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第2話 氷の女王の裏垢

「ただいま戻りました」


 氷室雪乃(ひむろゆきの)は、玄関先で出迎えた母親に短く告げると、足早に階段を上った。

 自室のドアを開け、中に入る。

 カチャリ、と鍵をかけ、二重のロックを念入りに確認する。


(……よし!)


 完全に自分一人の密室になったことを確認した瞬間、学校一の美少女と呼ばれ、誰も寄せ付けない『氷の女王』の仮面が、音を立てて崩落した。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 雪乃はカバンを床に放り投げると、そのままベッドへダイブした。

 大きなペンギンの抱き枕に顔を埋め、短いスカートがめくれるのも気にせず、ジタバタと両足をバタつかせる。


「無理無理無理! 今日の湊も最高だった! 空き教室で一人でギター弾いてるとかエモすぎでしょ! あんなの保護するしかないじゃない!!」

 

 ドスッ、ドスッ、とペンギンに八つ当たり気味の頭突きを繰り出しながら、雪乃は先ほどの放課後の光景を脳内で鬼リピートしていた。


「あーもう、あの『指のタコ』なんなの!? 硬くて分厚くて、一生懸命弦を押さえてきた証拠じゃん! 男の子の手って感じでエッチすぎる! 尊い! あの指先で撫でられたら私どうなっちゃうの……って、バカ雪乃! 変な妄想しない!」


 一人でボケてツッコミを入れ、ベッドの上をゴロゴロと転げ回る。

 学校で見せる絶対零度の姿など見る影もなく、そこにあるのは、推しの尊さに脳を焼かれた完全な『限界オタク』の姿だった。


 ひとしきりベッドの上で暴れた後、雪乃はふと動きを止め、素早い動作でスマホを取り出し、SNSのアプリを立ち上げた。

 表示されたのは、フォロワー数0、フォロー数0の完全な鍵付き裏アカウント――『ゆき@Minato最古参』のタイムライン。


『今日の幼なじみも手元が最高だった……指のタコ尊い……一生眺めていたい……』

『でもまた可愛くない態度とっちゃった。なんで塩対応しちゃうの本当に死にたい。私のアホ』


 フリック入力で光の速さで投稿し、雪乃は「はぁぁっ……」と深いため息を吐いた。


「――でも、今日の湊、なんだか少し寂しそうな顔してたな……」


 空き教室で一人、アンプにも繋がずギターを抱えていた湊の姿を思い出し、胸がキュッと締め付けられる。

 あんなに分厚いタコができるほど、見えないところで毎日ギターを弾き込んでいる湊。それをこっそり応援することと、あの時の音源を毎日聴くことが、今の私の密かな生き甲斐なのだ。


 しかし、学校での雪乃はあくまで『湊に塩対応するただの腐れ縁』というポジションを貫いている。だから、気の利いた言葉一つかけることができない。


『……裏方なんだから、せいぜい真面目に働きなさい』


 自分でも呆れるほど可愛げのない冷たい言葉を投げつけてしまったさっきの自分を、雪乃は全力でビンタしたくなった。


「うぅ……っ。なんで私、湊の前だとあんな可愛くない態度とっちゃうのよ……」


 激しい自己嫌悪に苛まれながら、雪乃は這うようにデスクへ移動し、ノートPCを起動させる。

 迷うことなくマウスを操作し、何重にも隠された深い階層にあるフォルダを開く。

 フォルダ名は『Minato_God_Archive_絶対に消すな』。

 パスワードを入力してロックを解除すると、そこにはたった一つだけ、大切に保管された音声ファイルがあった。


 雪乃は最高級のヘッドホンを耳に装着し、震える指で再生ボタンをクリックする。


『――凍てついた君の心、俺の六弦(シックスストリングス)で溶かしてやるよ』


 ヘッドホンから流れてきたのは、少しノイズ混じりの、けれど圧倒的な熱量を帯びたギターの音色。そして、不器用ながらも魂を削るような、切なく情熱的な湊の歌声だった。


「はぁぁぁ……っ、神……。湊の生音、細胞に染み渡る……」


 雪乃は目を閉じ、恍惚とした表情で音の波に身を委ねた。

 中学時代、偶然ネットの動画サイトで見つけた『Kanato』というアカウント名の動画。

 顔から下しか映っていなかったが、背景のふすまのシミや、チラリと見えたギターストラップの柄で、それが幼なじみの影山湊であることは一瞬で分かった。


 投稿されたその日の夜、雪乃は狂ったように動画をリピート再生し、すぐに音声ファイルとしてローカル保存した。

 案の定、一晩でランキング1位になって大バズりしたその動画は、翌朝にはアカウントごと綺麗さっぱり消去されていたのだ。

 今やネット界隈で『一夜で消えた幻の神ギタリスト』と伝説化しているその音源を、世界で唯一、完璧な状態で所持しているのは私だけ。

 それが、最古参の限界オタクである雪乃の密かな誇りだった。


「湊のギター、本当に天才。……でも」


 曲のサビに入り、湊が『たった一人の愛しい君へ』と叫ぶように歌い上げた瞬間。

 雪乃はぎゅっと目を閉じ、ヘッドホンを押さえる手に力を込めた。

 彼女の目から、ポロリと一粒の涙がこぼれ落ちる。


「……こんなの。本当に好きな人がいなきゃ、作れないじゃない……」


 ぽつり、と。

 自室の静寂に、雪乃の震える声が溶けた。

 中二病全開と言われようと、この曲に込められた強烈な『愛』と『執着』は、聴く者の心を打つ。真っ直ぐで本物の愛情を感じるからこそ、雪乃はどうしても、その矢印が自分に向いているとは思えなかったのだ。


 中学の頃、ある事情から周囲に心を閉ざしてしまった私は、自分を心配してくれた湊まで巻き込みたくない一心で、「話しかけないで」「ただの腐れ縁だから」と彼を冷たく突き放してしまった。

 あんなに塩対応をして、傷つけてしまった私を、湊が好きになってくれるはずがない。

 だとしたら、答えは一つしかない。


「……それが、私なわけない」


 胸の奥を、ドス黒い炎が焼き焦がしていく。

 私が冷たくしたせいで、湊は別の女の子を好きになってしまった。

 その見えざる『誰か』への激しい嫉妬と、湊への罪悪感。それがグチャグチャに混ざり合い、雪乃は湊に対してどうしても素直になれなくなってしまったのだ。


「私以外の女に、指のタコを触らせたりぃ……。私以外の女のために、こんな神曲を作ったなんてぇ……っ! くやしい、くやしいよぉ……!」


 ポロポロと涙をこぼしながら、雪乃は机に突っ伏した。

 嫉妬で狂いそうなのに。湊の好きな女を呪ってやりたいくらいなのに。

 それでも、ヘッドホンから流れてくる湊の歌声が神すぎて、尊すぎて、どうしても聴くのをやめられない。


 完全にこじらせた、救いようのないポンコツ。

 ――それが氷室雪乃の正体だった。


「……でも、今日の湊、本当に変だった。機材係とはいえ、わざわざ自分のギターを学校に持ってくる?」


 涙をティッシュで乱暴に拭いながら、雪乃は赤い目でPCの画面を睨みつける。

 もしかして、あの『見えない誰か(好きな女)』のために、この文化祭で何かするつもりなのだろうか。そう考えると、ドス黒い嫉妬が再び胸の中で渦を巻き始める。


「文化祭の間、絶対に湊から目を離さない……。あんな立派な指のタコを作らせるくらい、湊を夢中にさせてる泥棒猫が誰なのか、絶対突き止めてやるんだから……っ!」


 悶々と悩む雪乃。

 彼女はまだ知らない。

 自分がこんな風に部屋で一人、うんうん唸りながら嫉妬と愛情をこじらせている間に――。

 当の湊本人が、誰もいないはずの音楽室で、とんでもない『大事件』を巻き起こそうとしていることに。

第2話、最後まで読んでいただきありがとうございました。

ヒロインの雪乃視点で『氷の女王』の仮面を外した、限界オタクな内面を吐露する回となりますが、いかがでしたでしょうか?


作者としては雪乃の狂気とも言えるオタクな素顔や恋する乙女な一面、こじらせっぷりを描きたかったのですが、うまく伝わりましたでしょうか?

ぜひ、コメントで感想や愛のあるツッコミをいただけると嬉しいです。


また、この作品が少しでも


「面白い!」

「続きが気になる!」

「更新がんばれ!」


と思っていただけましたら、「☆」やリアクションで応援いただけると嬉しいです。

皆様からの反響が、作品を書く最高の原動力になります!

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