第44話 宣戦布告
楽器店でのデートから帰宅したその夜。
俺はPCの前に座り、『Kanato』の配信チャンネルを開いた。
フォロワー数は文化祭以降うなぎ登りに増え続け、ついに一万人の大台を突破している。
『――今週末の土曜20時。登録者一万人記念の生配信をやります。リクエストに応えながら弾き語りをするので、絶対に見に来てください』
迷うことなくキーボードを叩き、投稿ボタンを押す。
反撃の狼煙となる、俺からの宣戦布告だ。
告知のポストを投下した瞬間から、通知のアイコンが凄まじい勢いで点滅し始めた。
『キタァァァッ!』
『弾き語り待ってた!』
『絶対見ます!神!』
純粋なファンからの喜びの声が溢れる。
だが、光が強ければ強いほど、その影には濃い闇が付き纏う。
数分もしないうちに、待ってましたとばかりにアンチコメントが湧き始めた。
『またあの痛い彼女出るの?w』
『女の声入ったら秒で低評価押してサヨナラするゾ』
『神聖なギターに寄生虫はいらない』
『どうせまた匂わせして話題だけ集める作戦っすか』
「…………」
俺の隣で一緒に画面を見ていた雪乃が、無意識にギュッと自分のスカートの裾を握りしめたのがわかった。
少し立ち直ったとはいえ、面と向かって向けられるネットの悪意は、確実に彼女の心を削っている。
「……見なくていい」
俺は画面をスクロールするのをやめ、雪乃の肩をポンと叩いた。
「こいつらはただ、安全な場所から口撃して遊びたいだけの連中だ。俺の音で、こいつらの口を完全に塞いでやるから」
「……ええ。わかってるわ」
雪乃は力強く頷き、俺に負けじと気丈な笑みを浮かべてみせた。
***
週明けの昼休み。
翔太が俺の席にやってくるなり、声を潜めて身を乗り出してきた。
「なぁ影山。こないだ俺と澪が帰った後……二人どうなったんだよ。雪乃ちゃん、ちゃんと元気出たのか?」
「……ああ。なんとか立ち直ってくれたと思う。陽向も、協力サンキュな」
「おっし! さっすが俺の相棒!」
翔太は自分のことのようにパァッと顔を輝かせて喜んだが、すぐに少し心配そうな表情に変わった。
「でもさ……週末の記念配信の告知、見たけど。コメ欄、また変な連中に荒らされてないか?」
「ああ。……ネットの連中が好き勝手言ってる状況は変わってないからな」
「くそっ! あいつら、雪乃ちゃんがどれだけ影山の音を愛してるか知りもしねえくせに!」
そんな翔太の心配を吹き飛ばすように、俺はいつにない自信を少し覗かせる。
「まあ、心配すんな」
飲みかけの紙パックのコーヒーを置き、フッと笑った。
「あいつらの文句、今度の配信で全部へし折ってくるから。俺のギターで、雪乃の存在ごと認めさせてやるつもりだ」
「っ……! 影山、お前……!」
翔太の目が、キラキラと尊敬の光を帯びて輝き始めた。
「やっぱお前、マジでかっけえわ! さすが俺の神様だ! 週末の配信、全力で応援してるからな!」
そんな男二人のやり取りを、まるで高みから観察するように見つめる冷静な瞳……。
(……休日のデートの成果はちゃんとあったみたいね。でも、『ネットのアンチどもを、俺の音で黙らせる』『雪乃の存在を認めさせる』って、影山くんにしては大胆な発言ね……)
少し離れた席から、澪がジト目をむけているのが見えた。
俺はそれを「せいぜい頑張りなさいよ」という無言のエールとして受け取り、静かに頷き返すのであった。
***
決戦の土曜日。夜の19時45分。
私――氷室雪乃は、湊の部屋で配信機材の最終チェックを行っていた。
「マイクのゲイン調整よし……。カメラのホワイトバランスよし……」
声に出して確認する。
普段のように「今日の湊もエロい! 尊い!」といった浮ついた感覚はなく、いつにない緊張感で、指先が微かに震えてしまうのを止められなかった。
(……怖い)
本音が、ぽろりと胸の奥で零れる。
もし今日の配信で、また私が原因でコメント欄が荒れ狂い、湊の音楽が正当に評価されなかったら。
私のせいで、低評価の嵐になり、湊の音を、いや湊自身を傷つけることになってしまったら。
オタクとしての『推しへの愛』が強いからこそ、推しの足を引っ張ってしまうかもしれないという恐怖が、ギリギリのところで私の理性を揺さぶっていた。
「……雪乃」
ふいに、横から大きな手が伸びてきて、私の震える手をギュッと強く包み込んだ。
「えっ……」
「手が、冷たいぞ」
顔を上げると、いつものように気怠げで、けれど今は誰よりも頼もしい、私の大好きな幼なじみが、真っ直ぐに私を見つめていた。
「湊……私、やっぱり……」
「何も心配しなくていい」
湊は、握った手にさらに力を込める。
ギターの弦を押さえ続けてカチカチに硬くなった、あの尊い『タコ指』の感触が、私の肌に直に伝わってくる。
「雪乃は、俺の専属マネージャーだろ。……絶対に、俺の隣を離れるな」
「っ……」
「ネットの連中が何と言おうが、お前の居場所はここだって、俺の音で証明してやるから」
その力強く、絶対的な自信に満ちた言葉。
私の推しは、私の神様は、いつの間にこんなに頼もしくなったのだろう。
ずっと引っ張っていると思っていた存在に、いつの間にか引っ張られている自分。
大きな愛と自信に包まれている今、私が恐れることなんて、何一つないじゃないか。
(……そうよ。私が信じないでどうするの。私の神様の音は、宇宙一なんだから!)
震えは、完全に止まっていた。
私の中の弱気は消え去り、代わりに、氷の女王として培った強靭な精神力と、限界オタクとしての最強のプライドが復活する。
「……ええ。わかったわ」
私は、湊の手を力強く握り返し、不敵な笑みを浮かべた。
「あんたのギターで、有象無象のアンチどもを全員黙らせてやりなさい。……私の神様をいつまでも舐めてんじゃないわよ」
「ああ、任せろ」
湊が愛用のストラトキャスターを構え、ふう、と深く息を吐き出す。
時計の針が、20時ちょうどを指した。
「――配信、スタートよ」
マウスをクリックすると、赤く光る『LIVE』の文字が点灯する。
アンチの悪意と二人の覚悟が正面から激突する、記念配信という名の『最終決戦』が、今、静かに幕を開けた。




