第21話 肉食系女子の接近
文化祭まで、残り数日。
俺が思わぬ知恵熱でぶっ倒れたり、週末の強化合宿を乗り越えたりと色々あったが、バンドの練習は驚くほど順調に進んでいた。
合宿を経て、翔太が俺のギターの音圧に引け目を感じて立ち止まることは完全になくなった。
むしろ「お前の音に喰われないように、絶対に前に出てやる」と、やたらとギラギラした目でマイクに食らいつくようになったのだ。
おかげで俺も、変に手加減することなく、翔太のボーカルを一番目立たせるためのバッキングに集中できている。
互いを引き上げ合う、理想的なバンドのグルーヴ。
スタジオ練習にも熱が入り、文化祭のライブ本番に向けて、俺たちの音はこれ以上ない『最高の仕上がり』を見せていた。
……ただ、一つの誤算を除いて。
「みんな聞いてくれ! うちのバンドのサポートギター、マジで『神』だから! 文化祭のトリ、絶対に体育館まで見に来てくれよな!」
「いや、やめろ陽向! ハードル上げるな!」
「何言ってんだよ影山! お前は俺の最高の相棒なんだから、もっと胸張れって!」
「相棒って言うな! 俺はただの陰キャの機材係だ!」
翔太のやつが、事あるごとに俺のギターを褒めちぎり、学校中で吹聴して回っているのだ。
カースト上位のイケメンで、交友関係の広い翔太の発言力は伊達ではない。
『陽向のバンドにいる裏方のヤツ、実はめちゃくちゃ隠れ天才らしいぜ』
そんな噂が、尾ひれはたひれをつけて校内に広まり始めてしまったのである。
目立たず、静かに、誰にも見られないように『俺だけの引退ライブ』を済ませてフェードアウトしたかった俺にとって、これは非常に由々しき事態だった。
***
その日の放課後。
俺は文化祭の準備作業でごった返す体育館の隅で、一人もくもくと機材のメンテナンスをこなしていた。
アンプのケーブルの断線チェックや、マイクの接続確認。これこそが機材係である俺の本来の仕事であり、最も心が安らぐ時間だ。
「よし、このシールドは問題なし、と……」
「ねぇねぇ、君が影山くん?」
ふいに、甘ったるい香水の匂いと共に、背後から声をかけられた。
振り返ると、そこには派手なメイクに短くしたスカートを穿いた、カースト上位特有のオーラを放つ女子生徒が数人立っていた。
中心にいるのは、たしか軽音部でボーカルをやっている、いかにも『肉食系』といった雰囲気の――たしか、相沢という名前の女子だ。
「えっ、あぁ。影山だけど……何か機材のトラブル?」
「違う違うー! 翔太くんから聞いたよー。影山くん、ギターめちゃくちゃ上手いんだって? うちの軽音部でもちょっとした噂になってるよ」
「えっ」
「隠れ天才ギタリストって! 今まで機材係のフリして力隠してたんでしょ? アニメの主人公みたいでかっこいいねー!」
「いや、俺はちょっとした流れでサポートに入っただけで……全然そんなんじゃ……」
グイグイと距離を詰めてくる相沢に、コミュ障の俺は完全にタジタジになって後ずさる。
しかし、彼女たちは逃げ道を塞ぐように俺を取り囲んでくる。
「謙遜しなくていいのにー。ねえ、ちょっと手、見せて?」
「えっ、手?」
「いいからいいから!」
ガシッ。
俺が戸惑っている隙に、相沢が俺の左手を両手で強引に引き寄せた。
「わっ、すごい! 硬いタコできてる! これだけ弾き込んでるってことでしょ? すごいすごい、かっこいい〜!」
「ちょ、ちょっと、近いって……!」
彼女は俺の手のひらや指先を無遠慮にベタベタと触りながら、自分の身体を寄せてくる。
腕に胸元が当たりそうなほどの距離感。
女子に対する免疫が全くない俺のHPは、この未知の攻撃によってゴリゴリと削られていく。
「ねえねえ影山くん、今度私にもギター教えてよ! ていうかさ、文化祭、うちのバンドでも弾いてくんない?」
「えっ? いや、俺は人前で弾くの苦手だし、翔太のバンドだけで手一杯なんで……」
「えー、もったいないじゃん! 翔太くんのところより、絶対私と一緒にステージ立った方が楽しいよ? ね、お願い!」
「いや、どっちが楽しいとかの問題じゃなくて……」
「えー、まずはカラオケで打ち合わせでもしよーよ? ね?」
上目遣いで、俺の腕に絡みついてくる相沢。
どうやって断ればいいのかわからず、俺は助けを求めるように視線を泳がせた。
(誰か……澪でも翔太でもいい、助けてくれ……!)
――と、その時だった
突然、体育館の隅の気温が、マイナス五十度まで急降下したような錯覚。
今まで賑やかだった周囲の空気が、ピシッ、と凍りつく。
「……えっ、なんか急に寒くない?」
俺の腕に絡みついていた相沢やその友達も、ブルッと肩を震わせて辺りを見回した。
「――何やってんの」
背後から響いたのは、シベリアの吹雪よりも冷酷な響き。
そして、これまで聞いたこともないほどドス黒い、絶対的な『殺意』を孕んだ声。
「ひっ」
相沢が、思わず短い悲鳴を上げて俺の腕からパッと手を離す。
ゆっくりと振り返った俺の視線の先。
そこには、透き通るようなアッシュグレーの髪をなびかせ、地獄の底から這い上がってきた修羅のような冷たい瞳で俺たちを――いや、俺に触れていた相沢を睨み下ろす、『氷の女王』の姿があった。
「ゆ、雪乃……?」
普段から俺には冷たい彼女だが、今の彼女が纏っているオーラは、今までの塩対応すら可愛く感じるほど、明らかに常軌を逸していた。
(……なんで俺、機材のメンテしてただけなのに、こんなことになってんだ?)
理不尽すぎる状況に、俺はただ冷や汗を流して立ち尽くすことしかできなかった。




