第38話 悪意の切り抜きとアンチの標的
奇声入りの復活配信から、数日が過ぎた昼休み。
少し平穏を取り戻していた俺の高校生活は、またしても騒がしいものになっていた。
「影山! お前、マジでやったな!!」
教室のドアをバンッと開けて、翔太が俺の席まで猛ダッシュでやってきた。
その手には、再生回数が異常な数字になっている俺の動画を表示したスマホが握られている。
「お前の動画、拡散されまくってんぞ! 『幻の神ギタリスト復活! ただし隣には女の影』ってタイトルで、いろんなまとめサイトに取り上げられてる!」
「うおっ……マジかよ」
翔太に見せられた画面には、あの日、俺が気持ちよくソロを弾いている最中に、雪乃が「えっちすぎるぅぅっ!」って絶叫した瞬間の動画が、テロップ付きで面白おかしく編集されていた。
チャンネル登録者数も、たった数日で一気に万単位まで激増している。
「いやー、すげえよ! あのKanatoの隣で『無理好きぃぃ!』って叫んでるのが雪乃ちゃんだと思うと、腹抱えて笑ったわ!」
翔太はニヤニヤしながら、俺の肩を小突いた。
「お前ら、すっかり公認のイチャイチャカップルじゃねえか。ヒューヒュー! 熱いなぁ~!」
「ばっ、声でかいって! 別にイチャイチャなんて……」
俺が顔を真っ赤にして周囲を見回すと、前の席に座っていた氷の女王が、フンッ、と自慢げに鼻を鳴らした。
「事実なんだからいいでしょ。……全世界の視聴者が、私が湊の隣にいるって認知したんだから。彼女として当然の義務を果たしたまでよ」
雪乃は腕を組み、どこからどう見ても『特大のドヤ顔』をキメている。
ネットでバズったことで、限界オタクとしてのマウント欲が満たされ、完全に調子に乗っているようだ。
「……はぁ」
俺たちの横で、深いため息が聞こえた。
購買で買ってきたサンドイッチをかじっていた澪が、死んだ魚のような目で俺たちを睨んでいる。
「あんたらね……。ネットの海で、全世界に向けて公開イチャイチャすんなバカ。私の胃壁が溶けるわ」
「……結城……なんかごめん……」
「まあ、特定されないように工夫はしてるみたいだからいいけど……。ネットの世界なんて、何が火種になるか分かんないし気をつけなさいよ」
澪は、ジト目でそう忠告し、ペットボトルの水で胃薬を流し込んでいた。
その時は、澪の言葉の重みを、俺も雪乃も全く理解していなかった。
大勢の人間が好意的にいじりを楽しんでくれている。このまま順調に、雪乃との配信活動が楽しく続いていくのだと、楽観しきっていたのだ。
***
その日の夜。
自室のベッドの上で胡座をかいていた私――氷室雪乃は、『専属マネージャー』としての業務――という名のエゴサーチに精を出していた。
(ふふふっ。今日も湊の動画、めっちゃ伸びてる!)
私はスマホの画面をスクロールしながら、ホクホク顔でコメントを眺めていた。
『この彼女の限界オタクっぷり最高w』
『神ギターと痛い彼女のギャップがいい』
最初は「やらかした」と思っていた放送事故も、結果的には『Kanato』というチャンネルに親しみやすさを生み、バズの起爆剤となったのだ。
ある意味ではプロデューサーとして、私の立ち回りは完璧だったと言っていい。
(さてさて、他のまとめサイトでの評価は……っと)
意気揚々と検索窓に『Kanato ギター』と打ち込み、最新の記事をチェックする。
だが、その検索結果に並んだいくつかの不穏な見出しに、私の指がピタリと止まった。
『【悲報】伝説のギタリストKanato、女の匂わせで終わる』
『神聖な音楽配信に、承認欲求モンスターの女が寄生してる件』
『痛い彼女アピールうざい。ギターは神なのに女の声がノイズすぎる』
「……えっ?」
私の胸の奥に、ヒヤリと冷たいものが流れ込んだ。
震える指で、記事の一つを開く。
記事の内容自体に目を見張るものはなかったものの、記事のコメント欄には、昨日の生配信のような愛のある『いじり』ではなく、剥き出しの『悪意』がズラリと並んでいた。
『純粋にギターだけ聴きたいのに、裏で女が奇声上げてるの不快すぎる』
『どうせ女が寄生してバズろうとしてるだけだろ。マジで邪魔』
『非リアの代弁者だと思ってたのに裏切られたわ。女は消えろ』
『せっかくの神ギターが、出しゃばりな女のせいで台無し』
「…………っ」
私は、思わず息を呑んだ。スマホを持つ手がガタガタと震え出す。
バズは肯定的な捉え方だけでなく、同時にアンチも大量に生む。
ネットの隅々まで拡散された結果、純粋な音楽ファンを自称する過激派や、ガチ恋勢、そしてただ叩きたいだけの愉快犯が声を上げ始めたのだ。
『女は消えろ』
『神ギターが台無し』
その言葉たちが、鋭い刃となって私の心臓を滅多刺しにしていく。
(……ちがう。私は、湊の邪魔なんて……)
そんな言い訳は、誰にも届かない。
オタクである私にとって、『推しの神聖な音楽を汚す』という評価は、自分自身の存在意義を全否定されるに等しい、最も恐ろしいものだった。
(私の……私のせいで、湊のギターが、批判されてる……?)
指先が冷たくなり、これ以上、画面をスクロールすることができない。
昨日までの圧倒的な優越感と幸福感は崩れ去り、代わりに、深く暗い絶望の闇が、私の足元にぽっかりと口を開けていた。
***
週末の夜、二回目の配信の準備をしながら、俺は横にいる雪乃をチラリと見た。
「……雪乃? どうした? なんか今日、元気ないぞ」
「……え? ううん、なんでもない。ちょっと寝不足なだけ」
雪乃は力なく微笑み、PCの画面から目を逸らした。
いつものオタク特有のギラギラした熱量も、『氷の女王』の凛としたオーラもない。ただの、弱々しい少女のような顔だった。
(……なんか変だな)
引っかかりを覚えつつも、配信開始の時間が迫っていたため、俺はギターを構えた。
「じゃあ、始めるわね。……配信、スタート」
雪乃がマウスをクリックし、二回目の配信が始まった。
前回の大バズりの影響で、同接数は開始直後から数千人という驚異的なスピードで伸びていく。
俺は少し緊張しながらも、「えー、来てくれてありがとうございます。今日も適当なところから弾いていきます」と挨拶し、ギターを鳴らし始めた。
――しかし。
数曲弾き終え、ふとモニターのコメント欄に目を向けた俺は、その異様な空気にゾッと息を呑んだ。
『またあの痛いオンナいるの?』
『ギターの邪魔だから女は声出すなよ』
『どうせ女が寄生してバズろうとしてるだけだろ、うざい』
『純粋にギターだけ聴きたいのに、女の気配がノイズなんだわ』
『女消えろ』
流れ続けるコメントの多くが、前回のお祭りのような「いじり」ではなく、明らかに刺々しい『ヘイト』だった。
しかも、俺のギターに対する批判ではない。
俺の隣にいると思われている、雪乃の存在を完全に否定し、排除しようとする、悪意の塊。
「な、なんだこれ……」
俺はギターのフレットを押さえる手を止め、呆然と画面を見つめた。
急激なバズが引き寄せた、ネットの悪意たち。
そいつらが今、安全だったはずの俺たちの居場所を、土足で踏み荒らしに来ている。
ハッとして、カメラの死角にいる雪乃を見る。
今にも泣き出しそうな、自分がここにいてはいけないのだと、存在を消すように、小さく縮こまった痛ましい姿。
(……雪乃)
俺の大切な幼なじみを、見ず知らずの連中が寄ってたかって傷つけている。
俺は焦りと同時に、腹の底からドス黒い『怒り』がフツフツと湧き上がってくるのを感じていた。
俺たちが始めた楽しくて甘い時間は、ネットの悪意という強大な暴力によって、残酷なまでに引き裂かれようとしていた。




