第31話 氷の女王の公開デレ
文化祭ライブから週末をまたいだ月曜の朝。
ライブとその後に起こった告白劇の余韻が抜けきらない俺――影山湊は、まるで死地へと向かう囚人のように重い足取りで通学路を歩いていた。
(……休みたい。マジで学校行きたくない)
胃の辺りがキリキリと痛み、ため息ばかりが漏れる。
先日の後夜祭ライブ。俺はボーカルの翔太のピンチを救うため、あろうことか全校生徒の前で、あの『中二病全開の黒歴史ソング』を全力で披露してしまった。
ネット上で『一夜で消えた幻の神ギタリスト・Kanato』として神格化されていた正体が、いつも教室の隅で俯いているだけの陰キャであることが、完全に露呈してしまったのだ。
(SNSのトレンドにライブの動画が上がってたし……絶対、学校中から好奇の目で見られるだろうな……。俺の静かな日陰者ライフは完全に終わったな……)
社会的な死の余韻をズルズルと引きずりながら、それでもなんとか校門前まで辿り着いた瞬間、俺の予感は最悪の形で的中することになる。
「おい、見ろよ……あいつじゃないか?」
「マジかよ、いつも端っこにいる奴じゃねぇの……」
「あれがネットの神様のKanato!? 嘘でしょ、全然雰囲気違くない?」
「でもあのギターヤバかったし! 動画バズりまくってるし!」
校門付近に居合わせた生徒たちが、登校してきた俺の姿を見つけるなり、一斉にヒソヒソと――いや、はっきりと聞こえる声で噂し始めた。
遠巻きに向けられる、無数の好奇の視線。
「おい動画撮れって! KanatoだぞKanato!」
スマホのレンズが、一斉にこちらを向く。
(うわぁぁぁっ……最悪だ! 今すぐ帰って、そのまま引きこもりたい!)
俺は居心地の悪さを感じながら、首をすくめて、そそくさと校門を通り抜けようとした。
どうか誰も話しかけてこないでくれ。空気と同化させてくれ。
そう祈りながらうつむき加減で足早に歩を進めた、その時。
ヒソヒソとしたざわめきが、フッと一瞬だけ鳴りを潜めた。
「――遅いわよ、湊」
周囲の喧騒をピシャリと凍りつかせるような、透き通った、けれど圧倒的な冷気を纏った声が響いたのだ。
声がした方を見ると、校舎への入り口付近の目立つ場所で、腕を組んで壁に寄りかかっている少女の姿があった。
透き通るようなアッシュグレーの髪に、完璧に整った美貌。
シベリアの永久凍土のようなオーラを放ち、周囲の生徒を無意識のうちに後ずさりさせている『氷の女王』――俺の幼なじみであり、恋人になったばかりの、氷室雪乃だった。
「ゆ、雪乃……?」
俺が足を止めると、雪乃は腕組みを解き、カツン、とローファーを鳴らしてこちらへ歩み寄ってきた。
その堂々たる歩みに、周囲の生徒たちが「ひっ、氷室さんだ……」「相変わらず影山くんに冷たいな」「また説教か?」と道を開ける。
先日のライブ終わり、誰もいない教室で幼なじみ、兼限界オタクとしての愛をぶちまけられ、付き合うことになった俺たちだが……学校では今まで通り『塩対応の腐れ縁』を装うのだろうか。
俺がそんな風に身構えていると。
スッ。
雪乃は俺の真横に立つなり、あろうことか、俺の左腕に自分の両腕を回し、ギュッと抱きついてきたのだ。
「――は?」
俺の思考が停止した。
腕に伝わってくる、信じられないほど柔らかい感触と甘い香り。
雪乃はそのまま、俺の左手――硬い『タコ』ができた指先に、自分の細い指を絡めて、恋人繋ぎでギュッと手を握りしめてきた。
「ちょっ、雪乃!? お前、何やって……人が、みんな見てるって!」
俺はパニックになり、顔を真っ赤にして小声で叫んだ。
しかし雪乃は、俺から離れるどころか、さらに身を寄せてくる。
「何言ってるのよ」
雪乃は、ほんのりと頬を赤く上気させながら、潤んだ瞳でこちらを見上げた。
そして、あざとさ全開の、とろけるような甘い上目遣いで言い放った。
「恋人同士なんだから、くっついて登校するのは当然でしょ♡ ――それとも、隠したい理由でもあるの?」
「…………っ!!」
俺の顔面が沸騰した。
同時に。
『ええええええええええええええええええっ!?!?!?』
周囲を囲んでいた全校生徒の、絶叫とも悲鳴ともつかない声が、校門前に響きわたった。
「あ、あの氷室さんがデレた!?」
「腕組んでる!? 恋人!? どういう関係!?」
「いや、でも影山くん神ギタリストだし! そういうことなのか!?」
「嘘だろ俺の氷の女王がぁぁっ!!」
モブたちの顎が外れ、スマホが地面に落ち、そこかしこで阿鼻叫喚のパニックが巻き起こっている。
「お、おい雪乃! お前、氷の女王キャラはどうしたんだよ! 今まで『気安く話しかけないで』とか言ってたのに!」
「そんな仮面、もう要らないでしょ。……これからは、ずっとこうしてあげる♡」
俺が焦って腕を引こうとしても、雪乃は絶対に離そうとしない。
むしろ、周囲の騒ぎをどこ吹く風と受け流し、俺の腕に頬ずりするようにして微笑んでいるのだった。
***
(アァァァァァァァァッ!! 湊の腕! 湊のタコ指の感触! 最高! このまま尊死したいっ!)
私――氷室雪乃は、湊の腕に抱きつきながら、脳内で極彩色の花火を打ち上げていた。
表面上は『少し照れながらも大胆にアピールする可愛い彼女』を完璧に演じているが、氷の仮面を脱ぎ捨てた私の本性――限界オタク雪乃は、かつてないほどの歓喜で精神崩壊の一歩手前にあった。
(ずっと……ずっとやりたかったのよこれ! 私が! 湊の神ギターを一番近くで浴びてきた、最古参の限界オタクなんだから!)
私は、湊の腕にすりすりと頬を寄せながら、チラリと周囲の生徒たちに冷たい視線を流した。
特に、湊が『Kanato』だと知って、急に顔を赤らめてこちらを見ている軽音部のメス猫――某相沢なにがし――や、好奇の目を向ける泥棒猫予備軍の女子たちに向けて。
(よく見なさい、泥棒猫ども。この神様は、私のものよ! あんたたちみたいな“にわか”が、気安く話しかけたり、近づいたりすることなんて、絶対に許さないんだから!)
圧倒的な優越感。そして、正妻としてのマウント。
つい先日までの『嫌われているかも』という不安が嘘のように消え去り、推しと両思いであるという事実が、私の幸福度を宇宙の果てまで限界突破させていく。
「さあ、行くわよっ、湊」
「えっ、ちょ、引っ張るな! みんな変な目で見てるだろっ!」
「何言ってるのよ。私の『専属ギタリスト』さんが、こんなところでコソコソ隠れてる場合じゃないでしょ?」
顔を真っ赤にして慌てふためく、世界一愛おしい私の幼なじみ。
私は湊のタコ指をギュッと強く握りしめ、彼の腕を引いて、堂々と校舎への道を歩き出した。
もう、すれ違いも、塩対応の嘘も必要ない。
ここからは、最強の限界オタクである私が、湊をプロデュースし、湊を愛し抜く、甘くて楽しい日々の始まりなのだから。




