ。あーん」
「……あ、あーん」
(……配信の騒動が一段落したと思ったら、今度は『全世界公認バカップル』の糖度の暴力よ)
週末の記念配信を経て、限界オタクの呪いから完全に解放された雪乃は、いよいよタガが外れたように、学校でも影山くんへのデレと独占欲を隠さなくなった。
周囲の生徒たちは、「リスナー公認のマネージャーか……」「すげえ、氷室さんがデレデレだ」と、もはや別世界の住人を見るように二人を遠巻きに拝むようになっている。
私は、ブレザーのポケットに入っている『特大ボトルの胃薬』のパッケージを撫でた。
(……やっぱりこの胃薬、卒業するまで手放せそうにないわね......)
私は、目の前でバカップルっぷりを惜しげもなく見せつける二人から目を逸らし、天井を仰いだ。
手の焼ける親友は、ネットの悪意に正面からぶつかり、身を削りながらも鎮圧させる強さを見せ、最強の専属マネージャーへと進化した。
(……私も負けてらんないな……)
そんな私の静かな決意なんてものともせず、この甘くて、カオスで、時々騒がしい私たちの毎日は、これからもずっと、やかましい音色と共に続いていくのだろう。
(第二部・完)




