第18話 夜の女子部屋
合宿所、消灯後の女子部屋。
薄暗い部屋の中には、常夜灯のかすかな明かりと、隣のベッドから僅かに漏れるスマートフォンの光だけが漂っていた。
(……なんか眠れない)
私――結城澪は、天井を見上げたまま小さく息を吐いた。
隣のベッドでは、氷室雪乃が布団を頭まですっぽりと被り、ミノムシのように丸くなっている。
布団の隙間から漏れるスマホの光と、微かに漏れ聞こえてくるギターの音。おそらく、いつもの音声ファイルをリピート再生しているのだろう。
お風呂から戻ったあと、雪乃の様子がいつもと違った。
普段なら『タコ指エロい』だの『尊い殺して』だのと、奇声を漏らしてベッドの上でジタバタ暴れるはずなのに、今夜はひどく静かだ。
時折、「……はぁ」と、普段の雪乃からはあまり想像できない、ひどく切なげな『ため息』が漏れ聞こえてくる。
「……ねえ、雪乃。起きてるんでしょ」
「ひゃっ!?」
私が静かに声をかけると、隣のベッドでミノムシがビクッと跳ねた。
モゾモゾと布団がめくれ、暗がりの中から、スマホを胸に抱きしめた雪乃が顔を出す。
「み、澪……起きてたの」
「あんたがため息ばっかり吐いてるから眠れないのよ」
私は身体を横に向け、ベッド越しに親友と向かい合った。
「……あんたさ。なんでそこまで影山くんが好きなのよ」
「えっ!? な、なによ急に! わ、私、好きだなんて一言も言ってないわよ!」
「はいはい。あんたの態度見てたら、そう思っちゃったのよ」
「……そ、そう……」
「でも、ただの幼なじみにしては執着が異常じゃない。単なる好意というより、相当拗らせてるし。ぶっちゃけ、あんたのルックスなら翔太とか他校のイケメンとか、選び放題でしょ」
私がストレートに問いかけると、雪乃は図星を突かれたように肩を震わせた。
いつもなら「義務よ!」とか「単なる腐れ縁よ!」と、建前や反論を並べ立てるはずの彼女だったが、今夜は違った。
雪乃は少しだけ寂しそうに目を伏せ、胸に抱きしめたスマホをギュッと強く握りしめた。
「……昔、中学の時……」
ぽつりと、静かな声が部屋に落ちる。
「一人ぼっちで、一番辛かった時、私、部屋の中でずっと泣いてた。……湊の音が、そんな私を引っ張り出してくれたの」
雪乃は、それ以上詳しい経緯を語ろうとはしなかった。
ただ、暗闇の中で響いた不器用なギターの音色だけが、彼女にとっての全てだったのだと。
「あいつの音が、私を救ってくれた。……だからあいつは、私の神様なの」
真っ直ぐで、痛いほど純粋な瞳。
だが、その瞳はすぐに自嘲気味な色に染まり、雪乃は力なく笑った。
「でも私……酷い態度であいつのこと突き放してた……。だから、あいつのあの情熱的な音は、私じゃない、別の女の子に向けられちゃってるのよ」
「雪乃……」
「今さら私が女の子として意識してもらうなんて、土台無理な話なの。……でも、私が推しを崇めるただのオタクでいれば、これ以上傷つくことも、湊に嫌われることもないじゃない」
それが、彼女が『限界オタク』になった本当の理由だった。
大好きな人に嫌われているという絶望から心を守るため。ファンという『安全圏』に逃げ込んで、狂信者のフリをすることでしか、影山くんの傍にいる理由を見出せなかったのだろう。
(……ほんと、不器用で面倒くさい女)
私は、暗闇の中で小さく微笑んだ。
いつも強がって氷の女王を演じているけれど、中身はこんなにも脆くて、臆病な普通の女の子。
「……だから、自分の恋愛よりあんたが気になっちゃうのよ」
「えっ?」
「うーん、なんでもない!」
雪乃のキョトンとした表情を見て、私はクスッと笑った。
「いいわよ。あんたがそれだけ、影山くんに本気だってわかったから」
私はベッドから身を乗り出し、親友の頭をポンと叩いた。
「でもね、雪乃。影山くんが他の女を見てるなんて……それ、本当にそうなの?」
「えっ……」
「アンタのことを見る影山くんの目、どうでもいい腐れ縁を見る目じゃない気がするんだよね。……まぁ、私から言えるのは、それだけ」
それは、すべてを知る私からの、親友への最大限のヒントであり、エールだった。
「澪……」
「ま、せいぜい後悔しないように頑張りなさいな。少しだけなら、応援してあげなくもないから」
私が意地悪く笑ってウインクすると、雪乃の瞳から不安の色が少しだけ消え去った。
「……うん。ありがとう、澪」
雪乃は、いままでで一番の年相応の可愛らしい笑顔を見せてくれた。
「さて、私は明日も朝から練習。さっさと寝かせてもらいますよっと」
「うん。おやすみ、澪」
「おやすみ。あんたも早く寝なさい」
布団に潜り込み、目を閉じる。
隣のベッドから、もうため息が聞こえてくることはなく、しばらくすると規則正しい穏やかな寝息が聞こえ始めていた。
私は、少しだけ冷たくなった秋の夜風を感じながら、「……ま、たまにはこういう夜も悪くないわね」と心の中で呟き、静かな眠りについたのだった。




