第45話 荒れるコメント欄と、魂のギター
20時ジャスト。
登録者一万人記念の生配信が始まった瞬間、画面隅の同時接続者数のカウンターが、恐ろしい速度で跳ね上がっていった。
数千、そしてあっという間に一万へ。
画面の向こう側に、それだけの人間が俺のギターを待ち構えている。
「……えー。今日も見に来てくれてありがとうございます。リクエスト、いくつか弾きます」
俺は極力いつも通りのトーンでマイクに話しかけ、何曲か定番の曲や、事前にリクエストが多かったインスト曲を弾き始めた。
音楽配信として、まずは無難な立ち上がり。
だが、モニターに流れるコメント欄は、純粋に音楽を楽しむ空気からは程遠かった。
『またあの痛い彼女いるの?』
『女の声入ったら即低評価押してブラバするわ』
『神聖なギターに寄生虫はいらない』
『どうせなら顔出ししてみせろ』
純粋なファンからのコメントやリクエストを掻き消すような、すさまじい勢いのアンチコメントの濁流。
顔の見えない悪意が、コメント欄をドス黒く塗り潰していく。
俺はギターを弾きながら、チラリとカメラの死角――ベッドの上に座る雪乃の様子を見た。
雪乃は、自分の膝をギュッと抱え込み、青ざめた顔で小さく震えていた。
自分が原因で大好きな推しの配信が荒らされているという罪悪感に、今にも押し潰されそうになっていた。
(……クソッ! 思った以上に雰囲気が悪い。……俺が、何とかしないと)
俺はピックを握り直し、次の一曲でこの濁流を完全に止める決意を固めた。
***
(やっぱりダメ……。私のせいで、湊の配信が……)
ベッドの上で息を潜めながら、荒れ狂うコメント欄を呆然と見つめる私――氷室雪乃は、心無い言葉の数々に早くも戦意を喪失しかけていた。
湊は『絶対に、俺の隣を離れるな』と言ってくれた。でも、目に入る言葉の暴力たちは、容赦無く私の心を削り、私が逃げ出す口実を突きつけてくる。
私の心が弱気に傾きかけたその時、手元のスマホが、ブルッ、と短く震えた。
通知画面を見ると、澪からのメッセージだった。
『あんたの推し、今からとんでもないことやる顔してるわよ』
『下向いてないで、しっかり前見てなさい。一番の特等席なんだから』
「澪……」
ハッとして顔を上げると、湊がモニターをジッと見つめながら、フッと口角を上げているのが見えた。
つられて私も画面に目を向ける。
アンチで埋め尽くされているコメント欄の中に、一つだけ、全く異質の熱を帯びたコメントが流れていた。
アカウント名はローマ字の「SH」。投げ銭などの目立つ機能は使っていない、ただの一般コメント。
だが、その言葉は、私と湊にだけはっきりと伝わる『特別な符号』。
『俺の歌を最高に輝かせてくれたあの音、世界中に見せつけてやれ! 今日もブチかませ、相棒!』
(……翔太くん)
文化祭のステージで、湊のギターに支えられ、誰よりも湊の音を信じている『ボーカル』からの熱いエール。
この配信を、仲間たちが見守ってくれている。
湊もそう確信したのか、画面に向かって小さく頷き、マイクにそっと顔を近づけた。
「……最後に。俺が一番、大切にしている曲を弾きます」
***
俺は足元のエフェクターを踏み、ギターの音色をディストーションから、一切の濁りがない透明なクリーン・トーンへと切り替えた。
弾き始めたのは、あの『伝説の中二病ラブソング』のアレンジバージョン。
アルペジオで紡がれる、静かで優しい旋律。
アコースティックギターのように澄み切った、不器用で、けれど誰かをひたすらに想い続けるような、切ないメロディが部屋中に響き渡る。
雪乃への想いをこじらせて作った、あの日の感情。
すべてはそこから始まった。
ずっと嫌われていると思っていた。届いていないと思っていた。
だから、ギターを弾く意味を失いかけていた。
でも、違った。
俺が音に込めた不器用な願いは、一番届けたかったあいつの心に、しっかりと届いていたのだ。
雪乃は言った。
あんたの音に、私は命を救われた。あんたの音が、真っ暗な部屋から私を解き放ってくれたと。
だけど、本当に救われたのは誰だ。
教室の隅で俯いているだけだった俺。なにもかも諦めてただ息を吸うだけの存在になりかけていた俺。
そんな俺に雪乃はまっすぐな想いをぶつけてくれた。
そして、雪乃が縁をつなぐ形で、翔太や澪との絆が生まれた。
そう、救われていたのは俺のほうだ。
――なら、ここであいつを救ってやらないでどうする?
――ここで証明しなきゃ、男じゃないだろ。
曲がサビに差し掛かった瞬間、俺は再びペダルを強く踏み込み、音を一気に激しいディストーションサウンドへと爆発させた。
以前のように『ヤケクソ』でも『失恋の哀愁』でもない。
俺の隣には雪乃がいる。
世界で一番俺のギターを愛してくれている、最強の限界オタクがいる。
有象無象の外野の言葉なんて、どうだっていい。
俺の隣は、未来永劫、こいつだけだ。
指先から溢れ出す、雪乃への深く重い愛情と、強烈な独占欲。
それらすべての感情を、圧倒的な音圧と情念のギタープレイに乗せて、俺は愛用のストラトキャスターを弾き狂った。
ふとモニターを見ると、先ほどまで嵐のように荒れ狂っていたアンチコメントの濁流が、目に見えて鈍くなっていた。
だけど、今は関係ない。
この瞬間、この音を、お前のためだけに――。
俺は、カメラの死角にいる雪乃の姿を視界の端に捉えながら、最後の一音まで、ありったけの感情を弦に叩き込んだ。




