第34話 専属マネージャーの野望
放課後。
夕日が差し込む俺の部屋のベッドの上で、氷室雪乃が我が物顔でゴロゴロと転がっていた。
「……なぁ。お前、最近俺の部屋に入り浸りすぎじゃないか?」
俺が呆れたように言うと、雪乃はクッションを抱きしめたまま、ゴロンとこちらを向いた。
「何よ。幼なじみで、しかも彼女なんだから、彼氏の部屋に遊びに来て何が悪いわけ?」
「悪くはないけど……お前の親とか、何も言わないのかよ」
「『あらあら、湊くんのところなら安心ねぇ。変な虫がつかないようにしっかり監視してきなさいな』って、母さん公認よ。おばさんもさっき『ゆっくりしていってね〜』って言ってたし」
完全に外堀を埋められている。
文化祭での『公開処刑&告白』を経て、晴れて恋人同士になって以来、雪乃は学校でも家でも、俺へのデレと独占欲を隠そうとしなくなった。
氷の女王の面影は、俺に近づこうとする泥棒猫を威圧する時にしか発動されず、俺の前では完全に『限界オタク』の仮面が剥がれた彼女として君臨している。
「はぁ……。まあ、いいけどさ」
俺はため息をつき、部屋の隅に立てかけられた愛用のストラトキャスターに目をやった。
文化祭のステージで、俺の全力を引き出してくれた相棒。
「……陽向との約束も果たした、『Kanato』だって正体もバレちゃったしな……」
俺はギターのネックをそっと撫でながら、ぽつりと呟いた。
「もう人前で弾くこともないだろうし、このギターも、そろそろ押し入れに……」
バサッ!!
俺が言い終わるか終わらないかのうちに、ベッドから猛烈な勢いで雪乃が跳ね起きた。
「……却下よ」
「えっ?」
「絶対、完全、問答無用で却下!!」
雪乃はベッドから飛び降り、ものすごい剣幕で俺に詰め寄ってきた。
「私が大好きな神様の音を、世界から隠して押し入れに封印するなんて、人類にとって重大な損失よ! ギルティ! 万死に値するわ!」
「いや、人類って主語デカすぎだろ……俺はただの陰キャで……」
「それに!」
雪乃は、俺のジャージの袖をキュッと掴んだ。
そして、顔を赤らめながら、少しだけ上目遣いで俺の顔を覗き込んでくる。
「私のためだけに弾くって、あの時言ってくれたじゃない……。あれ、嘘だったの……?」
「うっ……」
――卑怯だ。
普段は高飛車な女王が、ここぞというタイミングで繰り出す『上目遣い&袖引き』コンボ。
こんなあざとすぎる攻撃、陰キャの俺に耐えられるわけがない。
「う、嘘じゃないけど……でも、もう人前で弾く機会なんてないだろ? 部活に入ってるわけでもないし……」
「――あるわよ。絶好の機会が」
雪乃は、ニヤリと肉食獣のような笑みを浮かべた。
「……『Kanato』の配信活動、再開しましょ」
「はぁっ!?」
俺は素っ頓狂な声を上げた。
「いやいやいや! 無理だろ! 自分で言うのもなんだけど、例の文化祭のせいで、今ネットでめっちゃ注目されてるんだぞ!? 今更ノコノコ出て行ったら、もっと騒ぎが大きくなるだろっ!」
「大丈夫よ」
「それに俺、コメントの対応とかできないし、それ以前に撮影とか編集はどうする――」
「だから、私が『専属マネージャー』になるのよ」
雪乃は、自信満々にふんすと胸を張った。
「カメラの画角のセッティング。顔バレを防ぐための手元だけを映すアングルの調整。アカウントの管理から、荒らしコメントの監視とブロック、身バレ防止の徹底……全部、この私が完璧に取り仕切ってあげるわ」
「……お、お前が?」
「ええ。あんたはただ、この部屋で、私のために最高のギターを弾いてくれればいいの。あとの煩わしいことは全部、せいさ……ゴホン、マネージャーである私が責任を持つわ」
一部、不穏な言葉が聞こえた気がするが、あまりにも完璧なプレゼンだった。
そして、なにより可愛い彼女からの提案だ。
雪乃がそこまでやってくれるなら、彼氏として無下に断ることもできない……と気持ちが傾きかけていたのである。
***
(――よーっし、計画通り!)
私――氷室雪乃は、湊が「う~ん……」と頷きかけているのを見て、内心で盛大なガッツポーズを決めていた。
私が湊の配信再開を猛プッシュしたのには、当然、裏の目的がある。
(湊が自室で弾く生音を、カメラの裏側で、一番近くで独り占めできる! 最高の音質で湊の息遣いやタコ指の動きを堪能できる!!)
これは、限界オタクとして何物にも代えがたい特権だ。
だが、それだけではない。
『Kanato』が配信を再開すれば、間違いなく多くの新規リスナー……その中には、湊の音や手元に惹かれる女性ファンたちが大量に湧いてくるはずだ。
(ネットの有象無象の泥棒猫ども。あんたたちが画面越しにキャーキャー言っているその神様のすぐ側で、生音を浴びられるのはこの私だけなのよ!!)
そう、これこそが最古参の限界オタクである証明であり、正妻にしか許されない、究極のマウント行為。ネットの視聴者たちに対して、『この神の隣にいるのは私よ』という圧倒的な優越感に浸りながら、合法的にオタ活を満喫する。
これぞ、最強のオタ活&正妻マウントなのだ!
***
(……なんか、雪乃の目がギラギラしてて怖いんだけど)
俺は、どこか遠くを見つめながら口元をニタァーと歪めている彼女を見て、一抹の不安を覚えた。
だが、雪乃の「私のためだけに弾いて」という上目遣いと、俺のギターを誰よりも高く評価してくれているその想いに、逆らえるはずもなかった。
「……はぁ。わかったよ」
俺は後頭部を掻きながら、小さくため息を吐いた。
「お前がそこまで言うなら。……少しだけ配信、やってみるか」
「本当っ!? やったぁぁっ!!」
雪乃が歓喜の声を上げ、俺の首に思い切り飛びついてきた。
「うおっ、ちょ、危ないって!」
「さっそく準備するわよ! カメラの位置はここ! 背景に私物が映らないように角度調整して! あ、その前に湊のタコ指のコンディションを保水クリームで――」
雪乃は、オタク特有の行動力をフル稼働させ、あっという間に俺の部屋を『配信用スタジオ』へと作り変えていく。
「……なあ雪乃」
「何?」
「炎上とか、しないよな?」
「するに決まってるでしょ♡」
「……は?」
ネットの伝説ギタリスト『Kanato』と、最強の限界オタク兼・正妻マネージャー『氷室雪乃』。
この二人がタッグを組んだ配信が、ネットの海にどれほどのバズと炎上を、そして甘すぎる騒動を巻き起こすことになるのか。
この時の俺は、まるで知る由もなく、新たな戦いの日々が、今ここに幕を開けたのだった。




