第46話 俺の音の理由
ギュイィィィン……。
歪んだディストーションの最後の残響音が、空気の中にゆっくりと溶けて消えていく。
俺は荒くなった息を整えながら、熱を持った指先からピックを離し、愛用のストラトキャスターをゆっくりと下ろした。
これが正解だったのか分からない。
でも、これ以上の方法はないという確信と、できることは全てやり切ったという思いだけは、確かにそこにあった。
そんなよく分からない感慨を胸に、俺は恐る恐るモニターに目を向けた。
ほんの数分前まで、目を覆いたくなるようなヘイトコメントで埋め尽くされていた画面。
そこには今、奇妙なほどの静寂が落ちていた。
アンチたちの悪意ある言葉の濁流は、ひとまず鳴りを潜め、不自然なまでにピタリと止まっていたのだ。
そして数秒の沈黙の後。
堰を切ったように、コメント欄が再び凄まじい勢いで動き始めた。
『ヤバすぎ』
『鳥肌止まらん……なんだこれ』
『神の音だわ』
『感情の乗り方エグいって』
『アンチ息してるか??』
『これ聴いて文句言うやつはマジで耳腐ってる』
『最高のギターだった。疑ってゴメン』
純粋な音楽としてリスナー達の心にしっかりと届き、顔の見えない悪意を音の力でねじ伏せた。
アンチの言葉は消え去り、画面は掌返しの大絶賛と、純粋なファンからの称賛コメントで埋め尽くされていく。
(……よし)
俺は心の中で小さくガッツポーズをした後、マイクの前に顔を近づけた。
演奏でねじ伏せることはできた。ここからは、俺自身の言葉で、あいつにかけられた『呪い』を完全に解いてやらなければならない。
「……聴いてくれて、ありがとうございました」
俺は少しだけ声のトーンを落とし、ゆっくりと、はっきりとした口調で語り始めた。
「コメント欄が荒れてたのは知ってます。俺のギターに、隣にいるマネージャー……いや、彼女の影は要らないって言ってる人たちもいました」
俺が自らその話題に触れたことで、コメント欄の流れが少しだけ緩やかになる。
「いろんな意見や考え方がある。それは百も承知しているつもりです。でも、ハッキリ言わせてください。……俺のギターは、俺一人の力で鳴ってるわけじゃないんです」
俺は、カメラの死角に座る雪乃の方を、一瞬だけ真っ直ぐに見つめた。
「配信の再生数とか、バズとか。ぶっちゃけ、俺にはどうでもいい。……俺の隣には、ずっと俺を支えて、一緒に喜んで、俺の音を一番理解して聴いてくれる『こいつ』がいる。だから俺は、最高の音が出せるんです」
俺の言葉が、静かな部屋に響く。
アンチたちが投げつけた『女が寄生している』『邪魔だ』という言葉を、完全に否定する俺からの答え。
「彼女がいなきゃ、俺の音楽は完成しない。俺の音の理由は、全部こいつにあるんです」
これ以上、彼女を悪く言うなら、ここから去ってくれ。
そういう無言の圧を込めて、俺は画面の向こうの数万人に言い切った。
***
(……あ、ぁぁ……っ)
カメラの死角、ベッドの上に座っていた私――氷室雪乃は、両手で口元を強く覆い、震える肩を押さえつけることができずにいた。
湊が放った圧倒的な魂のギター。
それだけで私の存在を肯定するには十分で、私は胸が張り裂けそうなくらい嬉しかったのに。
『彼女がいなきゃ、俺の音楽は完成しない』
『俺の音の理由は、全部こいつにあるんです』
口下手で不器用な私の神様が、敢えて口にしてくれたその言葉が。
私の心に深く突き刺さっていた、限界オタクならではの重く黒い呪いを、粉々に打ち砕いてくれた。
(私が、湊の音楽を完成させてる……? 私が湊の音楽の理由……?)
無意識のうちに瞳から大粒の涙がこぼれ落ち、私の手の甲を濡らした。
私は、湊の邪魔になんてなっていない。
寄生虫なんかじゃない。
私の存在そのものが、あの圧倒的な音を生み出すための原動力だったのだ。
(……湊っ、湊ぉ……っ!)
涙が次から次へと溢れて止まらない。
今までずっと、推しに迷惑をかけないように、足枷にならないようにと怯えていた私の心が、湊の言葉によって完全に浄化されていくのを感じた。
パソコンのモニターに目を向ける。
湊の言葉を聞いたコメント欄は、少しの静寂の後、さらに凄まじい勢いで大爆発を起こしていた。
『うおおおおっ!』
『神からの愛の告白!!』
『いやいや、コレ尊すぎだろ!!』
『最高のマネージャー、いや彼女か』
『アンチ完全敗北www』
『彼女のアンチだった俺が恥ずかしくなってきた、応援するわ』
『いや、ここまで言わせてゴメン』
『で、その宇宙一の彼女さんはどこにいるんだ!?』
『声だけでもいいから聞かせろ!』
アンチの悪意は完全に鎮圧され、コメント欄は祝福と熱狂の嵐に変わっていた。
その光景を見て、私は涙を乱暴に拭い、立ち上がった。
――もう、逃げない。
カメラの死角で縮こまって、勝手に自己嫌悪に陥って泣くのは終わりだ。
湊が、全世界を敵に回す覚悟で、私の居場所をあんなにカッコよく証明してくれたのだ。
私も、湊の『彼女』として。そして世界一の『専属マネージャー』として。
湊の隣に立つ覚悟を、見せつけてやらなければならない。
私は、氷の女王としての凛とした表情を作り直し、湊の座る椅子の背へと、スッと音もなく歩み寄った。




