第1話 塩対応の幼なじみ
放課後の旧校舎。
文化祭用の機材置き場となっている空き教室で俺―—影山湊は、エレキギターを膝に抱えていた。
ペチペチと弦が板を叩くような、気の抜けた生音だけが、埃っぽい教室に響く。
文化祭実行委員の『機材・音響係』を押し付けられた俺は、古いケーブルの断線チェックを口実に、こっそりと自分のギターを持ち込んでいたのだ。
(よし、運指の調子も悪くない。このフレーズの入りも――)
自分の世界に入り込み、目をつむってフレーズの確認をしていた、その時。
ガラッ!!
静寂を切り裂くように、勢いよくスライドドアが開け放たれた。
「げっ」
思わず変な声が漏れる。
入り口に立っていたのは、夕日を背にしても目立つ、美人すぎる幼なじみ。
切れ長の二重まぶたに、雪のように白い肌。制服の着こなしすら洗練されて見える彼女は、間違いなく我が校のカースト頂点に君臨する絶世の美少女――氷室雪乃。
雪乃は冷ややかな目で俺とギターを交互に見下ろすと、絶対零度の声で言い放った。
「……うるさい。近所迷惑」
「いや、ここ防音しっかりしてる旧校舎だろ。しかもアンプに繋いでないし、耳すまさないと聞こえないレベルの音量だろ」
「私の視界に入った時点で『視覚的騒音』なの。公害よ」
「俺の存在、環境基準法違反なの?」
「ええ。特定外来生物並みに駆除対象ね」
「扱いがカミツキガメなんだけど。ていうかさ、幼なじみに対して当たり強すぎない?」
「ただの腐れ縁でしょ。気軽に話しかけないで」
「いや、腐ってはないだろ。せめて熟成と言ってくれ」
「熟成? とっくに腐敗してるわよ」
「じゃあ俺たち納豆か何か?」
「黙って。納豆は有益だから侮辱になってる」
ポンポンと飛び交う言葉のキャッチボール。いや、ぶつけ合いか……。
端から見れば漫才のようかもしれないが、雪乃の瞳には一切の笑みがなく、シベリアの永久凍土すら生ぬるく感じるほどの冷たさだ。
中学に入ったあたりから、彼女は俺に対してずっとこんな調子だ。
学校一の美少女と、クラスでも目立たない日陰者の俺。
周りの連中は「氷の女王に毎日絡まれて、影山も可哀想に」と同情の視線を向けてくるが、そもそも俺から絡みに行っているわけではない。なぜか向こうからわざわざやってきて、一言二言の罵倒を残していくのだ。
「……で? 機材係のくせに、自分がステージに立つ妄想でもしてるわけ?」
雪乃は呆れたように息を吐き、俺の手元へ視線を落とした。
「してないよ。機材の通電チェックをするためにギターを持ってきただけだ。……親父のお下がりだけど、メンテはしっかりしてるんだぞ」
「ふーん」
気のない返事。
しかし、その時だった。
雪乃の視線が、ネックを握る俺の『左手』でピタリと止まった。
弦を押さえ続けたことで分厚く硬くなり、皮が剥けては再生することを繰り返した、醜い『指のタコ』。
ギタリストの勲章とも言えるそれに、雪乃の視線が釘付けになった瞬間――。
(……っ)
彼女の冷たい瞳が、一瞬だけ、トロンと熱っぽく揺らいだ気がした。
わずかに開いた桜色の唇から吐息が漏れ、白く細い喉仏が、ごくり、と上下に動く。
まるで、極上のスイーツを目の前にしたかのような反応。
「……ん? 雪乃?」
俺が訝しんで顔を覗き込もうとすると、雪乃は弾かれたように肩をビクッと揺らし、慌てて顔を背けた。
「な、なによ」
「いや、今なんか変な顔……」
「してないっ! 見間違いでしょ、眼科行けば!?」
ものすごい勢いで捲し立てると、彼女は再び鉄壁の氷の仮面を被り直した。
そして、腕を組んで冷たく言い捨てる。
「……裏方なんだから、せいぜい真面目に働きなさいよね。……じゃあね。邪魔したわ」
それだけを早口で言い残し、雪乃は逃げるように廊下へ去っていった。
バタン、と乱暴にドアが閉まる音が響く。
「……なんだよ、あいつ」
ぽつんと残された俺は、深く、長いため息を吐き出した。
手元のストラトキャスターを見つめ、弦を軽く爪弾く。
じゃらん、と間の抜けた音が鳴った。
「裏方、か……まぁ、そうだよな……」
俺がギターを始めたのは、中学の時。
当時、周囲から孤立して塞ぎ込みがちだった雪乃を、なんとかして元気づけたくて。
不器用で気の利いた言葉一つかけられないコミュ障の俺には、音楽という手段しか思いつかなかった。
指の皮が何度も擦り切れ、血が滲んでも、毎日毎日押し入れにこもってギターを弾き続けた。彼女への、自分でも気持ち悪いくらい重くて大きな片思いを、ありったけの言葉とメロディに乗せて。
そうして完成したのが、中二病全開の痛ったいオリジナルソングだった。
『凍てついた君の心、俺の六弦で溶かしてやるよ』的な、今思い出すだけでも悶絶してベッドの上をのたうち回りたくなるような地獄のラブソング。
直接面と向かって歌う勇気など当然なく、俺はあろうことか、『Kanato』という本名をもじっただけの適当なアカウント名で、その曲を動画サイトに配信してしまった。
顔から下だけを映し、ただ己の情念だけを叩きつけるように歌い上げたその動画を、「ネットの海に流せば、一ミリくらいの確率であいつの耳に届くかもしれない」という淡すぎる期待を込めて投稿したのだ。
――結果は、大惨事だった。
翌朝、目が覚めてスマホを見た俺は、心臓が口から飛び出そうになった。
再生回数、二十万。コメント数、数千件。
『なんだこの神曲!?』
『ギターのテクニックがプロの犯行』
『歌詞は痛いけどなぜか泣ける』
『感情の乗り方がヤバい、天才だろ』
まさかの一晩で、動画サイトの週間ランキング1位を獲得してしまったのだ。
『や、やばいやばいやばい! こんな状態であの曲が雪乃にバレたら、一生口きいてもらえなくなる! ていうか社会的に死ぬ!!』
パニックに陥った俺は、その日のうちにアカウントごと動画を完全に削除した。
しかし、ネット民の執念は恐ろしかった。
たった一晩で消えたその動画は、逆に神秘性を増し、今でも一部のネット音楽界隈で『一夜で消えた幻の神ギタリスト・Kanato』として語り継がれる都市伝説になってしまったのである。
「……思い出しただけで胃が痛い」
俺はギターを抱えたまま、教室の床に突っ伏した。
結局、俺の歌が雪乃に届くことはなかった。
いや、届かなくて正解だったのだろう。あんな痛い曲を聞かれたら、ただでさえ「腐れ縁」扱いされている俺の立ち位置は、完全な「汚物」にランクダウンしていただろう。
「あんなに嫌われてるなら、俺の想いがあいつに届くことは一生ない、か」
自嘲気味に笑い、俺は立ち上がった。
さっき雪乃が見ていた気がする『指のタコ』をそっと撫でる。
文化祭のステージで輝くのは、陽キャの連中や雪乃のような選ばれた人間だけ。
裏方の俺が立つステージなんて、どこにもない。
「よし」
俺は小さく、けれど固い決意とともに呟いた。
「文化祭の最終日。全校生徒が後夜祭で盛り上がってるその裏で……誰もいない音楽室で、こっそり『俺だけの引退ライブ』をやろう」
それが終わったら、このギターは押し入れの奥底に永遠に封印する。
俺の初恋と、未練がましい青春のケジメ。
それが、裏方キャラの俺にできる唯一の清算だった。
――この時の俺は、完全に油断していた。
俺が密かに立てた『誰にも見せない引退ライブ』の計画が、まさかとんでもない事件の引き金になり、平和な日陰者ライフを完全に破壊することになるなんて。
そして何より。
あの氷の女王・氷室雪乃が――あんなにも熱っぽい瞳で、俺の『指のタコ』を見つめていた本当の理由に。
第1話、最後まで読んでいただきありがとうございました。
主人公の湊視点で自分自身と、幼なじみである雪乃との関係性を紹介する回となりますが、いかがでしたでしょうか?
作者としては『凍てついた君の心、俺の六弦で溶かしてやるよ』っていう歌が、どうすれば一晩で二十万再生も稼げるねん!とツッコミたくなる気持ちでいっぱいですが、皆さまはどのように感じられたでしょうか?
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