第41話 救えるのはお前だけ
放課後の屋上。
秋の冷たい風が吹き抜ける中、フェンス際に追い込まれるように立つ俺――影山湊は、結城澪と対峙していた。
「……で。用件は何なんだよ」
俺が重い口を開くと、澪は腕を組み、いつも以上に冷ややかな、けれどどこか焦燥感を孕んだ瞳で俺を睨みつけた。
「あんた、今日の雪乃の様子見てどう思った?」
「……朝からずっと俺を避けてる。声かけても逃げられるし。……コメントでアンチに叩かれたショックを引きずっているんだろうなって」
「それで? あんたは彼氏として、あいつに何て声かけたのよ」
「『ネットの連中の言うことなんか気にするな』って。俺はちゃんと、雪乃が大事なマネージャーだって伝えたんだけど……」
「バカッ!!」
ドンッ!!
澪が激しく踏み込み、俺の制服の胸ぐらをガシッと両手で掴み上げた。
「なっ……!?」
「そんな薄っぺらい、ありきたりな言葉で、あいつの心が救われるわけないでしょ!!」
普段は一歩引いたところから冷静に物事を見ている澪が、珍しく声を荒らげ、感情を剥き出しにしている。
その思いがけない迫力に、俺は思わず息を呑んで立ちすくんだ。
「あんた、雪乃のこと何にもわかってない! あいつは普通の女の子じゃないのよ! あんたのギターを誰よりも神聖視して、狂信的に崇めている『限界オタク』なのよ!」
「限界、オタク……」
「普通の女の子なら、『悪く言われて悲しいから慰めて』って彼氏に甘えられる。でも、雪乃は違うの!」
澪は、俺の胸ぐらを掴んだまま、ギリッと悔しそうに唇を噛み締めた。
「あいつはね、自分が叩かれたことなんてどうでもいいのよ。自分のバカな行為のせいで、大好きな推しの『神聖な音楽』を汚してしまった。自分が、あんたの才能の『足枷』になっている……そう思い込んで、自分自身に呪いをかけているの!」
「足枷……っ」
俺は頭を鈍器で殴られたような衝撃に見舞われた。
雪乃が、昨日の夜「邪魔しないようにする」、そう言って出て行った本当の意味。
あいつは、自分が傷ついたから逃げたわけじゃない。俺のギターを守るために、俺のために、自ら身を引いたのだ。
「……悔しいけど、私なんかがどれだけ『あんたは悪くない』って慰めても、あいつには一ミリも届かないのよ……」
澪の手から力が抜け、胸ぐらを掴んでいた手がゆっくりと下ろされた。
「親友の私じゃ、ダメなの。あいつの心に深く刺さった棘は、ただの友達の言葉じゃ解いてやれない」
澪は、ポツリと、悔しさと無力感を滲ませた声で呟いた。
「今のあいつを救えるのは、この世でたった一人……あんたしかいない」
「俺、しか……」
「あんたの『言葉』、……いや『音』。ごめん、方法まではアドバイスできないけど、とにかくあんたにしか、あいつの呪いは解けないのよ。……どうするの、影山くん。このまま、雪乃があんたの前からいなくなるのを、指をくわえて見てるつもり?」
澪の悲痛な問いかけが、屋上の風に乗って響いた。
俺は、昨日の夜、雪乃がいない部屋で一人で配信をした時の、あの圧倒的な虚無感を思い出していた。
いくらスコア通りに正確に弾いても、何の感情も乗らないスカスカな音。
文化祭の時も、配信の時だって、一番近くで応援して、涙を流して喜んでくれる『あいつ』がいたからこそ、俺のギターは最高の音を鳴らすことができたのだ。
(雪乃が俺の足枷?……ふざけんな)
俺の胸の奥から、静かで、けれど絶対に消えない強い炎が燃え上がった。
「……足枷なんかじゃない。雪乃が隣にいないと、俺の音は完成しない」
「影山くん……」
「教えてくれてサンキュな、結城。彼氏失格だな……俺の慰め方が間違ってた」
俺は、顔を上げ、澪を真っ直ぐに見据えた。
逃げ隠れしていたただの機材係の陰キャは、もうどこにもいない。
「……あいつの居場所は、俺が絶対に取り戻す。俺の音で、あいつの呪いを解いてみせる」
俺の言葉に、澪は一瞬目を丸くした後、フッと憑き物が落ちたように柔らかく微笑んだ。
「……言ったわね。その言葉、絶対に忘れんじゃないわよ」
「ああ。……だから、一つ頼みがある。今度の週末、雪乃を外に連れ出すのを手伝ってくれないか? 俺から誘っても、今は避けられるだろうから」
「手はじめに気晴らしのデートってわけね。いいわよ、あいつを連れ出す口実くらい、いくらでも作ってあげる」
「悪い。できれば、陽向にも協力してもらいたいんだけど」
「……はぁ。どこまでも手のかかるバカップルね。まぁ、最後まで面倒見てあげるわよ、主人公さん」
澪は呆れたようにため息をつきながらも、どこか嬉しそうに屋上のフェンスに寄りかかった。
頼もしい仲間と、最高の相棒。
俺はもう一人じゃない。だからきっと上手くいく。
今度は俺が、愛する幼なじみを先の見えない暗闇から引っ張り出してやるのだ。
(待ってろ、雪乃。お前が俺のギターを世界一だと信じてるなら……俺の音で、お前の居場所を証明してやる)
秋の空の下、俺は固い決意と共に拳を握りしめ、逆襲の狼煙を上げるのだった。




