第36話 痛恨の放送事故
配信画面に表示された同時接続者数のカウンターは、あれよあれよという間に五千人を突破していた。
滝のように流れるコメント。
俺は緊張で指先が震えそうになるのを必死に抑えながら、ギターのストロークを弾き続けていた。
雪乃のカンペ『そのまま弾け!』の指示に従い、数曲のインストゥルメンタルをノンストップで弾き終えると、画面の向こうの熱気は最高潮に達していた。
『神!』
『音圧が段違いすぎる』
『文化祭の動画よりさらにヤバい!』
『手元だけでわかるイケメンオーラ』
(……いや、なんで手元だけでイケメン? まぁ、顔は絶対に出せないけどな)
俺は心のなかでツッコミを入れつつ、マイクに向かって少しだけ話し掛ける。
「えーっと……たくさん見に来てくれてありがとうございます。……何か、リクエストありますか?」
俺がボソッと呟くと、コメント欄はさらに爆発した。
『しゃべったあああ!』
『声低くてカッコいいじゃん!』
『エモいギターソロ弾いて!!』
『あの伝説のラブソングのソロアレンジ聞きたい!』
コメント欄の要望を見た雪乃が、素早い手つきでスケッチブックに文字を書き、俺の目の前にバンッ!と掲げた。
『リクエストに応えて! エモいソロ! 愛を込めて!』
(愛を込めて、って……お前な)
俺はカメラの死角となるベッドの上で、ドヤ顔をしている彼女を見て、思わず口元が緩みそうになるのを堪えた。
俺たちの長かったすれ違いを思い出す。
文化祭をきっかけにいろんなことが動き始めた。
今まで全く接点のなかった翔太や澪との出会い。
苦しい状況を乗りこえ、ライブに向けて自分自身で固めた決意。
それらがあったからこそ、今は晴れて恋人同士になれたのだ。
その圧倒的な多幸感と、雪乃への強い愛情。
俺は深く息を吸い込み、愛用のストラトキャスターのネックを握り直した。
「……じゃあ、ちょっとだけ」
俺は目を閉じ、指を滑らせた。
今の俺のギターに乗っているのは、雪乃への甘く、切なく、そして少しだけ独占欲の混じった『極上のエモさ』だった。
ギュィィィン……と、むせび泣くようなチョーキング。
そして、高音弦へ向かって指を滑らせる、色気のあるスライド奏法。
俺は完全に自分の世界に入り込み、かつてないほど気持ちよく音を紡ぎ出していた。
この音が画面の向こうの何千人ものリスナーに向けて配信されていることなど忘れ、目の前にいる『たった一人の彼女』に向けて。
***
(アァァァァァァァァァァァァッ!!!!!)
カメラの死角となるベッドの上で、私――氷室雪乃の脳内は、完全にビッグバンを起こし、もはや宇宙のチリと化していた。
両手で口元を覆い、マイクに音が入らないギリギリのラインで足をバタバタさせながら、私は目の前で繰り広げられる『推しの演奏』に全身の細胞を焼かれていた。
(何いまの音!? なに今の運指!? 文化祭の時よりも、もっと甘くて、もっと色気があって……っ! 私への愛が音符になって飛んできてる! コレ、鼓膜が妊娠しちゃうんじゃないっ!!)
湊が目を閉じ、恍惚とした表情でギターを弾いている。
その分厚い『タコ指』が、艶かしく弦を滑り、ギュッと押し込まれるたびに、私の心臓が破裂しそうになる。
(あああああダメ! こんなエッチな音色、私以外の有象無象の女に聴かせたくない! 今すぐ配信を切って私だけのものにしたいぃぃ! ……でも、私の神様のすごさを全世界に見せつけたいぃぃ! 葛藤! 葛藤! う~ん、葛藤!!)
ただでさえ推しの生音を至近距離で浴びているというのに、それが「両思いになった彼氏からの愛の籠もったソロ」だなんて、そんなの彼女として独り占めしたいに決まっているじゃない。
でも、専属マネージャーとして湊の配信活動を完璧に取り仕切ってあげるって約束もしちゃったし……。
そんな私の葛藤なんて知る由もなく、湊の左手が高音のフレットに向かって、これ以上ないほどエモーショナルなスライド奏法をキメた、その瞬間。
プツンッ、と。
私の中で、ギリギリ持ち堪えていた『専属マネージャーとしての理性』の糸が、完全に千切れる音がした。
「はぁっ……!」
気づけば、無意識のうちに私の口から、限界オタク特有の熱い吐息が漏れていた。
『マイクが音を拾ってしまうので、無闇に声を出してはいけない』
そんな配信の基本中の基本ルールすら、完全に彼方に吹き飛んでしまっていた。
「尊いっ……!」
湊のタコ指が、激しく弦を揺らす。
「あぁぁっ……今の運指、えっちすぎるぅぅ……っ!」
私はベッドの上にあったクッションを渾身の力で抱きしめ、顔を埋めながら、ついに禁断の奇声を上げてしまった。
「無理っ! 好きぃぃぃぃぃぃっ!!」
***
ギュィィィン……と、最高に気持ちのいいチョーキングを決めていた、その時だった。
「――今の運指、えっちすぎるぅぅ……っ! 無理っ! 好きぃぃぃぃぃぃっ!!」
「ブフォッ!?」
突然、信じられないほどはっきりとした『熱い吐息と奇声』が響き渡り、俺の指は盛大に弦から滑り落ちた。
ビシャァァンッ! と不協和音が鳴り響き、演奏が強制終了する。
「な、なな、なんだ今の!?」
俺は冷や汗を吹き出しながら、ガバッと顔をあげた。
カメラの死角であるベッドの上。
そこには、有能なマネージャーの面影など一ミリもなく、クッションに顔を埋めて「はぁはぁ、尊い、湊しゅきぃ……」と完全にイってしまっている限界オタクの姿があった。
(ゆ、雪乃ぉぉぉぉぉぉっ!!)
俺は声にならない悲鳴を上げた。
お前、俺が高音質のマイクを設定してくれって頼んだ時に、「もちろん、吐息一つ逃さない最高級のコンデンサーマイクを用意したわ」って胸を張ってたよな!?
そのマイク、音を拾う範囲が広すぎて、お前がいる位置くらいなら、声をバッチリ拾っちゃう設定になったままだぞ!!
(やばい! 放送事故だ! 完全にやらかした!)
俺は顔面から火が出るほどの羞恥と焦りでパニックになり、恐る恐るパソコンのモニターに目を向けた。
つい数秒前まで、『神!』『エモすぎ!』と大絶賛で滝のように流れていたコメント欄。
それが今、不自然なほどピタッ、と完全に停止していた。
まるで、嵐の前の静けさのように。
(お、終わっ……)
俺が絶望の淵でごくりと唾を飲み込んだ、次の瞬間。
沈黙していたコメント欄が、かつてない速度と勢いで、画面を埋め尽くすように大爆発を起こすのだった。




