第28話 伝説の復活
機械音と共に、ついに分厚い緞帳が上がり切った。
「キャアアアアッ! 翔太く――えっ?」
「……誰、あれ」
体育館を揺るがしていた大歓声が、ピタリ、と不自然に止まった。
何百人という全校生徒の視線が、ステージの中央に注がれ、そして誰もが困惑の色を浮かべている。
無理もない。
センターマイクの前に立っているのは、誰もが期待していたカースト上位のイケメン・陽向翔太ではなく、いつも校舎の隅で俯いている、日陰者の機材係だったのだから。
翔太はステージの端で、俺を支えるようにギターを構えている。
客席からの「なんであいつが真ん中にいるの?」「翔太くんは?」という怪訝なヒソヒソ声が、冷たい刃のように俺の肌を刺した。
最前列のど真ん中にいる雪乃も、信じられないものを見るように目を丸くして、俺を見上げている。
逃げたい。
今すぐギターを放り出して、この場から消え去りたい。
だが、俺の背後には、涙を拭って前を向いた相棒と、腹を括ったベースの仲間がいる。
(……もういい)
俺は、深く息を吸い込んだ。
社会的な死? 普通の高校生活の終わり?
そんなもの、もうどうでもいい。
俺の初恋も、俺の黒歴史も、今日ここですべて燃やし尽くしてやる。
(全部バレてでも、俺の全てを、叩きつけてやる……!)
逃げの物語が、解放の物語へと反転した瞬間――。
俺は、アンプのボリュームをフルテンに回し、愛用のストラトキャスターを思い切り掻き鳴らした。
ギュイィィィィィンッ!!!!
鼓膜を劈くような、圧倒的な轟音が体育館を支配した。
弾き始めたのは、あの『伝説の中二病ラブソング』。
綺麗にまとめるつもりなんてない。
雪乃への重すぎる想いと、いま感じているもの全てを、左手の運指と右手のストロークにぶち込んだ、圧倒的な奔流、暴力的なまでの魂の音色。
***
客席の中央付近。
軽音部でボーカルを務める相沢は、ステージの真ん中に立つ地味な男子生徒を見て、落胆の溜め息を吐いていた。
「なんで影山くんが? 翔太くん喉壊したのかな。なんか最悪……」
だが、その直後。
スピーカーから放たれた『最初の一音』を聴いた瞬間、相沢の全身の産毛が総毛立ち、ゾワッ! と強烈な鳥肌が走った。
「……えっ?」
荒々しく、けれど緻密に計算されたディストーションサウンド。
ライトハンドへの淀みない移行。
感情が剥き出しになった、むせび泣くようなチョーキング。
その規格外の音圧と独特の『手癖』に、相沢の脳裏に稲妻のような記憶がフラッシュバックした。
中学時代。ギターの練習に行き詰まり、自分の才能に見切りをつけようとしていた夜。
偶然ネットで聴いてしまい、圧倒的な実力差に絶望すら覚えた、あの幻の動画。
「……嘘でしょ。私、この音……知ってる……Kanatoだ」
相沢の震える手から、持っていたペンライトが滑り落ちた。
あれはただの幻想じゃなかった。機材係の地味な彼が、まさか。
「……あの時の神様が、目の前にいる……!」
周囲の生徒たちの困惑を尻目に、相沢だけは呼吸を忘れ、ステージから目を離せなかった。
自分が音楽の才能に見切りをつけようとした夜に聴いた、あの圧倒的で残酷な音が、今、目の前で鳴っている。
彼女と同じように、かつてネットでその伝説を耳にしたことのある生徒たちが、次々と青ざめた顔でステージを指差し始めた。
「おい、この曲……!」
「あの幻の神曲じゃん!」
「なんで影山が弾いてんだよ!?」
***
『――凍てついた君の心、俺の六弦で溶かしてやるよ』
俺は、マイクに噛み付くようにして歌い始めた。
翔太のような、誰もを惹きつけるカリスマ性のある声じゃない。
不器用で、泥臭くて、感情だけが先行した叫びのような歌声。
だが、その声は俺のギターの音色と完全に同化し、すさまじい熱量となって体育館の空気を震わせていた。
「ヤバいヤバいヤバい!!」
「本人降臨じゃん!! 撮れ、早く動画回せ!!」
客席のあちこちで、一斉に無数のスマートフォンが掲げられた。
フラッシュの光が、ステージ上の俺を容赦なく照らし出す。
ネットの伝説が現実になった瞬間に立ち会った生徒たちの、狂気じみた熱狂とバズの渦。
俺は歌いながら「ああ……俺の平穏な高校生活が、完全に終わっていく……」と内心でビクつきながら、半ばヤケクソになってさらに声を張り上げた。
だが、その喧騒と狂乱の嵐の中――。
――ただ一人だけ、全く違う次元の感情で俺を見つめている少女がいた。
***
(湊……っ。みなとぉ……っ!)
最前列のど真ん中。
氷室雪乃は、スマホを掲げることも、ペンライトを振ることもしなかった。
ただ両手で口元を強く覆い、大粒の涙をポロポロとこぼしながら、ステージで歌う湊の姿を食い入るように見つめていた。
『泣き虫な君へ』
『いつも強がってるくせに、本当は寂しがり屋な君へ』
全校生徒が「あの神曲だ!」と熱狂している中で、雪乃だけが知っている真実。
どん底の自分を救ってくれた神様が。
ずっと自分を案じてくれていた、不器用な幼なじみが。
今、全校生徒の前で、自分一人に向けた『愛の歌』を、命懸けで叫んでいる。
それがどれほどの恥辱を伴うものか、オタクである雪乃には痛いほどわかっていた。
それでも、湊は逃げずに、ステージの真ん中で歌ってくれている。
この曲のすべてが、私だけのものだ。
(……私の神様。私の……大好きな人……っ!)
限界を突破した愛情と尊さが、雪乃の理性を完全に吹き飛ばした。
曲がサビに入る前、一瞬の静寂――。
雪乃は、無意識のうちに、一人の観客という枠を超え、『ヒロイン』として、ステージに向かって一歩、大きく前へ踏み出していた。
「――湊……っ!!」
最前列の柵から身を乗り出し、ステージ上の俺に向かって、両手をいっぱいに伸ばす。
大歓声の轟音にかき消され、その声は俺の耳には届かなかった。
けれど、涙でぐしゃぐしゃになった雪乃の顔と、俺を求めるように伸ばされたその手のひらの熱だけは、確かに俺の網膜に焼き付いた。
俺は、伸ばされた雪乃の手に応えるように、ギターのネックを高く掲げ、最後のアウトロを限界のフルピッキングで弾き切った。
ジャァァァァァァァァァンッ!!!!!
残響音が体育館に吸い込まれ、一瞬の静寂の後。
鼓膜が破れるほどの、絶叫のような大歓声と拍手の嵐が巻き起こった。
ステージを真っ白に染め上げる、無数のスマホのフラッシュ。
「影山!」「Kanatoぉぉっ!!」と、地鳴りのような熱狂の中で俺の名前を叫ぶ声。
『公開処刑』として臨んだステージは、ただただ、目を灼くような光と鳴り止まない轟音の渦に飲み込まれたまま、幕を閉じた。




