第30話 限界オタクの愛の告白
ドンッ!!
旧校舎の誰もいない空き教室。
夕闇が迫る薄暗い空間に、背中を強く打ち付けられた鈍い音が響いた。
「いっ……!」
肺の空気が一瞬で押し出され、呼吸が詰まる。
ヘタレ陰キャな俺――影山湊は、壁際まで力ずくで押し込まれていた。
目の前には、俺の両脇の壁にドンッ、と両手をつき、逃げ場を完全に塞いでいる氷室雪乃の姿があった。
いやゆる『壁ドン』状態。
だが、俺の心にときめきなど微塵もない。あるのは、絶対的な断罪の恐怖だけだった。
(……終わった。俺の黒歴史を雪乃の目の前、しかも全校生徒が注目するステージで熱唱したことへの、極刑が下される……っ!)
雪乃は、俯いたまま前髪で表情を隠し、肩を小刻みに震わせている。
あんな痛い中二病ラブソングを自己顕示欲を満たすように歌い狂っていたことに、心の底からドン引きして、幻滅しているに違いない。
「ち、違うんだ雪乃!」
俺は目を固く瞑り、必死で弁明の言葉を口走った。
「あれは翔太の喉が潰れたから仕方なく歌っただけで! 目立ちたかったわけでもないし、あんな痛い曲、お前に向けて歌ったとかじゃ絶対なくて……!」
――ピシッ。
俺が自己保身のために放ったその最後の一言が、雪乃の中の『感情のダム』を完全に決壊させた。
「……嘘つき」
震える声が、空き教室にそっと落とされた。
恐る恐る目を開けると。
氷の女王は、俺を睨みつけながら、その大きな瞳からボロボロと大粒の涙をこぼしていた。
「え……? ゆ、雪乃……?」
なぜ泣いているんだ。
俺が訳も分からず固まっていると、雪乃は壁を殴るようにして叫んだ。
「なんで隠すのよ、バカッ!! 『夕暮れのブランコ』も、『泣き虫な君』も……! 全部、私とのことじゃない! あんたが、私のために作った曲なんでしょ!?」
「な、なんで……お前が、それを……」
「わかるに決まってるでしょ!! 私が! ずっと前から、あんたの一番のファンだったんだから!!」
「……はい?」
俺の脳髄が、理解を拒絶してショートした。
一番のファン――?
今、目の前の美少女は、なんと言った?
「あの日に投稿された動画。すぐにローカル保存した……。 それから毎日毎日、何千回も聴いてたんだから、あんたの指の癖も、弾き方も、全部わかってんのよぉっ!!」
「えっ、ちょ、ちょっと待て……!?」
雪乃の口から、今までひた隠しにしてきた『裏の顔』が、怒涛の勢いでぶちまけられていく。
「私、中学の時、一人ぼっちになって、あんたにも『腐れ縁だから話しかけないで』って酷いこと言った……。誰も信じられなくて、ずっと真っ暗な部屋で一人で泣いてたの」
雪乃の声が、嗚咽に変わる。
「でも、あの日。あの配信を見つけて、すぐに気付いたの。……不器用で、必死で、魂削ってるみたいな、あんたの音に、私、命を救われたのよ……っ」
俺は、雷に打たれたように立ち尽くした。
俺が、たった一ミリの可能性に賭けて、ネットの海に放った、あのラブソング。
それは、ちゃんと一番届けたかった相手に、届いていたのだ。
「私を救ってくれたのは、あんたのギターだったのよ!!」
ボロボロと大粒の涙をこぼしながら、雪乃が声を荒らげて叫ぶ。
「でも私、あんな酷いこと言ったから……。あんたがあんなに熱のこもった曲を作ったのは、別の女を好きになったからだと思って……」
「泥棒猫って……お前、俺が他のやつに向けてあの曲を作ったと思ってたのか?」
「だって、あんた何も言ってくれないじゃない! 私が突き放したから、嫌われたと思って……っ!」
「当たり前だろ!!」
俺もたまらず、今まで溜め込んでいた感情を怒鳴り返していた。
「あんな冷たくあしらわれて、自分から『お前への曲だ』なんて言い出せるわけないだろ!」
「っ……!」
「お前を元気づけたくて、でも気の利いた言葉なんて見つからない……。だから、せめて曲を……お前に届けばいいって、それだけで作ったんだよ!」
静まり返った空き教室に、俺の叫びが響き渡る。
荒い息を吐きながら睨み合う、俺と雪乃。
お互いがお互いを思って、勝手に絶望し、勝手に嫉妬して。どうしようもないほど遠回りをしてきた、不器用すぎる感情の衝突。
ポロポロと涙を流していた雪乃は、やがて、顔をくしゃくしゃに歪ませた。
「っ……ばかぁっ……! 湊のばかぁぁぁっ!!」
雪乃は、俺の胸にドンッ! と顔を押し付け、俺の制服をギュッと強く握りしめた。
「遅い、遅いのよ……! 私がどれだけ、嫉妬で狂いそうだったか……っ! 毎日あの曲聴いて、タコ指見て、どれだけ限界化してたか……っ!」
「悪かったよ。……俺も、ずっとお前に嫌われてると思って、勝手に諦めてた」
俺は、胸の中で泣きじゃくる雪乃の背中に、そっと腕を回した。
夕闇の空き教室。
遠くから、後夜祭の熱狂の音が微かに聞こえてくる。
長すぎた氷の季節が終わり、俺たちはようやく、お互いの本当の体温に触れることができたのだ。
***
しばらくして。
ようやく泣き止んだ雪乃が、俺の腕の中でモゾモゾと動いた。
そして、まだ少し赤い目で俺を見上げ、鼻をすする。
「……で」
「ん?」
「ネットで大バズりしてるこの『Kanato降臨』の騒動、どう落とし前つける気?」
俺のポケットの中で、さっきからブーブーと鳴り止まないスマホ。
雪乃の言葉に、俺は一気に現実に引き戻された。
「……今日でギター辞めて、引退するはずだったのに」
ため息をつく俺の言葉に、雪乃がビクッと肩を震わせた。
「……辞めるの?」
雪乃が、俺の左手――硬いタコができた指先をギュッと握りしめ、縋るような、今にも泣き出しそうな瞳で見上げてくる。
それは、推しの引退を宣告された限界オタクの絶望の顔なのか、それとも……。
「……人前で弾くのは、もう十分だ。もともと、望んでた訳でもなかったしな」
「っ……」
雪乃が、目に見えてシュンと落ち込み、握りしめた俺の指先を名残惜しそうに撫でる。
俺は、そんな雪乃の手を、優しく握り返した。
「でも」
「え?」
「……お前が聴きたいって言うなら、いくらでも弾いてやるよ」
俺の言葉に、雪乃の瞳が、これ以上ないほど大きく見開かれた。
「……っ! ほ、ほんとに!?」
「ああ。泥棒猫なんていないって、証明しなきゃいけないしな。……だから、泣くのはもうやめろ」
その瞬間。
「〜〜〜っ! 無理! 好き! 尊い! 神様が私だけのギタリストになるとか、致死量超えてるぅぅっ!!」
氷の女王の面影は完全に消え去り。
最強の限界オタクが完全復活を遂げて、俺の首に思い切り抱きついてきた。
「ちょっ、お前、声でかいって! 外に聞こえる!」
「いいもん! 湊は私のなんだから! 一生そのタコ指で、私のためだけにギター弾かせるんだからね!!」
夕闇の中、二人のシルエットが一つに重なる。
ネットの伝説は、現実の騒動を引き連れて、これから俺たちをどんなカオスな日常へと巻き込んでいくのだろうか。
だが、もう怖くはなかった。
塩対応の幼なじみは、世界で一番俺を愛してくれる、最強の限界オタクだったのだから。
(第一章・完結/第二章へ続く)




