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第12話 相棒の条件

「俺のギターから逃げんな。……お前の声は、あんなもんじゃないだろ」


 雑居ビルの裏手。薄暗い路地裏の空気を、俺の低く静かな声が震わせた。

 自販機の前でへたり込んでいた陽向翔太は、ハッと顔を上げ、俺の顔をまじまじと見つめた。


「影山……」

「お前が前に出て歌えばいい、だと? ふざけんな。俺は目立つのが大嫌いなんだよ。そんなガラじゃない」


 俺はさらに一歩踏み出し、翔太を見下ろした。

 隣に立つ雪乃が、驚いたように目を丸くして俺を見上げているのが視界の端に映る。だが、今はかまっている余裕はなかった。


「お前の音に、俺の歌じゃ釣り合わないって言ったな。……逆だよ、バカ」

「逆……?」

「俺みたいな陰キャが、どんだけ良い伴奏を弾いたところで、真ん中に立つ奴に『華』がなけりゃ、誰も聴いちゃくれないんだよ」


 それは、陰キャとして影で生きてきた俺だからこそわかる、残酷な真理だった。

 人を惹きつける天性の明るさ。誰にでも好かれるカリスマ性。

 それは、毎日押し入れでギターの練習をしたところで、絶対に手に入らないものなのだ。


「お前には、その誰でも惹きつける明るい声と、真ん中に立つためのオーラがある。……お前が一番前、センターで輝いてくれるから、俺は安心して、後ろで自分の持てるすべての技術を叩き込めるんだ」


 翔太の目が、大きく見開かれた。

 俺のバッキングは、決して翔太を喰い殺すためのものじゃない。翔太の声を一番前へ押し上げるために、あえて全力でぶつけたのだ。


「俺は、お前の歌を信じて弾いたんだ。……だからお前も、俺の音から逃げるな。全部真正面から受け止めて、それを超える最高の声を出せよ。お前ならできるだろ」


「影、山……っ」


 翔太の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。

 才能の壁にぶつかった絶望感が、俺の言葉によって、熱い闘志へと塗り替えられていくのを感じた。


 俺は、翔太に手を差し伸べた。

 そして、ダメ押しにもう一言、こいつの背中を押すための言葉を口にしようとした。


「それに……雪乃だって――」


 ――雪乃だって、お前がステージで輝くのを、誰よりも楽しみにしてるんだ。

 そう言って、身を引くのが、幼なじみとしてのカッコいい『初恋のケジメ』のはずだった。

 でも……


(……っ、ダメだ。言えねえ)


 いざ口に出そうとした瞬間。胸の奥が、ギリッと千切れるように痛んだ。

 自分の口から、大好きな幼なじみの背中を、他の男へと押してやる言葉なんて。そんな器用な真似、情けない俺には到底できなかった。


「……雪乃だって――」


 俺は言葉を詰まらせ、ギュッと奥歯を噛み締めた。

 そして、誤魔化すように視線を逸らし、乱暴に言葉を続ける。


「――っ、いや、みんな楽しみにしてるんだよ! 全校生徒が、お前のステージを待ってんだ! だから、さっさと立て、陽向!」


 本音が漏れかけたのを必死に飲み込み、俺は照れ隠しのように叫んだ。

 しかし、その不自然な言葉の『淀み』を、至近距離で聞いていた氷室雪乃が、聞き逃すはずがなかった。


(――えっ? 今、湊……っ)


 雪乃の心臓が、ドクンッ! とけたたましい音を立てて跳ね上がった。


(今、間違いなく私の名前呼んだよね!? みんな、に言い直したけど、本当は私にステージを見てほしいってこと!? ていうか何今の湊! 翔太くんに真っ直ぐぶつかっていく横顔、イケメンすぎない!?)


 雪乃の脳内は、かつてない規模の衝撃に見舞われていた。

 普段は気怠げな陰キャの推しが、自分の本音を漏らしそうになりながらも、バンドのために熱い言葉をぶつけている。

 そのあまりの男らしさと尊さに被弾し、雪乃の全身から一気に力が抜けそうになった。


(アァァァァァァッ! 無理、好き! 抱きしめたい! 今すぐそのタコ指に婚姻届を持たせたい!!)


 雪乃は膝から崩れ落ちそうになるのを必死で堪え、氷の仮面の下で、生まれたての小鹿のようにプルプルと震えていた。

 そんな限界オタクの精神崩壊など露知らず。

 自販機の前でへたり込んでいた翔太は、俺の差し出した手を、ガシッ! と力強く握り返した。


「……っ、ははっ」


 涙を袖で乱暴に拭いながら、翔太がいつもの、いや、今までで一番眩しい太陽のような笑顔を見せた。


「お前、マジで最高の相棒だな……。俺が間違ってた。自分の実力不足から逃げようとして、勝手に拗ねてただけだ」


 翔太は立ち上がり、俺の胸をドンッと軽く殴った。


「悪かった、影山。……俺、絶対に最高のボーカルになって、お前のそのバケモノみたいなギター、完璧に乗りこなしてやるからな!」

「ああ。楽しみにしてる」


 俺たちは、ニヤリと笑い合った。

 わだかまりは消え、バンドとしての結束は、今日この日、完全に本物になったのだ。


***


(……はいはい、青春青春)


 路地裏の入り口の壁に背中を預け、一部始終を隠れて見ていた私――結城澪は、やれやれと肩をすくめた。

 影山くんが自ら動いて翔太を立ち直らせる、まるで少年漫画のような熱い展開。

 バンドの危機を救った影山くん、確かに文句なしにカッコよかったよ。ほんと、主人公の顔してたね。


 ……ただ、一つだけ言わせてほしい。


(影山くん。あんた、さっき言い淀んで『雪乃だって……いや、みんな』って誤魔化したつもりかもしれないけど)


 私は、自販機の横でプルプルと震えている親友へ、ジト目を向けた。


(雪乃のやつ、顔真っ赤にして、あんたのことしか見てないからな? 翔太の復活とかもう完全にどうでもよくなってるからな?)


 熱い友情で結ばれた男二人と。

 推しの男らしさに尊死寸前で限界化している限界オタク一人。


(……でも、まあ今回は、胃薬の出番はなさそうね)


 私はブレザーのポケットに入れた特大ボトルの胃薬からそっと手を離し、誰にも気づかれないように、小さく微笑んだ。

 こうして、最大の危機(バンド解散)を乗り越えた私たちは、いよいよ二週間後の『文化祭ライブ』へと突き進んでいく(?)のだった。

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