第25話 神様へのカマかけ尋問
文化祭前日。
放課後の体育館は、明日の本番に向けた設営作業でごった返していた。
俺は、ステージ袖の薄暗いスペースにしゃがみ込み、マイクケーブルの巻き取り作業を黙々とこなしていた。
(いよいよ、明日か……)
昨日、買い出しの帰りに公園の前を通ってから、雪乃の様子が少しおかしかったことは気になるが、その後は特に何もなく、今日は朝からずっと裏方作業に追われている。
明日のライブ本番で、翔太の歌を全力で支える。
その目的のためだけに、今の俺はかつてないほど集中していた。
「――お疲れ様、機材係さん」
不意に、背後から甘く、それでいてどこか冷ややかな声が鼓膜を撫でた。
ビクッとして振り返ると、そこには雪乃が立っていた。
いつもの『氷の女王』らしい絶対零度のオーラ……かと思いきや、今日の彼女はどこか違う。
細められた瞳には、獲物を逃さない肉食獣のような、あるいは俺を試すような、妖艶でゾクッとするような光が宿っていた。
「ゆ、雪乃? なんだよ急に。今、明日の準備で忙しいんだけど」
「そう。でも、ちょっとだけ手、止めてくれる?」
雪乃は俺の隣にしゃがみ込むと、距離をスッと詰めてきた。
彼女のシャンプーの甘い香りがふわりと鼻腔をくすぐり、俺は思わず後ずさりそうになる。
「な、なんだよ。用があるなら早く言えよ」
「昨日、公園で昔の話をしたじゃない?」
「え? ああ……お前がブランコから落ちて泣いてたってやつか。あれがどうかしたのかよ」
俺がケーブルから手を離すと、雪乃はジッと俺の目を見つめながら、ゆっくりと口を開いた。
「それで思い出したんだけど。翔太くんがスタジオで流してた、Kanatoとかいう人の、あの『痛い曲』」
「――ッ!?」
ガタンッ!
俺の心臓が、肋骨を突き破るほどの勢いで跳ね上がり、思わず手からケーブルが滑り落ちる。
全身の毛穴から、ブワッと一気に冷や汗が噴き出した。
「な、なな、なんでいきなり、そ、その話……っ!?」
裏返った声が出た。黒歴史のフラッシュバックに、俺のHPは一瞬でレッドゾーンに突入する。
「だって、なんか不思議だなって思って」
雪乃は、俺の露骨な動揺を冷徹に、しかし内心では舐め回すように観察しながら、言葉を続ける。
「あの痛い歌詞の情景。……なんか、私たちの昔の思い出に似てない?」
「はっ!?」
「『夕暮れの公園のブランコ』とか。『泣き虫な君』とか。『いつも強がってるくせに、本当は寂しがり屋な君』とか……」
雪乃は一つ一つ、あの恥ずかしすぎる中二病ソングのフレーズを、俺の目を見つめながら鮮明に読み上げていく。
まるで公開処刑だ。やめてくれ。俺のライフは限りなくゼロに近づく。
「そ、そそ、そんなの! ありきたりな言葉がたまたま被っただけだろ! ああいうのよくあるし!」
「……よくある?」
「そ、そうだよ! 『泣き虫な君の、涙を拭って』とかさ! ああいうのって、適当に妄想で書いた痛い歌詞の定番っていうか!」
俺は必死に言い繕い、なんとかその場を切り抜けようと早口で捲し立てた。
「……ふーん、そう。まあ、そこまで否定するならいいけど」
(よ、よし……! 引いた、助かった……っ)
雪乃が追求を諦めたように目を伏せたのを確認し、俺は心の中でガッツポーズをして冷や汗を拭った。しかし――。
「――でもさ」
雪乃が、獲物を狩るような妖艶な瞳で、俺の顔を覗き込んできた。
「私、『泣き虫な君』としか言ってないんだけど。……なんであんた、私が一言も言ってないその続きの歌詞まで知ってるの?」
「――ッ!!!!」
雪乃の放った決定的な一撃に、俺の脳内は完全にパニックに陥った。
バレたのか? いや、そんなはずはない。
スタジオで翔太が「弾き方が似てる」って言った時、雪乃自身が「全然似てない」と凄まじい圧で否定してたじゃないか。俺がKanatoであることは、絶対にバレていないはずだ。
ここでボロを出せば、俺は『幼なじみに向けた激重ラブソングをネットに投稿し、一晩でビビって全消しした痛すぎる陰キャ』として、一生雪乃に軽蔑される!
「もしかしてだけど……あんたがあの曲作ったりしてないわよね?」
雪乃が、トドメとばかりに顔を近づけてくる。
俺は顔から火が出るほど真っ赤になりながら、全力で、声の限りに叫んだ。
「ち、ちげえよ!! さ、さっきも言った通り言葉が偶然被っただけだ!!」
「本当に?」
「本当だ! だいたい、俺があの神様なわけねえだろ!! 雪乃だって、こないだ陽向に『全然似てない』って言ってたじゃないか!! あんなスゲエ曲、俺みたいな陰キャが作れるわけないだろ!!」
己の黒歴史を全力で否定し、ついでに自分自身をも貶めて、俺は必死の隠蔽工作を図った。
ハァ、ハァ、と息を切らす俺を見て。
(アァァァァァァァァッ!! なにこの生き物! 可愛すぎるんですけど!!)
雪乃の脳内は、限界突破したオタクの歓喜で大爆発を起こしていた。
(図星突かれてめちゃくちゃ焦ってる! 自分のこと必死に否定してる! バレてないと思って必死に誤魔化してるの、尊すぎて抱きしめたい!!)
この過剰すぎる反応。パニックになった瞳。
雪乃の中で、最後の1パーセントの疑いすらも完全に消え去った。
(……やっぱり。あの曲は、湊が私のために作った曲なんだ……っ!)
泥棒猫なんて、いなかった。
私を救ってくれた神様は、ずっと私だけを見て、私のために、あんなにも情熱的な愛の歌を歌ってくれていたのだ。
(……ああ、もう。口元が緩むのを堪えるの、限界)
雪乃は、にやけそうになる頬の筋肉を総動員して押さえつけ、フイッとそっぽを向いた。
「……ふーん、そう。ま、あんたが“あんなに誰か一人を想ってる曲”を書けるわけないものね」
「ぐっ……」
図星かつ痛いところを的確に刺され、俺は血を吐きそうになりながらも必死に頷く。
「そ、そうだよ! ぜ、絶対違うからな!」
俺は心の中で、「よ、よし……! なんとか誤魔化せた!」と安堵の冷や汗を拭った。
危なかった。もう少しで社会的に抹殺されるところだった。
立ち上がった雪乃は、ポンポンとスカートの埃を払うと、去り際にクルッとこちらを振り返った。
「でも……もし、本当にあんたが私のためにあんな曲を作ってくれたんだとしたら」
「え?」
「……ううん、今はいい。明日のステージ、一番前で見てるから。せいぜい頑張りなさいよ」
雪乃はそれだけ言い残し、ヒラリと手を振って体育館の出口へと向かっていった。
(……なんだよ、今の)
俺は、去っていく雪乃の後ろ姿を見つめながら、なぜか心臓がドクンと不思議な鳴り方をしたのを自覚していた。
***
一方、体育館の外に出た瞬間。
氷室雪乃は、崩れ落ちるように壁に背中を預け、その場にしゃがみ込んだ。
「はぁぁぁぁっ……!」
両手で真っ赤になった顔を覆い、荒い呼吸を繰り返す。
「無理無理無理! 湊可愛すぎ! 全部私への曲だった! 私への愛の告白だった! あの不器用なタコ指で、私のために……っ!」
限界オタクの精神は、すでに成層圏を突破して宇宙の果てまで飛んでいっていた。
これまでの嫉妬や自己嫌悪の呪縛から完全に解き放たれ、残ったのは、幼なじみの推しへの純度100パーセントの狂気的な愛情だけ。
「明日……。明日のステージで、湊が私のためにギターを弾く姿を、絶対に一番前で目に焼き付けるんだから……っ!」
最強の限界オタクは、来たるべき決戦に向けて、完全に仕上がっていた。




