第37話 コメント欄祭り
静まり返った六畳の自室。
先ほどまでの熱を帯びたギターの音は消え去り、代わりに俺の心臓の音だけがやけにうるさく鳴り響いている。
パソコンのモニターに目をやると、嵐の前の静けさのようにピタリと止まっていたコメント欄が、ついに決壊の時を迎えていた。
『!?!?!?!?』
『え?』
『今、女の声しなかった!?』
『「えっちすぎるぅぅ」って言ったぞwwww』
『無理っ!好きぃぃ!ってwww』
『おい神様!! 隣に女いるだろ!!』
『ふざけんな! あんな孤独で哀愁漂うエモい音出しといて、非リアのフリしてたのか!!』
『許さん! 裏切り者!!』
『ていうか彼女の声かわヨ!うらやましす〜』
『生音聴いて昇天してる彼女おるやん!!!』
(お、終わったぁぁぁぁぁぁっ!!)
滝のように流れるコメントの濁流。同接数は一気に一万人を突破し、画面の向こうの有象無象の視聴者たちが一斉に俺に向かって石を投げてきている。
俺は顔から火が出るほど真っ赤になり、マイクに向かって裏返った声で叫んだ。
「ち、ちげえよ!! 今のはその……妹っていうか!!」
『妹が兄の指見てえっちすぎるって言うかよww』
『WAO!近親相姦!?』
「違う違う!! そうじゃなくて、ええと、マ、マネージャー! そう、マネージャーがいて……!」
『マネージャーとはなんぞ?』
『「無理好きぃ」って叫ぶマネージャーどこにいるんよww』
『完全に同棲してる彼女のリアクションww』
何を言ってもドツボにハマる。
言い訳をすればするほど、コメント欄は『彼女持ちの裏切り者』をいじる痛快なお祭り会場と化していった。
コミュ障の俺に、これだけの数の煽りを捌き切るスキルなんてあるはずもなく......。
俺は助けを求めるように、カメラの死角――ベッドの上で奇声を発した張本人へ、恨めしげな視線を向けた。
***
(や、やっちゃったぁぁぁぁぁぁっ!?)
クッションに顔を埋めたまま、私――氷室雪乃は、全身からサーッと血の気が引くのを感じていた。
湊の尊すぎる演奏に理性を吹き飛ばされ、つい漏らしてしまったオタクの鳴き声。
それが、高指向性マイクによって、数千、数万の視聴者にバッチリ配信されてしまったのだ。
(どうしよう! 有能マネージャーとして完璧に配信を取り仕切るはずだったのに! 湊の神聖な配信を、私のヤバいオタクボイスで汚してしまった……っ!)
私は羞恥心と罪悪感で、ベッドの上で亀になりかけていた。
恐る恐る顔を上げ、パソコンのモニターに流れるコメント欄を盗み見る。
湊が『ち、ちげえよ!』と必死に弁明しているが、コメント欄は完全に『彼女の存在』を弄り倒す流れになっていた。
『彼女の愛、重すぎだろww』
『神の演奏を一番近くで独り占めしてるとか、最高の特等席じゃん』
『彼女が隣にいるなら、そりゃあんな愛のこもったエモいギターになるわな』
『末長く爆発しろ!!』
「……えっ?」
私は、そのコメントの数々を見て、ピタリと動きを止めた。
怒っている人もいるけれど、大半の視聴者は『愛が重いヤバい彼女』という存在を面白がり、湊が私に向けて弾いているという事実を容認している。
(……あれ? これって、つまり)
私の脳内で、恐ろしいほどのスピードで『都合の良い解釈』が組み上がっていく。
(多くの視聴者が、湊に彼女がいることを認知したってことじゃない!?)
(しかも、湊があのエモいギターを彼女のためだけに弾いているって、公式に証明されたようなものよね!?)
ついさっきまで囚われていた罪悪感は、マッハで宇宙の彼方へと消え去った。
代わりに湧き上がってきたのは、女性ファン―—いや、泥棒猫たちに対する、圧倒的な優越感と正妻マウントがもたらす快感だった。
(ふふんっ! そうよ、あんたたちが画面越しにキャーキャー言ってるこの神様は、私のものよ! 一番近くで生音を浴びて、この尊いタコ指を独り占めしているのは、この私なんだから! ひれ伏しなさい有象無象ども!!)
私はベッドの上でガバッと立ち上がると、カメラの死角であるのをいいことに、見えない泥棒猫たちにむけて、特大のドヤ顔をキメた。
湊がそれに気付き、「おい雪乃! お前のせいでコメント欄がエラいことになってるぞ!」と目で抗議してくるが、私は氷の女王の凛とした表情のまま、湊に向かってバシッと『Vサイン』を突きつけてやった。
(なんでドヤ顔でピースしてんだよこのポンコツ!!)
湊が声なきツッコミを顔面に浮かべているが、私の心はこれ以上ないほどの多幸感に包まれていた。
限界オタクの正妻活動、ここに極まれり、である。
***
「いや、だから本当に彼女じゃなくて! ……あーもう、今日はこの辺で終わります! ありがとうございました!」
これ以上このカオスな状況を長引かせるのは危険だと判断し、俺は逃げるように配信ソフトの『終了』ボタンを叩きつけた。
ブツッ、と画面が暗転し、部屋に静寂が戻る。
「……はぁぁぁぁっ」
俺は机に突っ伏し、今日一番の深いため息を吐き出した。
寿命が十年は縮んだ気分だ。同接一万人を越える中での公開処刑《彼女発覚》。
だが、恐る恐る様子を伺ってみれば、元凶であるはずのマネージャー様は、ベッドの上でなぜか満足げにフンスフンスと鼻息を鳴らしていた。
「おい雪乃……。お前、マイクに声乗らないように気をつけるって言ったよな?」
「し、仕方ないでしょ。あんたが私の理性を吹き飛ばすような、エッチな運指を見せつけるからでしょ......」
「人のせいにするな! おかげでコメント欄が完全に『痛い彼女がいる配信者』扱いだったぞ!」
「痛い彼女で結構よ。……これで、ネットの泥棒猫どもも、あんたに手出しできなくなったでしょ。一種のマーキングよ、マーキング」
雪乃はツンとそっぽを向きながらも、口元は完全ににやけてしまっている。
(……はぁ。まあ、コメントを見ている限り、みんな案外ネタとして楽しんでたみたいだし、炎上ってほどじゃなかったからいいか)
俺は呆れながらも、雪乃の嬉しそうな顔を見て、怒る気も失せてしまった。
何より、俺自身も、こうして自分の音をたくさんの人に聴いてもらえたこと、そして隣で雪乃が喜んでくれていることに、確かな充実感を感じていたのだ。
「仕方ねえな。次は絶対に声出すなよ、マネージャーさん」
「……ええ。善処するわ」
こうして、伝説の神ギタリスト『Kanato』の復活配信は、ヤバい彼女の奇声と共に大盛況(?)のうちに幕を閉じた。
俺たちは、この痛快ないじりコメントとバズの余韻に浸りながら、甘く平和な時間がずっと続くのだと思っていた。
だが、ネットの熱狂というものは、往々にしてコントロールの効かない『化け物』へと姿を変える。
この『彼女の奇声入り』動画が切り抜かれ、爆発的に拡散し、賞賛の裏に潜む『悪意』の標的となる日が、すぐそこまで迫っていることなど、この時の俺たちは知る由もなかった。




