第32話 手作り弁当と、胃薬の行方
朝の衝撃が少し落ち着いた昼休み。
午前中の休憩時間は、控えめに言って地獄だった。
「なあ影山! お前マジであのKanatoだったのかよ!」
「動画見たぜ! ギターすげえな、今度俺のバンドにもサポート入ってくれよ!」
「影山くん、氷室さんとはいつから付き合ってるの!?」
チャイムが鳴るたびに、他クラスからも野次馬が押し寄せ、俺の席は何時にない賑わいを見せていた。
陰キャとして空気のように生きてきた俺にとって、この陽キャ特有の過剰なコミュニケーションはHPを容赦なくゴリゴリと削っていく。
「い、いや、ギターはたまたま弾けただけで……サポートとかはもうやらないし……」
俺が冷や汗をダラダラと流しながら引きつった笑いを浮かべていると。
「――ちょっと」
教室の空気を一瞬で凍結させる、絶対零度の声が響いた。
群がる野次馬たちが、ビクゥッ! と肩を震わせて道をあける。
そこには、シベリアの冷気のような冷ややかな眼差しで、俺を囲む連中を睨みつける氷室雪乃の姿があった。
「あんたたち。……私の湊に、気安く話しかけないでくれる?」
「ひっ……!」
氷の女王の、圧倒的な正妻マウント。
その一切の隙も許さない凄まじい殺気に、女子はもちろん、野次馬の男子たちですら「わ、わりぃ」「またな、影山」と蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
雪乃の『氷の女王ムーブ』は健在だった。
だが、以前のように俺を遠ざけるための壁ではなく、今は完全に『自分の推しを泥棒猫や有象無象から保護するための防波堤』へとシフトしているのだ。
「た、助かった雪乃……。マジでヤバかった」
「ふんっ。あんたは無防備すぎるのよ。私が監視してないと、すぐメス猫たちにたぶらかされるんだから」
雪乃はツンとした態度で俺の前の席に座り、コトン、と机の上に大きな包みを置いた。
「はい、これ」
「ん? なんだこれ」
雪乃が風呂敷を解くと、そこから現れたのは、およそ高校生の昼休みには不釣り合いな、豪華絢爛な『三段重の手作り弁当』だった。
「ええっ!? お前、これ作ってきたのか!?」
「当たり前でしょ。私のためにギターを奏でてくれる大事な指なんだから。タコ指の疲労回復に効く、ビタミンB群とタンパク質たっぷりの特製弁当よ」
「いや、重箱って……。おせち料理か―—.」
「ストップ、湊! 余計なツッコミは止めて......今までみたいに余計な口撃をしちゃいそう......」
「お、おう......」
俺がドン引きしていると、雪乃は重箱のフタを開け、美しく巻かれた出汁巻き卵を箸でつまみ上げた。
そして、あろうことか、俺の口元へとスッと差し出してきた。
「はい、あーん」
「はっ!?」
いきなりの『あーん攻撃』に、俺は顔から火が出そうになり、周囲をキョロキョロと見回した。
遠巻きに見ているクラスメイトたちが、「えっ、氷室さんが影山に『あーん』してる……」「世界がバグったのか?」とザワザワしている。
「ゆ、雪乃! 自分で食えるから! 恥ずかしいだろ!」
「ダメよ。あんたの右手は今、大事な休憩時間なんだから。ほら、早く口開けなさい」
「いや、でも……っ」
俺が必死に抵抗していると、雪乃が「……ダメ、なの?」と、上目遣いで、少しだけ潤んだ瞳を向けてきた。
「うっ……」
――卑怯だ。そのあざとすぎる破壊力に、俺が逆らえるわけがない。
「…………あ、あーん」
俺は羞恥心で死にそうになりながらも、観念して口を開け、雪乃の差し出した卵焼きをパクリと食べた。
うん、出汁が効いていて、めちゃくちゃ美味い。
「……どう?」
「お、おう。すごく美味い。」
「そう。よかったわ」
雪乃は表面上はフッと得意げに微笑み、平然と次の唐揚げを箸でつまんでいた。
***
(アァァァァァァァァァッ!! 尊いぃぃぃっ!!)
表面上こそクールな『世話焼き彼女』を完璧に演じていた私――氷室雪乃だが、その脳内はビッグバンを起こして宇宙の果てまで飛んでいっていた。
(私の作った卵焼きを! 湊が! モグモグしてるぅぅぅっ!!)
少し恥ずかしそうに目を伏せながら、咀嚼する湊の顔。動く喉仏。
ただご飯を食べているだけなのに、どうしてこんなにエッチで可愛いのだろうか。
(モグモグしてる咀嚼音すら神! ていうか今の「あーん」の動画回しておけばよかった! せめて録音したい! 高音質マイクでASMRとして永久保存すべしっ!!)
私は、ニヤけそうになる頬の筋肉を全集中で押さえつけながら、次々と手作りのおかずを湊の口へと運んでいく。
周囲のクラスメイトたちが驚愕の視線を向けてきているが、そんなものはどうでもいい。
この神様は、私だけのものだ。
誰にも触らせない。私が一生、このタコ指を甘やかして、お世話してあげるんだから。
「ほら、湊。次は唐揚げよ。口開けて」
「も、もう自分で食うってば……っ」
真っ赤になって抵抗する推しに、私はオタク特有の極彩色に輝く欲望を隠し持ちながら、最高に幸せな昼休みを堪能していた。
***
(…………はぁ)
その向かいの席。
購買で買ったメロンパンをモソモソとかじる私――結城澪は、死んだ魚のような目で、目の前の光景を見つめていた。
昨日までの、あのヒリヒリするような『両片思いのすれ違い爆弾』は、文化祭のライブを経て、無事に解除(?)、いや爆発・処理された。
親友の雪乃は、泥棒猫への嫉妬という長年の呪縛から解放され、ついに大好きな幼なじみと結ばれた。
それは、親友として心の底から喜ばしいことで、私も心の中でスタンディングオベーションを送ったのだが......。
(人間関係のすれ違いが処理されたと思ったら。今度は目の前で繰り広げられる『糖度の暴力』で、別の意味で胃が痛いわ)
私は、メロンパンを飲み込みながら、ジト目で目の前のバカップルを睨みつけた。
「ほら湊、口元にソースついてるわよ」
「わっ、自分で拭くから!」
「いいから大人しくしてなさい。……はい、綺麗になった」
「……サンキュ」
(……こいつら、私が目の前に座ってること忘れてない? 完全に二人だけの世界じゃん。もうバリバリのATフィールド全開で、私の存在なんて完全に『背景《モブA》』として処理されてるじゃん!)
雪乃のやつ、「初めてで少し怖いから付いてきて」って言うから、わざわざ来てやったらこの扱い。ひどくない?
でも、クールな顔して影山君の口元をハンカチで拭いているが、テーブルの下では興奮のあまり足の指がギュッと丸まっているのを、私は見逃していないから。
(……ったくこのバカ女。昨日のライブの後、『もう澪に心配させないからっ!』って泣きながら抱きついてきたくせに)
私は、ブレザーのポケットに手を入れた。
昨日の文化祭のステージ袖で、「もう出番はない」とゴミ箱に捨てた特大ボトルの胃薬。
(……まさかと思って取っておいた予備の2錠。さっそく使う羽目になるとはね)
私はパッケージの封を切り、胃薬を強く握り締めた。
目の前では、雪乃が「次はタコさんウインナーよ。あーん」と更なる糖度を垂れ流している。
(……これからの高校生活、思いやられるわね……でも、まあ、二人が幸せそうなら、それでいいか......)
私は天井を仰ぎ、甘ったるいバカップルの空気に対するせめてもの抵抗として―—錠剤の胃薬を口の中へ放り込み、水もなしにゴクンと飲み下したのだった。




